可愛くて優秀な愛弟子がいつまで経っても巣立ちしてくれません

そらどり

師匠と一番弟子

僕が彼女と出会ったのは五年前。




当時、数十年間で稀にみるような大嵐がこの地方を襲い、人々は困窮していた。




農作物は荒れ、住む場所も半壊し、迫りくる死に怯えながら生きることを強いられたのだ。




でも、それだけならまだ良かったかもしれない。




この大嵐で被害を受けたのはこの地方だけではなく、数十キロ先の都でも同様であったらしい。




派遣されてやって来た軍の命令で、この地方の人々は食料を差し出すことを強制されたのだ。泣き喚いて拒んでも待っているのは一方的な殺戮。恐れをなした人々は残されたものを差し出すほかない。




僅かしか収穫できなかった食料も奪われ、人々は今日を生きることさえままならない。瞳に映る輝きは未来永劫失われた。




今日を生きるため、そして明日を生きるため、人々は次にどんな行動をとるのか。それで横行したのが、子供の身売りだ。




最愛の娘を売り、一週間食い繋いでいける程度の金額。それでも自身が生きるためには仕方ない選択だ。




では、売られた娘はどうなったか。




都の群衆の前に晒されながら、冷たい牢屋の中で何日も縄で縛られ、食にもありつけず、涙を流す日々。




助けが来ないことを悟り、家族に裏切られた悲しみも枯れ、絶望を繰り返す日常が始まったのだ。




掠れて声も出ない、群衆からはゴミだと揶揄される。




暗く彩りのない一日が、今日も終わっていく。




明日なんてない。あるのは繰り返される今日だけ。




未来の失われた自らの人生に諦めの表情をしているように見えた。




「―――僕と一緒に生きませんか?」




そんな言葉を問いかけた、気がする。なにしろ五年前だ、もう記憶が薄れてしまった。




今となっては懐かしいとさえ回顧するけど、彼女にとっては耐え難い記憶だ。決して言葉にはしない。




目の前にいる彼女の表情に、もうあの頃の面影は微塵も感じられないのだから。








ーーー








「ちょっと、師匠ー? なにボーっとしてるんですかー? もう出かける時間ですよー!」




彼女の声でハッとする。




玄関前には既に準備を終えた彼女がこちらに手を振っていた。




皮服の擦れる音、少しサイズが大きいせいで全体的にダボっとしているように見えるが、なんだか年相応で可愛らしく思える。




「はいはい、ただいまー」




僕はそう返事をすると、椅子から立ち上がり、開いていた魔術書を閉じた。




ドアに肩掛けていたローブを身に着け、階段を降りて玄関へと向かう。




僕はハル。大魔術師と謳われるが、それは結局名ばかりのしがない錬金術師である。




魔法を扱うといつも暴発してしまうため、周囲からはポンコツと揶揄される。でもまあ、それでもいいかなとは半ば諦めもあるけど。




この地方の丘に拠点を構え早くも五年、とある目的のために邁進しているところだ。




「遅いですよ! こっちは何度も呼んでたのに」




到着早々文句を浴びせてくる少女、リーナは僕の一番弟子だ。




リーナは五年前に都を訪れた際に人身売買の広場で見つけた少女であり、今となっては僕より優れた魔術師にまで成長した。




呑み込みを早いし、今すぐに独り立ちしても申し分ない、ほんとに優秀な弟子である。




「いやーすみません。少し寝ぼけてたみたいで…あんまり聞こえていませんでした」




「ほんとにのんびり屋さんですね、師匠って……」




「でもありがとう。リーナはしっかりしてるから、いつも助かってますよ」




「……もう、それ本当に褒めてますか? 全く、これだから師匠は……少しは自己管理できるようになってくださいよ?」




腕を組んで不貞腐れてしまうリーナ。毎度のことで堪忍袋の緒がついに切れてしまったみたいだ。




「すみません。今度は気をつけますよ」




「―――だ、だからぁ!? 頭撫でないでくださいって……っ、何度も言ってるじゃないですかぁ……!?」




「ああ、すみません。すっかり忘れてました……」




余計だったみたいだ。よし、次こそは気をつけましょう。




「ほら! さっさと行きますよ! 今日もやることが一杯あるんですからね!」




ドアを開き、先導するリーナ。日差しに当てられ、少しだけ顔が赤く見える。




でもその表情はどこか楽しそうで、なんだかこっちも嬉しくなる。




「……はい、行きましょうか」




今日も一日が始まる、そう思った。








この地方に暴風雨がやってきて以降、僕はこの村の復興に尽力している。




とは言っても出来ることは限られる。今日はその中の一つ、肥料の作成だ。




「……うん、想定以上に肥料が足りませんね。すぐに材料を揃えて追加の肥料を作りたいところですが……」




「―――師匠! こっちも肥料が足りないみたいです!」




「そちらもでしたか……これは困りましたね」




この村では肥料を用意する余裕さえない。購入しようにも対価を用意できないのだ。




だからといって自作しようにも、僅かしかない食料の備蓄から拝借することはできないし、生ごみや家畜のたい肥も既に使用していて在庫がない。




この村で他に充てられるものといえば……




「……リーナ、ここから瞬間移動で海岸まで行けますか?」




「え? まあ行けますけど……海岸まで行けってどういう意味で―――って、ああ、なるほど!」




僕の意図を察知すると、リーナはすぐに魔法を唱えて消えていく。海岸という単語だけで目的に気づいたリーナは本当に優秀だ。




「本当は僕も行きたかったんですけどね……本当にポンコツ師匠ですよ」




瞬間移動は大きく魔力を消費する魔法、僕が唱えると毎度暴発して失敗するのだ。




そんな僕に対して、リーナは魔力操作が卓越している。弟子として招いてから僅か一年で僕を追い越してしまったのだから、その才能は本物だ。




「―――っと、師匠! ただいま戻りました!」




「おや、もう採取できたのですか? ……うん、これだけあれば十分だ」




貝殻に含まれる成分には植物の生育を促進する効果がある。




リーナが背負っている布製の袋には、そんな貝殻がぎっしりと詰め込まれていた。




「よし、今すぐに作成しましょう。リーナ、手順は覚えてますか?」




「はい、魔力で圧縮して粉塵状にするんですよね? なら大丈夫です!」




元気よく言うと、リーナは村長の部屋の一角に設置させてもらっている壺に貝殻を移す。




そして魔法を唱えると、内部の貝殻は細かく振動し始め、他の貝殻たちと激しく衝突。形状を変え、だんだんと粉砕されていった。




「うん、流石はリーナ。魔力を正確に扱えていますね」




「師匠も隣で見てないで手伝ってくださいよ……これ、意外と力仕事なんですよ?」




「僕が魔法を扱ったらどうなるか、リーナはご存じのはずですが?」




「……そんな情けない脅し、聞いたことありませんよ。まあ、確かに、昔私達の家が爆散したこともありましたっけ……」




「あの日はなんだかできる気がしたんですよね。まさか卵があそこまで爆発するとは……」




「あれ修繕したの、全部私なんですからね? もう二度と魔法を使わないでください。ほら、手出して、手動ですけど貝殻を潰すくらいは出来ますよね?」




「でも、そうしたら大魔術師って名乗れないじゃないですか……」




「もう! ああ言えばこう言う……! ―――分かりました! 今忙しいですから師匠はもう黙っててください!」




怒られてしまった。




「なんだか最近、リーナは冷たいですよね……そんなに私のことが嫌いなんですか……?」




「えぇ!? いや、そんなこと一度も言ってな―――」




「話してる時に目を合わせてくれなくなりましたし、頭撫でたら怒るようになりましたし、お風呂場にタオルを届けに行ったら罵声が飛びますし……」




「いや、最後のは絶対師匠が悪い……というか、そんなんじゃなくって……っ! その、えっと……嫌いとかってわけではなく……、むしろ恥ずかしいと言うか……」




「……僕ってそんなに役立たずですか―――って、うわッ!?」




その言葉を発すると同時、視界がぐらりと揺れる。




気がつくと天井、とリーナ。なにが起こったのか分からずに混乱していると、リーナが顔を近づけながら言った。




「なんでいっつも自分を卑下するんですか……! 私の師匠なんですからもっと自信持ってくださいよ……!」




「で、ですが……私は師匠なのに魔法さえ扱えず、むしろリーナの足を引っ張るばかりで……。これでは大魔術師はおろか師匠失格ですよ……」




「そんなの……! ……誰かが師匠に言ったんですか……?」




「それは……ポンコツとは言われますが」




「だったら良いじゃないですか……! 誰も師匠失格だなんて思ってないなら、私だけの師匠であってくださいよ……! 私の師匠は…もっとかっこよくって、優しくて、どん底の人生から私を救ってくれた……、皆に自慢できる最高の師匠なんですから……!」




「リーナ……」




今にも泣きだしそうな顔で、リーナは僕のローブを強く握りしめていた。




「……結構勇気出したんですよ? こんな恥ずかしいこと…師匠以外にできませんよ……」




「…………」




「あはは…まだ分からないんですか? ……ほんと鈍いですね。でも師匠なら納得ですよ……なら、ちゃんと教えてあげますね」




顔が近くなる。頬に手を置かれ、リーナの赤面した顔が近づいて来る。




「あの時からずっと……私、師匠のことが―――!」










「―――あのう、わしの家でいちゃつくのはそろそろご遠慮願いますかな?」








「……え?」




振り向くと長老が。あれ、いつからそこに……?




「あんた方が貝殻持って入って来てからずっとここにいたじゃろうが。まさか気づいていなかったとでも?」




「い、いいえっ! もちろん気づいてましたよ! もう、長老様はご冗談も達者ですねー」




全く分からなかった。うわ、どうしよう、すごく恥ずかしい……




この場から離れようとする。だが、リーナが馬乗りになったまま固まっているせいで動けない。




「リ、リーナ……そろそろ肥料を撒きに行きましょう……!」




「うあぁぁぁぁ何やってんの私ぃ~~~っ!!? あああ~~もう無理動けない絶対顔見れないむりむりむりむりぃ…………っ!」




「ほらリーナ、僕がおぶっておげますから……! では長老様、僕たちはここで失礼しますので―――!」




逃げるように長老の家を去り、仕事を済ませる。




背中でリーナをおぶり、前に背負った袋に入った肥料を農家の方々に手渡していく姿は、きっと奇妙に思われただろう。




でもそんなことを気にかける余裕は全くない。




ただただ無心で、肥料を手渡し続けた。








ーーー








今日の依頼を完了させ、僕のリーナは拠点がある丘への帰り道を歩いていた。




「リーナ、そろそろ落ち着きましたか?」




そう訊くも、リーナは顔を埋めたまま背中で動かない。




どうしたものかと悩んでいると、リーナは少しだけ覗き込むような声で呟いた。




「こうやっておんぶされてると、あの時のこと思い出すよ……」




あの時。それがいつなのかは言われなくても分かる。




「いいのですか? あまり思い出したくない記憶なのだとばかり思ってましたが……」




「いいの、今だけは。なんだかそんな気分だから……やっぱり師匠は優しいね」




「いいえ、僕は別に……」




「お父さんとお母さんに売られた時、これは夢なんだと思ってた。大好きだったあの人たちが私を裏切るだなんて普通思わないもん」




「……決して肩を持つわけではありませんが、その方たちも明日を生きるために必死だったんだと思います。それこそ、家族愛を捨ててしまうほどに……」




「分かってるよ、そんなの。でも皮肉だよね……捨てられた私が生き続けて、生きようとした二人はもうここにはいないんだから……」




あの村はリーナの故郷だ。でもそれを知っているのは長老様しかいない。リーナを知る者たちは皆旅立ってしまったから。




「師匠が助け出してくれなかったら、きっと私も同じ目に会ってた。冷たい牢屋の中で一生飼い殺しにされて、こうして師匠の温もりを感じられなかった」




「そうですか……」




あの時の骨のように細々として今にも死に絶えてしまいそうなリーナの姿を思い出す。




都からこの地方までずっと背中に背負って歩き続け、その間も震えながら泣いていたリーナ。




それでも彼女は、僕を信じてついて来てくれた。誰も信じられない牢獄の中で、彼女は僕の言葉を信じてくれたんだ。




今この場で背負っているリーナの身体はとても温かくて落ち着く。きっとリーナも同じなのだろう。




「師匠、私ってまだ子供なのかな……」




「そうですね、リーナはまだ十七、僕と比べればまだ子供ですよ」




「でも師匠と五歳しか離れてないよ。そんなの大して変わんないじゃん―――って、年齢の話じゃないよ……!」




「ふふっ、分かってますよ。少し揶揄ってみたくなっただけです」




「全く、空気読んでよ…もう……!」




後ろから頬をつねられる。い、痛い……




「で、でも……リーナはしっかりしていますし、魔法も卓越しています。それこそどこへ出しても自慢できる立派な弟子ですよ、リーナは」




「なんだ、全然分かってないじゃん……! 他人から一人前に思われたってこれっぽっちも嬉しくないのに……」




「そうですか? 僕は他人から一人前の大魔術師と呼ばれたら嬉しいですよ? なにしろ僕の現状は称賛ではなく魔法も使えないポンコツ呼ばわりですからね……」




「それは師匠だからでしょ……私はそんなのじゃ嬉しくならない……だって私、肝心な人にさえ見てもらえればそれで十分なんだから……」




ローブを握る力が強くなる。その感触を実感しながら、僕はゆっくりと語り始めた。




「……リーナはそのように考えていますが、時に信頼というものは自身をより大きく見せることがあります。どんなに卓越した才能を持っていようとも、他人から信頼されること以上の武器はない、と。現に今日の村の人達はリーナの働きをとても喜んでいましたよ。覚えていませんか?」




肥料を作成したリーナに感謝する人々。今日だけではない。魔力で力仕事を率先して行う彼女の姿に皆が信頼を寄せていた。




「それは、覚えてるけど……」




「村の人達のために頑張り、皆から頼られるリーナの姿を見て、僕は貴方のことを師匠として誇りに思いました。本当ですよ? ……だから今後なにがあっても、この繋がりだけは決して忘れないでください」




「……うん、分かった」




「ふふっ、良い返事です」




弟子の返事に満足し、僕は笑みをこぼす。




「それにしても……ようやくリーナの巣立ちに展望が見えましたね。本来ならとっくに免許皆伝していたのですが」




「だって……師匠と離れたくないから……」




「一度外の世界を経験するのも悪くはないですよ。その土地の人々に触れて、文化を知って、一回り大きくなって……そうしたらまたこの地に帰ってくればいいんですから」




「でも……まだ一緒にいたい。一人で誰も知らない土地に行くなんて、怖くてできないよ……」




「すぐにとは言いません。一年でも二年でも、それこそ何十年経ってもいい。リーナがそう決意した時が旅立ちの日です。その時が来るまではいつまでも一緒にいますよ」




「……うん、ありがとう師匠」




安心したのか、震えていた声は次第に落ち着きを取り戻している。




しっかりしているようでまだまだ子供、弱気になるといつもこうなのだ。




巣立ちはまだ先なのかもしれない。でも、リーナが意識してくれただけでも良い収穫でしょう。




「……ねえ、もしも…もしもだよ? 私が巣立ちして、外の世界で旅して、そしてまたこの場所に帰ってきたらさ……私のこと、一人前だって認めてくれる……?」




「はい、認めますよ。立派な大人だと認識を改めます」




「い、一人前って認めたらさ……わ、私の気持ち、気づいてくれる……?」




「……そうですね。なにしろ、大人ですからね」




「そ、そっか……えへへ」




「ふふっ、こそばゆいものですね、これは……」




「も、もう取り消せないからね? 後になって嘘は駄目だからね?」




「はい、分かってます。……待ってますよ、その時が来ることを」




「うん……! 絶対帰って来るから……!」




元気よくそう返事をするリーナ。それだけで僕は満足だった。




いつかはやってくる巣立ち。それは必ずしも良いことばかりとは限らない。




一度未来を絶たれたリーナにとって、分からないことばかりの将来をもう一度夢見ること自体がとても耐え難いものだ。それはリーナ自身が一番よく分かっている。




それでも僕の言葉を信じて一歩前に進もうとしてくれた。それがこの上なく嬉しい。




リーナとの別れはとても辛い。師弟関係以上に、僕にとってリーナは愛すべき異性だから。




でも少しだけ、いつかやってくる別れの時が楽しみへと変わった。




出会いがあるから別れがある、別れがあるから出会いがある。




来たるべきその時まで、僕は彼女を待ち続けよう。そう思えたから。




「よし! 今日も美味しい手料理作ってあげるから楽しみにしててよ、師匠!」




「おや、それは楽しみですね。なんだかお腹が空いてきましたよ」




他愛のない会話をしながら、僕たちは今日も我が家へと歩いていった。 

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