"少年"の独白

鍵月魅争

"少年"の独白

 僕は、あの子の背中を力強く押した。あの子は押した勢いそのままに、僕がどれだけ手を伸ばしても届かないような遠い遠い向こう側へ行ってしまった。どれだけ足掻いても傍にも近付けない、触れることも出来ないような距離が生まれていく。

 下唇を噛んで溢れそうになる涙をこらえる。体を動かして階段をおりる。音を出さないように、だけど足早に屋上から離れる。もう1秒でもその場に留まっていたくなかった。走るように階段をおりる。涙で視界が見えなかった。何度かつまづいた。足が滑ってくじいたかもしれない。それでも逃げた。逃げてしまった。

 僕はあの子に裏切られたんだ、僕がやった事は間違ってない、あの子の背中を押した事は正解だった。あの子があんな事を言い出したから、僕はこんな選択をした。僕は正しかった。あの子が悪いんだ。そう思いたいのに、後悔が涙となって溢れ出てくる。行き場のない罪悪感が、僕を突き動かす。

 僕に優しくしてくれたあの子。それなのに、僕はあの子に対して何が出来たんだ?何をしでかしたんだ?もう合わせる顔もない。もし次会えるんだとしても、きっと前までの関係に戻れない。僕があの子との関係を壊したんだ。背中を押して、あの子との関係を目に見える形で壊した。

 普段から人が来ない場所で良かった。絶対にこんなところを見られたら、変な目で見られるに違いない。誰もいないトイレの個室に入って、袖で涙を拭う。声を上げて泣きじゃくる。

 何分経ったんだろう。1分も経ってないかもしれない。落ち着いてきた。今頃あの子はどうなってるんだろう。向こうでどんな顔をしているんだろう。

 トイレを出て教室に入ってカバンを持って、誰にも見られないように学校を出る。自転車に乗る気力も湧かなくて、降りながら歩く。あの子は今どうなってるかな。少し振り返った視界の先に入ってきたのは、あの子を抱きしめる彼の姿だった。

 泣いている彼の姿を見て、憎悪が湧き出す。彼さえいなかったら僕はこんな事をしなかった。僕とあの子の関係は壊れなかった。彼が全てを変えてしまった。彼に全てを変えられた。

 彼と目が合ったような気がした。一瞬だったからあの目に浮かぶ感情はわからなかったけど、なんとなくは分かる。彼の視線から逃げるように自転車に乗って全力で漕ぐ。カゴに入っているヘルメットすら被らず、スピードをあげて逃げる。

 彼の目には僕はどう映っているんだろう。自分のことを好きになってくれた人を突き放した悪者か?それともあの子から離れていく愚者か?どっちでもいい。僕はどっちでもあるんだ。だけど彼も同じなんだ。僕からあの子を奪った、あの子の隣を僕から奪った。

 あの子と最初に会ったのはバイト先だった。1年生の夏、偶然バイト先が同じだった僕らはすぐに仲良くなった。バイト先でもすぐに人と仲良くなれていたあの子。僕はバイト先でも学校でも少し浮いていた。

 理由は痛いくらいわかっていた。僕が人とは少し違う。それが原因で周りから距離を置かれていた。僕が僕らしくいるだけで、距離を置かれていた。

 どこでも浮いていた僕を、周囲に繋ぎ止めていたのは他の誰でもないあの子だった。あの子が環境に僕が入れる居場所になってくれていた。

 あの子は女の子のグループで、いつも周りを笑顔にさせていた。それに比べて僕はどのグループにも入れず、寧ろ周りから拒絶されてそれを受け入れていた。あの子が周りの子と話している時は、僕は誰とも話さずに窓の外を見ていた。それだけが僕の居場所だった。

 バイト先で仲良くなってからは、あの子は学校でも話しかけてくれるようになった。あの子のグループにも快く迎え入れてくれた。そのグループの子達も最初は拒絶してたけど、あの子が話してくれて理解してもらえた。バイト先の先輩も、あの子と一緒に関わっていくうちに受け入れてくれるようになった。

 話していると必ず笑顔になってくれた。僕が悩んでいると、話を聞いてくれた。初めて家族以外で僕を受け入れてくれた。僕を他の人達と一緒に扱ってくれた。

 僕はあの子のそういうところに惹かれていった。初めてずっと一緒に居たいと思った。友達、親友、その先にまでなりたかった。なれなくても、隣で暮らしていたかった。

 バイトのシフトを合わせて、学校帰りに一緒にバイト先に行って、バイトが終わったら一緒に家に帰った。たまにあの子の好きなクレープを一緒に買って食べながら帰ったりもした。

 だけど、いつしかその空間に別の人間が入ってきた。彼は同じクラスの人。あの子とは全く違う性格で、あの子には釣り合わないような人間だった。

 けれど、あの子は違った。シフトが合わなくなって、一緒に居る時間も減っていった。僕と一緒にいる時間にも、彼の話が多くなった。僕と話している間に彼が話しかけてくると、すぐに彼の方に行ってしまった。

 彼に対して恨みを覚え始めた。あの子に裏切られたような気持ちになった。実際にはあの子は僕を裏切ってなんかない、今までの関係と彼に対する気持ちで挟まれていたんだろう。でも裏切られた。

 彼よりあの子に似合う人になろう、あの子に釣り合う人間になろう。そう決意して自分を変えていった。もっと男らしくなりたい、あの子が格好良いと言っていた服を着て、格好良いと言ってくれた髪型を維持した。ずっとあの子に振り向いてもらいたかった。

 時間がある時にあの子に告白もしてみたりした。けれどあの子はいつも笑って誤魔化した。この関係を続けたい、親友以上になってあげられない、あの子はそう呟いていた。それでも、想いを伝え続けた。

 けれど、そんな優しい世界じゃなかった。バイト先であの子と先輩が話している声が聞こえてしまった。

 偶然聞こえた内容は、僕にとってはとてもショックだった。僕は自分の事が嫌いになった。元々嫌いだったのが更に嫌いになった。あの子はその口から、同性同士の恋愛はおかしいと零した。

 なんでこんな体に生まれたんだ。高い声も、膨らんだ胸も要らない。低い声が、力強い体が欲しかった。女性として生まれたくなかった。男として、あの子と一緒に居たかった。

 その日はバイトを早退して家に帰った。あの子と一緒になれない。そんな事実が僕の頭の中を支配した。僕がどれだけ望んでも、あの子とこれ以上の関係にはなれない。ずっと告白を誤魔化された理由がわかってしまった。

 それでも、あの子は優しくしてくれた。少し距離を置いてしまった僕に、今までと同じ親友で居てくれた。僕とまだ一緒に居てくれた。

 いつしか僕も、親友の先になる事を諦めた。その代わりにずっと親友で、あの子の隣に居ようと思った。あの子の隣は彼でも奪えない、僕だけの場所なんだ。ずっとそう思っていた。

 だから、屋上に出る階段であの子から彼に告白すると言われた時は世界が壊れたような気がした。告白するから応援して欲しい、勇気が出ないから頑張れって言って欲しい。あの子は僕にそんな事を告げた。

 思考が止まった。そして彼に対する憎悪が、怒りが抑えきれないくらいに溢れ出てきた。それと同時にあの子に対しても裏切られた気持ちが湧いた。僕はあの子にとって1番大切な人間じゃなかったんだと、今まで築いた友情はあの子にとっては彼に対する愛情の次に大切だったんだ。

 彼はいきなり出て来た人間なんだ。あの子の事は僕が1番知っている。彼よりも僕の方が、あの子に釣り合っている。僕がずっとあの子の隣に居るのが良いんだ。僕があの子の隣に居ることがあの子にとって幸せな事なんだ。

 そんな想いは言葉に出さなかった。僕はあの子の事が好きな人間でもあるけど、それ以前にあの子の1番の親友なんだ。あの子の恋を邪魔したい、あの子の恋の矢印を僕に向けたい気持ちと、あの子の親友としてあの子の恋を応援してあげたい、好きな人と一緒に笑顔で居て欲しい気持ちが同時に湧いた。

 あの子は僕にとってとても大切な人。だから独り占めしていたい、だけどあの子に幸せになって欲しい。

 あの子は何も話さなくなった僕を心配してくれた。なんて僕は嫌な奴なんだろう。こんな優しい人に対して、こんなに汚れた感情を向けている酷い人だ。

 何か言わなきゃいけない。今ならあの子を引き止めることが出来る。今ならあの子に自分の想いを伝えることが出来る。今じゃなきゃこの想いは消化されない。

 それなのに口から出たのは"あの子ととても仲がいい同性"である僕の言葉だった。「頑張ってね、僕はずっと応援してるよ。きっと大丈夫だよ、自分を信じて」なんて、半分本心半分嘘の言葉だった。"あの子の事を好きになった異性"としての僕の言葉じゃなかった。

 僕の言葉を聞いてあの子は笑顔になった。頑張る、もし振られても同じ関係でいようね。とあの子は言った。裏を返したら、成功したら今までの関係じゃなくなる、今までのあの子の隣に居るのは僕という関係が壊れてしまうことになるんだ。

 成功して欲しくない、彼に振られて欲しい。今まであの子の隣に居たのは僕で、これからだってあの子の隣に居るのは僕なんだ。彼なんかが僕の居場所に立てるわけが無い。彼なんかに僕の居場所を奪われたくない。僕はあの子にとって唯一の人間なんだ。

 声に出せない言葉が、僕の中だけで消えていく。言いたい言葉が言えずに溶けていく。

 あの子は僕の感情を知らずに、知る事が出来ずに彼が待つ屋上に向かう為に振り向いた。どこか、心の奥で彼とあの子は上手くいってしまうと気付いていた。彼は僕よりも上手にあの子と向き合う、きっと彼はあの子に純粋な愛を注いで、あの子の居場所になってあげられる。あの子と彼は付き合って、後には1人だけの僕が残る。

 そして僕は手を伸ばした。"あの子に恋をして失恋をした僕"があの子の背中に手を伸ばした。せめてあの子は幸せになって欲しい。あの子が愛する人と2人で幸せになって欲しい。そんな想いを込めて、両手をあの子に伸ばした。

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