2 オーディション
それは小さな公募告知だった。なけなしの貯金をはたいて、あまりメジャーとは言えないアイドル雑誌「IDOL FAN」の隅っこに、新規音楽事務所の設立とメンバー募集の広告を載せたのだ。オーディション会場の場所、日時に課題曲を併記して。
こんな小さな扱いで、いったいどれ程の人が集まるのだろう? 勿論、ネットやSNSでも出来得る限りの情報拡散はしたが、アイドルになりたいと夢見る女の子たちの目にそれが触れなければ、何の意味も無い。彼女たちがオーディション会場に足を運んで来てくれる保証など、何処にも無いのだ。
アイドルの卵たちが、本当に来てくれるのだろうか?
それは土井たちの、偽らざる本心だった。
「やっぱり男性アイドルも、考えるべきだったんじゃないか?」
そこは、オーディション会場となる御茶ノ水の裏通りにある栄スタジオだった。音響機材のセッティングを終えた横山桔平が首に巻いたタオルで顔を拭きながら、土井からは一つ空けて端っこの席に「よいしょ」と座った。バンド時代の横山はキーボード全般を担当し、種々雑多な機材の扱いにも長けている。従って、こういった時の実務面は彼に任せるのが一番なのだ。
「うぅ~ん・・・ そうなのかもしれないけど、男性アイドルと女性アイドルでは売り方とかが全然違うんじゃないのかな? 残念だけど俺たちは、女性目線で男性アイドルを見たことが無いからさ。どうすればファンを獲得できるかとか、全く判らないじゃん」
「まぁ、確かに」と、横山は遠い目をした。「俺の妹が昔、ナントカっていう男性アイドルグループに熱を上げてたけど、そいつらの何がイイのか、俺にはさっぱり判らなかったもんな」
二人がそんな会話を交わしていると、後ろから京花が割り込んで来た。彼女は二人の間の椅子を引くと、そこに腰かけて脚を組む。
「ちょっとちょっと。私がいること忘れないでよね。これでも女子なんだから。男性アイドルグループのことなら、私に聞きなさいってば」
ドラムを担当していた紅一点、白河京花だ。だが土井たちが、彼女のアドバイスをもってして、男性アイドルをプロデュースしようという選択肢を考えなかったのには訳が有る。
「だってお前、アイドルなんかに興味無いじゃん!」
「そぉーだよ。お前、ヘビメタしか聴いたこと無いんだろ? お前にとっての神は、IRON MAIDENだったよな?」
「なぁに言っちゃってんの、君たち!? 私、BABYMETALはメッチャ聴いてるんだからね! アイドルだって、ちゃんと判ってるんだって!」
「バァ~カ。BABYMETALは女性アイドルだっつぅの!」
「あっ、そっか」
「がはははは」
そこに、兼安の声が届く。彼は土井を挟んで京花とは反対側の席で、ヘッドフォンをしながら、マイクとカラオケの音量バランスを気にしているようだ。
「横山。課題曲のオケを流してくれよ。それから京花。そこのマイクで歌ってみてくれ。ちなみにBABYMETALはもう、アイドルなんて範疇に収まる様なミュージシャンじゃないぞ」
相変わらず兼安は真面目だ。だが、真面目だからこそメンバーから信頼されてもいるのだ。横山と京花は文句を言う素振りも見せず、兼安の要望を満たし始めた。
「オッケー。んじゃ課題曲。Cissの "Primal Love" いきまーす」
パソコンを含む音響機材の前に座った横山が声を掛けると、マイクの前に立った京花が渋い顔をして見せた。
「えぇ~、 "Primal Love" ? あの曲、むっちゃ声が高くて歌えないんだよ~。ってか、こんな難しい曲を課題曲にするなんて、あつし、あんた意地悪だね~」
「お前がオーディション受けるわけじゃないんだから、文句言ってんじゃねぇよ、ったく。ボリューム調整するだけだから、適当に歌っとけっつうの」と横山が呟くのが聞こえた。
京花の女性とは思えないトボけた味と、それにツッコミを入れる横山の絶妙な掛け合い。そんなお茶らけにはクスリとも笑わず、黙々と自分の成すべきことを成す兼安。そのトリオ漫才のようなノリは、かつてのバンド時代にも皆の心を ──生真面目な兼安当人の心すらも── 和ませていたものだ。どんなに頑張っても脚光を浴びることの無かったあの頃、落ち込むメンバーたちは自分らの漫才でどんなに救われただろうか。
あの当時そのままの三人の姿を見た土井は、可笑しさと共に湧き出す懐かしい感情を抑えることが出来なかった。そして、そんな感傷に浸っていることが皆に悟られないよう、彼はドアを開けてそっとスタジオから出て行った。だって、そんなの照れ臭いじゃないか。
そして暫くすると、外の廊下に重ねてあった四脚のパイプ椅子を、両手に二脚ずつ抱えて戻ってきたのだった。それをスタジオの中央付近に並べながら言う。
「椅子は四つも有れば充分かな?」
当然ながら、京花が絡んでくる。
「一個でいいよ、一個で。ってか、誰も来ないんじゃね? そしたら昔みたく、このメンバーで演奏でもしようよ。高い金払ってスタジオ借りてんだ。それくらいしないと元が取れないしさ」
「楽器なんか持って来てねぇっつうの! 備え付けのドラムセットしか無ぇじゃん!」
すかさず横山が茶々を入れると、負けじと京花が返す。
「そんじゃ、私のドラムソロってことで」
「独りでやれっ! 俺は帰る!」
ちょっと目を離すと直ぐに始まる二人の漫才に、土井がクスリと笑う。そしてスタジオの壁に掛かるデジタルの時計を見て、彼は右手を挙げた。
「んじゃぁ、そろそろ時間だ。俺は外を見てくるから、みんなはスタンバっててくれ」
そう言ってスタジオを出て行く土井の後ろ姿を見送りながら、京花がこぼした。
「本当に来るのかな? だぁ~れも来なかったりして」
折り畳み式の安っぽい長テーブルの反対側に回り込み、同じく安っぽいパイプ椅子に就きながら言う京花に、横山が渋い顔を向ける。
「縁起でもないこと言うなよ。たとえ来なくても、また違った形で募集すればいいんだから。なっ、そうだろ、兼安!」
身体を仰け反らせて、一番遠い席に就く兼安に問いかける横山。しかし、京花の背中越しに二人の視線が重なっても、兼安は何も言わなかった。その反応を見た横山が恐る恐る聞く。
「次の手は・・・ もう考えてあるん・・・ だよな?」
一瞬の沈黙の後、兼安は静かに言った。
「土井に聞け」
その答えを聞いた途端、横山と京花が一斉に崩れ落ちた。そして堰を切ったように喋り出す。
「かぁーーーっ! ダメだ、こりゃ!」
「哲也に任せちゃダメだって! アイツ行き当たりばったりじゃんっ!」
「そうだよ、お前がやれよ、兼安。そっちの方のマネージメントもさ」
だが兼安は表情も変えずに、飄々と返す。
「俺は音楽面を頼むと言われてる。奴のマネージメントを抜かり無くフォローするのは、お前たちの仕事だぞ」
兼安の冷静極まりない口調に圧され、二人が返す言葉も無く口をパクパクさせていると、スタジオのドアが躊躇いがちに開いた。そして、その隙間からオズオズと土井が顔を覗かせたのだった。
「す、すまん・・・ そのパイプ椅子、片付けてくれないか」
土井の蒼白な顔を見た横山が言う。
「や・・・ やっぱダメだったか・・・。そうだよな。最初っから上手くいくはずなんて無いよな。世の中、そんなに甘くはないってことか・・・。はいはい、判ってましたよ」
気落ちした様子で頭を振る横山に、京花が気を遣う。
「まっ、次の手考えようよ。まだ始めたばっかりだしさ。これで終わりじゃないって」
そう言って彼女は立ち上がり、既に椅子を片付け始めている兼安に手を貸した。それを目で追った横山は「ふぅ」と溜息をつくと、自分の目の前にある、音楽ソースの再生準備が整っていたパソコンのシャットダウンを開始した。
しかしドアの陰から顔だけを突っ込んでいる土井は、なおもモゴモゴと言葉を続けている。
「い、いや。そうじゃないんだ・・・」
撤収作業を始めていた三人は、ポカンとした視線を送る。その視線に耐えかねるといった風情で、土井は恥ずかしそうに言った。
「す・・・ すげぇ人が集まってる」
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