スケバンお嬢様、クルセイダー加藤

長田桂陣

第1話

感染症の流行で、移動が厳しく制限された子供たち。

そんな時代にスケバンに憧れる一人の少女が、とあるお嬢様学園に臨時編入した。

これは、もしかすると、どこかで在ったかもしれない物語。



「ですから、問題が起きてからでは遅いと忠告しているのです」


 連理れんり女学園合同校舎の生徒会室。

 その応接スペースで学園OGの女性は声を荒らげた。


「この伝統ある連理の学び舎に部外者を迎え入れるなど、許されるはずがないでしょう?」


 まくし立てるOGの勢いは止まらない。

 その話を応接用のソファーで静かに聞いていたのは連理れんり女学園の制服に身を包む少女だった。

 彼女は手元のタブレットから視線を上げること無く静かに応えた。


「そういった苦情であれば、理事会の方へいかれては如何でしょう?」


「もちろん、もう行きましたわ。ですが私も連女のOGです。こういった判断が生徒の自治に任される校風もよく存じていましてよ、生徒会長さん」


 その言葉に少女が顔をあげる。


生徒会長です」


 連理れんり女学園臨時生徒会、生徒会長の志村春香。

 連女の制服、深緑のワンピースを着こなした、凛とした佇まいの和風美人だ。

 長く黒いストレートヘアは、高い位置でポニーテールにまとめられている。

 太いカチューシャで晒された広い額からは知性を、ワンピースを押し上げる立派な双丘からは母性を感じる。

 まさに連女の理念を体現したような少女だ。


 志村は再びタブレットに視線を落とすと画面をスワイプする。

 資料を眺めているのだろう。


「彼女は本人の資質はもちろん、家柄もよく問題のあるような生徒ではありません」


「だけど、連理に入学できなかった生徒でしょう?」


 その言葉は、母校を誇るものだったのか、あるいは自分の出身校に対する自尊心の現れか。

 志村が大きなため息をついた。


「彼女は連理女学院を受験していません」


 受験に失敗したわけではない。

 そう言ったつもりが、OGには別の意味に聞こえたらしい。


「ならば、もともと連理の制服に袖を通す資格が無かったのでしょう。深緑のワンピースに純白で象られた連理の木の刺繍。この制服を着ることができるものだけが、この学舎に通うだけの価値ある――」


 そこでOGは言葉を詰まらせた。

 その視線は、対面の志村を見ては居ない。

 志村の後ろ側、窓の外を見ているようだ。

 志村が振り返り、その視線の先を追えば――。



 学園は午前の授業を終え、既に昼休みの休憩時間である。

 そんな時間に、連理女学園の門をくぐったひとりの少女がいた。


 だが、その服装は連理女学園の少女たちとは少々異なっている。

 防寒着が連理女学院指定のケープ付きのオーバーコートではない。

 スカジャンである。


 刺繍が純白のワンポイントではない。

 正面から背中まで極彩色でデカデカと入っている。


 その柄が連理の木ではない。

 鉄仮面の怪人である。


「うー、寒っび」


 12月の初旬。

 加藤碧螺春へきらしゅんはスカジャンのポケットに手を入れたまま空を仰いだ。

 まもなく、他校の生徒を本格的にむかえる臨時合同校舎は厚い冬の雲に覆われている。

 この校舎に通って一週間が経つが、まだ慣れたとは言い難い。

 とくに苦手なのが挨拶だった。

 ごきげんよう、のそれである。


「なにが、ごけんだってーの。こちとら全くご機嫌なんかじゃねーよ」


 碧螺春へきらしゅんがご機嫌ではなく、不機嫌なのもしかたの無いことだ。


 第一に買ったばかりの自転車で通学が出来ない。

 徒歩圏内ではあるものの、多少遠いからと碧螺春は自転車を買った。

 しかし、それは足を揃えてのれないスポーツタイプ。

 セーラー服姿で颯爽と曲がったところ母親から通学での利用禁止が言い渡された。


 それはまぁ良いだろう。碧螺春とて下着を見せて走る趣味はない。

 問題はそもそも通学用の自転車を買った理由だ。


 彼女はでなければ、県外の工業高へ電車通学していたはずだった。

 しかし、毎日くりかえされる満員電車を乗り継いで2時間。

 未だ感染者ナシのベッドタウンから、そんな県外登校が許されることはなかった。

 

 幸いにして彼女が求める整備士の技術と実務経験に関しては、実家で学ぶことができた。

 町で唯一の自動車整備工場『加藤チャンピオンパワーエンジニアリング』が碧螺春へきらしゅんの実家であり住まいである。

 現に今日も午前の授業は免除され、実習と言う名の手伝いをしていたのだ。


 そもそも、碧螺春へきらしゅんは中卒で実家へ就職しようとしていた。

 ――わが社の入社資格は高卒以上だ。

 しかし、社長である父の許しは下りなかった。

 それで渋々、県外の自動車科がある高校へ進学したのだが、そんな状況下でこのである。


 そんなおり、この鳥双町で唯一県外まで通学する彼女を、支援できないかと動いた学校があった。

 この連理女学園である。

 なんでも、生徒会の働きかけで理事会まで動かしたらしい。


「あの野郎、余計なことしやがって。こちとら中卒で十分なんだよ」


 ほんの数日前の騒動を思い出して、碧螺春へきらしゅんは悪態をついた。

 そんな碧螺春へきらしゅんではあるが、せっかく高校生になったので目指していることがあった。


 スケバンになる事である。


 きっかけは幼い頃にだった。


 雑誌の特集は、鉄仮面を被りヨーヨーを武器に悪をバタバタとなぎ倒すセーラー服姿の高校生だった。

 整備工場で育った碧螺春へきらしゅんは金属に愛着があったものの、周囲にはそんな女の子は居ない。

 しかしそんな碧螺春へきらしゅんに男の子は道を指し示したのだ。

「スケバンはかっこいいよな」

 そのとき、碧螺春へきらしゅんは銀色のヘルメットを被りセーラー服姿で颯爽と通学する自分を夢見たのである。


「こんなお嬢様学校で、スケバンやってられるかっつーの」


 スケバンは学校所属が必須だ。

 フリーのスケバンなど居ないので、その点に関しては合同校舎に感謝をしている。


 ぶつくさと文句を言いながら、校門から玄関口に向かう。

 駐車場に並ぶ教師の車がきになるのは職業病だろう。


 そして、来客用の駐車場に止められた軽自動車に気がついた。

 女性に人気の軽自動車だ。

 その車体には可愛らしいロゴが入っている。

 そして、そのロゴはタイヤのホイールカバーにも付いていた。

 その組み合わせに碧螺春へきらしゅんは思わず声を上げた。


「おいおい、マジかよ」



 場面は再び生徒会室に戻る。


「なんですの、あのふざけた格好は!?」


 窓の外を指して、OGが生徒会長志村を睨みつけた。

 アレを見られたからには黙ってもいられないだろう。

 志村はわかりきった答えを確認するために、OGの隣に立つ。

 

 その先に居たのは、今まさに名前の上がってた女生徒。

 碧螺春へきらしゅんである。

 出来るだけ何でも無いことのように、志村はOGの質問に答える。


「刺繍の入ったスカジャンですね」


「あの、背中一面が刺繍ですの?」


「そのようです」


 志村はスカジャンの図柄は何だったろうかと記憶を探る。

 記憶力だけなら自信があった。


「たしかそう、鉄仮面」


 その想定外の回答に、OGが洩らす。


「度し難いですわ」


 窓の外の碧螺春へきらしゅんは、二人が見ているなど全く知る由もない。

 ポケットに手をいれたまま、ふらふらと来客用の駐車場に近づいてゆく。

 そして、一台の軽自動車を前に立ち止まった。


「あれは、お客様のお車ですか?」


「そうよ! いったい何をするつもりなの!?」


 志村は碧螺春へきらしゅんが他人の車に何かいたずらするなど、思ってもいない。

 しかし、この状況では触れただけでも問題視されかねない。

 碧螺春へきらしゅんはじっと軽自動車のを眺めてていたが、すぐに玄関に向けてあるき出した。

 OGが何か悪さをするつもりだった、などと言い始めたら面倒だと考える。


 だが、それは杞憂に終わることになる。

 残念ながらより大きな、別の問題が発生したためだった。



 場面は生徒会室から教室に変わる。


 校内に午後の授業を知らせる鐘が鳴った。

 教師の居ない教室で、タブレット越しの午後の授業が始まったのだ。

 教室で机を埋めているのは、教室のわずか半数程度の少女たちだ。


 その少女たちも、授業に集中できてはいない。

 窓から見える、黒く厚い雲が気がかりでならないのだ。


 そんな窓とは真逆の方向。

 廊下からの扉が勢いよく開け放たれた。


「ちーっす」


 鉄仮面の刺繍が入ったスカジャンを、セーラー服の上から羽織った少女。

 大人の男性と遜色ないほどの高い身長に、ウェーブのかかった茶色く短い髪。

 来春から本格的に始まる、合同校舎の試験採用生徒。

 加藤碧螺春へきらしゅん


「起立!」


 クラス委員の少女が、思わず号令をかける。

 天気が気になり上の空だったのだ。

 余所見をしていたところにチャイムが鳴り、直後にドアから人影が現れた。 

 反射的に言ってしまった「起立」に、クラス委員長は顔を真赤にして固まってしまう。


 ぺたん。

 ぺたん。


 このような痴態に慣れていない、連女の少女が泣き出すのは時間の問題だった。


 ぺたん。

 ぺたん。


 かかとを踏み潰した安物の内履が床を鳴らす。

 碧螺春へきらしゅんはそのまま教卓に向かった。


 堂々と教卓で構えると、まるで教師のように生徒たちを一望する。

 そして、パンパンと手を打ち鳴らし、イタズラっ子のチャーミングな笑みを浮かべて言った。


「さぁ、どうした。みんな起立しろー」


 淑女であれと日頃から教育を受けている、連理れんり女学院高等学校、通称「連女れんじょ」の生徒。

 普段は羽目を外せない、規律に縛られた少女たちである。


 突然始まったお遊びに、少女たちはドキドキしている。

 碧螺春は自分の容姿が女性に受ける自覚がある。

 整備工場でも若い女性客に人気があるのだ。

 意図的に女性ウケする笑みで促せば、クスクスと笑いを堪えながら全員が立ち上がる。


 授業中にこんな楽しい事をして良いのかしら?

 皆が笑いを堪えている中、碧螺春は言った。


「ごきげんよう」


「はい、ごきげんよう。加藤先生」


 そして碧螺春は笑い出した。

 それを皮切りに、少女たちも堪えきれなくなり笑い出す。


 クラス委員の少女も笑っていた。



 ピローン


 笑い声を打ち消す、無粋な通知音が鳴る。


 ピローン、ピローン、ピピピピ……


 それは教室の全てのタブレットによる大合唱となった。

 授業中には鳴らないはずの通知音に少女たちが動揺する。

 碧螺春も折りたたんだスマホを取り出した。


『全校生徒に連絡。大雪警報が出ました、本日の授業は終了となります。生徒は速やかに帰宅してください』


 学校が早く終る。

 その連絡は、なにも楽しいことばかりではない。

 場合によっては帰宅困難すらありえる大雪なのだ。

 窓の外を見れば既に雪が降り始めていた。

 それは小さく硬い粒状の雪で、地面に落ちてもすぐに溶けることはない。

 自転車にはもう乗れないだろう。

 徒歩であってもローファーでは心もとない。


「こんなことなら登校するんじゃなかったぜ」


 いまごろ、実家の整備工場はタイヤ交換を希望する客で大忙しだろう。

 早めに帰って手伝いをしようと碧螺春は思う。

 愛用の鞄、マジソンスクエアを再び肩にかけると教室を後にした。



 生徒用玄関は不安そうに外を眺める生徒で溢れていた。

 雪にローファーでは転んでも不思議ではない。

 そんな連女の少女たちをしり目に、碧螺春は外履きに履き替える。

 茶色の安全靴。

 整備工場の支給品で耐荷重はS種、耐滑性能は区分もFを誇る一品だ。

 多少の雪などものともしない。


 雪の降りしきる中、碧螺春は工場から持ってきた真っ黒の傘を差して校門に向かう。

 その途中、色とりどりの傘を差す少女達が人垣を作っていた。


 碧螺春も普段であれば連女の集団へ、好き好んで近づこうとは思わない。

 だがしかし、その輪の中心が自動車となれば話は別だ。


 登校時に見ていたあの来客用駐車場の軽自動車である。


「どうしたんすか?」


 セーラー服姿の碧螺春からの問いかけに、深緑のワンピースに身を包み込んだ少女たちは少々驚きながら道を開けた。


 軽自動車の運転席、スマホで電話をかけている若い女性が居た。

 生徒会室で碧螺春を断罪していた、あのOGである。


 その表情は焦り困り果てており、薄っすらと涙ぐんでるのも見えた。


「あのかた、まだ車のタイヤを交換されてないそうなのよ」


「いまどこかで予約が出来ないかと聞いておられるのですが、どこもいっぱいらしいの」


「お住まいは鳥双町でも、学園からはかなり遠いのですって」


 不安は的中した。

 車のデザインに合わせた可愛らしいホイールはノーマルタイヤならではだ。

 冬用タイヤまでデザインを気にかける女性は少ない。


 碧螺春は真っ先に実家を思い浮かべた。

 スマホを取り出すと、実家の整備工場『加藤チャンピオンパワーエンジニアリング』の事務所に電話をする。


『はい。かとちゃんぺ』


 せっかちな母が、長い会社名を早口で名乗った。

 いつもながら全く聞き取れないと碧螺春は思う。


「社長いる?」


 そんな母に父親の様子をたずねた。

 碧螺春は工業高校へ進学したからには実家のお嬢さんで居るつもりはない。

 父親をパパと呼んで甘えるのは、工場が休みの月曜だけと決めている。


『あんたはまた、お父さんをそんなふうに呼んで。あの人なら雪でてんてこまいやがいね。なにね? 呼んでこよか?』


 予想していた返事だった。


「いや、いいよ。こっちも雪で早めに帰ることになったから」


 そう伝えて電話を切る。



 来客駐車スペースの車は軽自動車だ。

 女性に人気の車種で当然四輪駆動などではない。

 後部座席とリアウィンドウは濃い目のスモークが施され、中は見えないようになっている。


 だが碧螺春はその後部座席にはあるもののシルエットき気づいた。

 雪雲ごしの陽光を傘で遮れば、中を見ることが出来た。

 冬用タイヤが積み込まれていた。


「冬用タイヤ。スタッドレス、積んでるんっすね」


「ええ、ですから後はお店探しだけなんですって。どこもいっぱいらしいのよ」


 ふむ。であれば何も難しい話ではないと碧螺春は結論付けた。

 碧螺春は運転席に歩み寄る。

 運転席側の窓は開け放たれていた。

 心配してくれている生徒たちに囲まれて、自分だけが暖房の効いた車内にいるのは気がひけるのだろう。

 きっと優しい女性に違いないと碧螺春は思った。

 躊躇する理由は何もない。


「お嬢さん。オレがタイヤ交換しましょうか?」



 車内ではOGが電話をかけていた。


『予約であれば来週の木曜が空いてるけど、どうします?』


 スマホから無情な返答が返ってくる。

 手当たり次第に問い合わせをしても、どこも予約でいっぱいだ。


 彼女を心配して女学生が集まっていた。

 OGとしてみっともないところは見せたくは無い。


「いえ……予約は結構です」


 そう応えて通話を切った。

 OGは移動する手段を失ったのだ。

 来週の予約など求めては居ない。


 車が無ければ帰ることが出来ない。

 この雪ではタクシーが来るとも思えない。

 電車を利用したとしても、駅からアパートまで移動する手段が無い。


 うさぎのロゴマークに一目惚れして決めた車だった。

 この車と生活するため、駅から遠くても駐車場つきのアパートを選んだ。


 どうして良いのかわからなくなる。

 助手席側の収納に閉じ込めた、うさぎのぬいぐるみが恋しくなった。

 匂いを嗅ぎたい。

 普段は見えるところに飾っている。

 でも、学園にくるときに見栄を張って隠したのだ。


、涙がスマホを濡らした。

 少女達が見ている。

 恥ずかしい。


「んなぁー」


 嗚咽が漏れた、そのとき。


「お嬢さん、オレがタイヤ交換しましょうか?」


「え?」


 半泣きだったOGの反応はそんなものだった。

 女性にしては少し低いトーンの呼びかけに、OGは泣き顔を上げた。


 車内を覗き込んできたのは鉄仮面だった。

 生徒会室の窓から眺めていた、あの刺繍である。



「お嬢さん、オレがタイヤ交換しましょうか?」


 碧螺春は軽自動車のドア枠に手をかけたまま、再度問いかけた。


「冬タイヤ、積んでいるならココでタイヤ交換しますよ」


 しかし、その問いに応えは返ってこない。

 呟かれたのは、OGにとっての常識だった。


「あなた、何を言っているの? ……ずびぃ。淑女がタイヤ交換だなんて出来るわけないじゃない」


 その驚きは、連女の少女たちも同様だ。


「そうよ加藤さん、車のタイヤですのよ?」


「大きな工場で機械をつかうって聞いたわ」


「男の人が4人がかりで行うものなのよ?」


 なんだその偏った知識は?

 社内を見れば、前列ベンチシート仕様の車である。

 ベンチシートなら運転席からそのまま助手席に移動が出来るのだ。


「お嬢さん、助手席に移ってください」


 若い女性客を「お嬢さん」と呼ぶのは整備工場でのクセである。


「え、えぇ?」


 言われるままにOGが助手席に移動する。

 車に詳しくない客に判断をまかせてはいけない。

 それは「貴女の車はどこが壊れてるんだ?」と素人に聞くようなものだ。

 そんなときは、こちらから答えを用意してやるのが営業だと教わった。


 碧螺春はドアを開けて、今しがたスペースの空いた運転席に乗り込んだ。

 これにより連女の少女たちは大騒ぎである。


「ちょ、ちょっと! 子供は運転席にのっちゃ駄目ですのよ!」


「おまわりさんに、怒られるわよ!」


 車外の騒ぎを無視して碧螺春はパーキングブレーキを踏み込む。


「運転したわ!?」


「いえ、運転はしてないっす。あと、私有地なのでもし運転しても大丈夫なんじゃないっすかね?」


 皆が見守る中、碧螺春は車内から必要なものを探し始めた。


「グローブボックス開けますね」


 助手席側の収納に手をかける。

 そこには、兜から耳を突き出したうさぎのぬいぐるみが押し込まれていた。

 開いた瞬間にぽろりと落ちかけたところを、碧螺春は空中でキャッチする。


「落ちなくてよかった。可愛いうさぎですね」


 ダッシュボードに置きかけると、OGの体がピクリと動いた。

 それに気づいた碧螺春は、兜をかぶったうさぎのぬいぐるみをOGに手渡す。


「持っていてください」


 それからあれよあれよという間に、碧螺春は車内からジャッキとレンチを探し当てた。



「お嬢さん。ジャッキアップするので車から降りてください」


 天候はますます悪化していた。

 碧螺春は自分の使っていた男物の傘をOGに渡す。

 それから雪が積もるアスファルトで、ジャッキを当てて車体を上げ始める。


 ほどなく使い慣れない簡易工具に多少苦労しながらも、1本目のタイヤを交換し終えた。

 心配していた雪は、なぜだか邪魔にならなかった。


 視線をあげると黒い傘が、碧螺春の手元を雪から遮ってくれていた。

 片手に傘を持ち、兜をかぶったうさぎのぬいぐるみの匂いをピスピスと嗅いでいる。

 OGの肩には雪が積もっていた。


 次のタイヤに視線を移すと、後輪の周辺にも雪は積もっていなかった。 

 タイヤの周辺だけではない。

 何本ものカラフルな傘が作業をする碧螺春とその周辺を雪から守っている。


 車体の反対側、助手席側のタイヤの周囲にも傘をさした少女がいる。

 そんな場所では交換作業を見ることは出来ない。

 なんとも地味で、最高に気が効くポジションだろう。

 だが、そこを守るのも重大な使命だとばかりに、クラス委員は両手でしっかりと傘をもっていた。


 軽自動車の周囲には、色とりどり傘でいくつものドームが形成されてたのだ。


「みんな、雪積もってるっすよ?」


 タイヤに傘をかければ、当然持ち主には雪が積もる。


「いえ、私たちに出来るのはこのくらいですから」


 碧螺春にはスケバンになって、欲しかったものがある。

 熱くてかっこいい仲間だ。


 お嬢様学校にそんな熱い奴らは居ないだろうと諦めていた。

 だが、降りしきる雪の中で碧螺春は感じた。


「お嬢様って熱くてかっけーな」


 ならば、さっさと交換を終えてしまおう。

 碧螺春は社長から叩き込まれた身のこなしで、手際よく作業を続けるのであった。



 それから数日後。

 碧螺春の姿は臨時生徒会室にあった。

 通学可能な少女たちのみで作られた、臨時生徒会。


 その臨時生徒会長、志村春香からの招待を受けた。

 なんでもOG会から何か言ってきたらしい。


「先日の大活躍。聞いたわよ、加トちゃ」


 タイヤ交換の一件で碧螺春の好感度はうなぎのぼりだ。


「いや。たいしたことしてねーし」


 二人は幼い頃から同じ住宅地に住む幼なじみだった。


「みんな、加トちゃともっと仲良くなりたいって大騒ぎよ」


「まぁ、そんな感じだな」


 あれから碧螺春の学園生活は一変した。

 もとより長身で中性的なうえに、工場で鍛えた長身もスラッとしている。

 あっという間に、王子様扱いへと祭り上げられてしまった。


 碧螺春の前には三つの褒美と、ひとつの依頼が用意されている。


「まず、ひとつ目」


 生徒会長志村が、一枚の書類を読み上げる。

「加藤碧螺春へきらしゅん。学校指定の制服着用を特別にする」


 連理学園理事長と碧螺春が所属する工業高校、双方の署名と印章が入った正式なものだ。

 志村がうやうやしく渡したその証書はを、碧螺春はぺらぺら振ってみせる。

 これが褒美かと言わんばかりだ。


「ふたつ目はこれよ」


 生徒会メンバーがビニールで包装された制服を志村に渡した。

 深緑のワンピースとボレロ。

 連理れんり女学院の制服である。

 恭しく碧螺春へと手渡す。

 添えられた目録には「OG会寄贈」と書かれていた。

 碧螺春は預かり知らない団体からの寄贈に首をかしげる。


「貴女のような生徒を迎えることが出来て、OG一同光栄との伝言を預かっているわ」


 それは編入までは無理でも、同じ制服に身を包めば疎外感もなくなるだろうとの配慮だ。

 だがしかし、碧螺春はこれもまた興味なさげに受け取る。


「そしてみっつ目」


 志村生徒会長は一対の金属棒が包装された袋を手にする。

 碧螺春の眉がぴくりと反応する。

 そこには世界一の工具メーカー、スナップオンのロゴが輝いている。


 袋から取り出せば一本は真紅、もう一本はシルバーに輝いている。


「こいつが一番うれしいぜ」


 受け取った碧螺春はその棒を十字に組み合わせた。


「皆、あの日の出来事を家に帰って話したの。そうしたら口をそろえて言ったそうよ『車載のL字レンチでタイヤ4本を交換だって? 信じられない。せめて十字レンチでもなければ御免だよ』とね」


「ちがいねぇ」


 あのときこれがあれば、あいつらの肩に雪を積もらせはしなかっただろう。


「さて、その免責状は明日から有効よ。楽しみに待っているわ」


「くれるってんなら、ありがたくもらっとくけどよ」


 志村生徒会長は最後に、一枚の腕章を手にした。


「最後のこれは、お願いになるの」



 その翌日。

 一週間前に鳥双町を騒がせたあの大雪はすっかり姿を消していた。

 急な大雪は一夜限りの気まぐれだったのだ。


 そんな連女の校門は、いつもより早く登校してきた少女たちで賑わっている。


 連女の王子様。

 加藤碧螺春の新たな門出を見逃すまいと、待ち伏せているのである。


碧螺へきら様がいらしたわ!」


 王子様の呼び名は碧螺へきら様に決まったらしい。

 軽快に一台の自転車がやってくる。

 昨日まではとは違うその出で立ちに、連女の生徒たちが黄色い声をあげた。


 正門の中央でその到着を待っていたのは生徒会長志村だ。

 キュッとブレーキ音を立てて、王子様のは停まった。


「よう、志村。おかげで自転車が漕ぎやすくなったぜ。ありがとよ」


 連女の制服はワンピース型だ。

 当然、がっつりと跨って乗らなくてはならないマウンテンバイクなど、乗れるはずがない。

 いや、それはセーラー服のスカートであっても無理なのだ。


 その言葉に生徒会長志村はため息をついた。


「なるほど、そうきたのね」


 碧螺春は深緑のワンピース、連女の制服を着ては来なかった。

 それは女学園にはおよそ似つかわしくないジーンズ生地のつなぎ服だ。


 大きく下げられたジッパーの襟元からは、リボンを着けていない夏用の白セーラー服が覗いていた。

 つなぎ服の胸には彼女の実家である整備工場、加藤チャンピオンパワーエンジニアリングの略称『KATO《カト》.CHAN.ちゃんPE』の刺繍が施されている。


「制服は免除なんだろ?」


「間違いなくそうね」


 碧螺春は、カーゴパンツのポケットからスナップオンのレンチを取り出し、十字に組み合わせる。


「スカートでタイヤ交換なんて淑女として破廉恥だろ? それにほら、考えても見ろよ。オレにあのワンピースは似合わねぇって」


 志村生徒会長はその応えに微笑みで応えた。


「でも、そっちは貰ってくれたのね?」


 碧螺春の左腕に視線を移す。


「くれるもんならこっちの自由。だけどさ、頼まれたら断れないだろ?」


 左腕には腕章が巻かれていた。

 その文面は「校内浄化委員会」とある。

 来春から臨時に編入される共学校の生徒たち。

 男子生徒を含む彼ら相手に、校内のを徹底する重要な役割だ。


 碧螺春は、スナップオンの十字レンチを腕章の巻かれた左手で掲げてみせる。

 

「みんな! ありがとよ! これからよろしくな!」


 しかし、なぜか少女たちは応えてくれない。

 そして、一様にそわそわしている。


 この雰囲気は、いたずらをしている子供のそれだ。

 志村は口元の笑みを隠しきれていない。

 さては、志村め。仕込みやがったな。


 そういえばそうだった。

 ここはお嬢様学校なのだと思いだす。


 ならば、挨拶はこう言わなくてならない。


「ごきげんよー!」


 キャッと黄色い歓声が上がる。


 こうして、連女につなぎ服と十字レンチをトレードマークとした新たな人気者が生まれた。

 その名はスケバンお嬢様、クルセイダー加藤!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スケバンお嬢様、クルセイダー加藤 長田桂陣 @keijin-osada

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ