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2022年4月11日 03:31
すごくこなれた文章で、伝奇歴史ものとしての雰囲気ある文体やリーダビリティの高さには、申し上げることはありません。ストーリー的には、この展開はどうなんだろう、と思う点がなきにしもあらずですが、吸血鬼と赤いチューリップの取り合わせのラストが印象的でしたし、耽美描写優先で書かれたのだと受け止めました。ひとつだけ、やや重箱つつき的なことを。バブルがはじけるであろう、というその説明が今ひとつ納得しづらかったです。春になったら先物として決済する必要があり、その際の現金が実体経済を大きく超えているから暴落するのだ、という理解で合ってますでしょうか? 実は私自身、金融取引に少々心得があるので、余裕を持って読んでいたのですが、真ん中ほどでよくわからなくなって、何度か前の部分を読み直してしまいました。「要するにバブルがはじけるんだよ」ということが明示されればいい箇所だから読み飛ばしてもらうことも可能ですが、このあたりをそつなく描写できていれば、経済小説として頭一つ抜けたのではないかと思ったりもします。長文失礼しました。
作者からの返信
詳しく読んでいただきありがとうございます!『春になったら先物として決済する必要があり、その際の現金が実体経済を大きく超えているから暴落するのだ』そのご理解で良いと思います。この当時の『風の取引』は、いまの『先物取引』と比べてシステムとして不完全だった、というのもひとつにあるでしょう。システムとして導入されていたというより、『風の取引』自体は商慣行として昔からある制度でも、それがチューリップ市場に持ち込まれたことでシステムの不完全性があらわになった、ということかなと思います。現金を持ち歩かなくて良い、いま手元にそれだけの現金がなくても取引に参加できる、という利便性によって、なんとなく「金融的取引に馴染みの薄いチューリップ相場関係者が積極的に使い出した」ため、それまでいわゆる玄人の商人たちが節度を持って使っていた手法の「節度」の箍が外れた状態になっていたのです。(作中にここの説明描写はない)くわえて『万が一、なにかの都合で決済できなかったときの保険的措置』もなにもなかったのです。(ここの説明は作中にない)クレジットノートが導入されてからの1636年秋口から年末の相場の急上昇は尋常ではなく(このあたりの描写は簡単にある)、謂わば市場で取引する者の手持ち資金として100しかないところ、クレジットノートの総額は1000ある、というような状態だったために(このあたりの描写は小説中にはない)、なにかのきっかけで相場への不安がひろがれば、クレジットノートの決済期がいつに設定されていたとしても、その決済は延長されなくなります。すでに1636年年末以降、クレジットノートと手持ち資金の不均衡について不安視する者がでてきており、いつバブルが弾けてもおかしくない状態でしたが(ここは作品中の描写は主人公の不安描写でしかあらわされていない)市場の過熱が一段落するタイミング……『花が咲いて自分の所有する資産が大化けしていないことが判明するタイミング』ここが一番、可能性として高かったのですが、現実にはもうすこし早く、1637年2月3日にとうとうバブルが弾けることとなりました。たしかに作中で描写すべき要素を検証していくと、雰囲気で流してしまって説明を飛ばしているところが多かったですね。改作できるかどうかはよくよく検討してみたいと思います。あまり説明がくどくなっても面白くないとも思いますので……いずれにせよ、ご指摘、ありがとうございます!
すごくこなれた文章で、伝奇歴史ものとしての雰囲気ある文体やリーダビリティの高さには、申し上げることはありません。ストーリー的には、この展開はどうなんだろう、と思う点がなきにしもあらずですが、吸血鬼と赤いチューリップの取り合わせのラストが印象的でしたし、耽美描写優先で書かれたのだと受け止めました。
ひとつだけ、やや重箱つつき的なことを。
バブルがはじけるであろう、というその説明が今ひとつ納得しづらかったです。春になったら先物として決済する必要があり、その際の現金が実体経済を大きく超えているから暴落するのだ、という理解で合ってますでしょうか? 実は私自身、金融取引に少々心得があるので、余裕を持って読んでいたのですが、真ん中ほどでよくわからなくなって、何度か前の部分を読み直してしまいました。「要するにバブルがはじけるんだよ」ということが明示されればいい箇所だから読み飛ばしてもらうことも可能ですが、このあたりをそつなく描写できていれば、経済小説として頭一つ抜けたのではないかと思ったりもします。
長文失礼しました。
作者からの返信
詳しく読んでいただきありがとうございます!
『春になったら先物として決済する必要があり、その際の現金が実体経済を大きく超えているから暴落するのだ』
そのご理解で良いと思います。
この当時の『風の取引』は、いまの『先物取引』と比べてシステムとして不完全だった、というのもひとつにあるでしょう。システムとして導入されていたというより、『風の取引』自体は商慣行として昔からある制度でも、それがチューリップ市場に持ち込まれたことでシステムの不完全性があらわになった、ということかなと思います。
現金を持ち歩かなくて良い、いま手元にそれだけの現金がなくても取引に参加できる、という利便性によって、なんとなく「金融的取引に馴染みの薄いチューリップ相場関係者が積極的に使い出した」ため、それまでいわゆる玄人の商人たちが節度を持って使っていた手法の「節度」の箍が外れた状態になっていたのです。(作中にここの説明描写はない)
くわえて『万が一、なにかの都合で決済できなかったときの保険的措置』もなにもなかったのです。(ここの説明は作中にない)
クレジットノートが導入されてからの1636年秋口から年末の相場の急上昇は尋常ではなく(このあたりの描写は簡単にある)、謂わば市場で取引する者の手持ち資金として100しかないところ、クレジットノートの総額は1000ある、というような状態だったために(このあたりの描写は小説中にはない)、なにかのきっかけで相場への不安がひろがれば、クレジットノートの決済期がいつに設定されていたとしても、その決済は延長されなくなります。すでに1636年年末以降、クレジットノートと手持ち資金の不均衡について不安視する者がでてきており、いつバブルが弾けてもおかしくない状態でしたが(ここは作品中の描写は主人公の不安描写でしかあらわされていない)市場の過熱が一段落するタイミング……『花が咲いて自分の所有する資産が大化けしていないことが判明するタイミング』ここが一番、可能性として高かったのですが、現実にはもうすこし早く、1637年2月3日にとうとうバブルが弾けることとなりました。
たしかに作中で描写すべき要素を検証していくと、雰囲気で流してしまって説明を飛ばしているところが多かったですね。
改作できるかどうかはよくよく検討してみたいと思います。あまり説明がくどくなっても面白くないとも思いますので……
いずれにせよ、ご指摘、ありがとうございます!