念力警視の事件録・0

戯男

終章


「簡単な推理です」

 束宅警部は言った。

「日暮れ頃から降りはじめた雪で中庭は完全に覆われていた。例の離れまで行こうとすれば必ず足跡が残る。ですが中庭には動物が歩いた痕跡すら見当たらない……」

 完全な密室というわけですな、と警部は肩をすくめた。

「警部……」

 持子巡査部長が心配そうに言った。

「飛べでもしない限り、あの離れまで行って犬虹夫人を殺害し、再び戻ってくることは不可能です」

「それはもう散々聞いた」

 広間に集められた九人の一人である画家の脇谷氏が苛立たしげに言った。雪でこの山荘に閉じこめられ、その上殺人の容疑までかけられて気が立っているのだ。

「犯人がわかったというからわざわざ集まってやったんだぞ。本当は部屋から出たくもないんだ。この中に殺人鬼がいるかもしれないのに」

「ええ。もちろん犯人はわかりました」

 警部の言葉に広間の空気が一変した。一瞬のどよめきの後、鋭く張り詰めたようになり、束宅の言葉の続きを全員が息を呑んで待っている。

「飛べでもしない限りは不可能……と私は申し上げました。つまり……」

 と、ここで再びたっぷりと間を取って、警部は続けた。

「つまり、飛ぶことのできる人物が犯人です」

「…………」

「…………」

「…………」

「……け、警部……」

 持子巡査部長が心配そうに言った。

「簡単な推理です。飛べでもしない限りこの犯行は不可能。つまり犯人は飛べるやつだということです」

 警部は全く同じ内容を手短にまとめて繰り返した。

「警部……」

 持子巡査部長が心配そうに言った。

「……バレちゃしょうがねえ」

 その声に全員が振り返った。いや、何人かはその前からすでにそっちを見ていた。

 声の主は医者の頃淵先生だった。その背中——肩甲骨のあたりからは巨大な、真っ白な羽が左右に広がっていた。

「ま……まさかそんな! 先生が!」

 脇谷氏が七つある目をしばたたいた。

「ひどい! 信じてたのに!」

 生竹女史は全身から粘液を出して悲しんだ。

 頃淵先生の体が中に浮かび上がった。

「逃げるぞ!」

「逃がすな!」

 執事の岡目が舌を鞭のように振り回し、門番の角森が腕を伸ばして頃淵に取り縋ろうとした。だが高く舞い上がった頃淵には届かなかった。

「あばよ馬鹿共! 腐れポリ!」

 高笑いを残し、頃淵は夜闇に向かって羽ばたいた。

「警部!」

「慌てるな。大丈夫だ」

 そう言うと、束宅警部はかけていた色の濃いサングラスをゆっくり外した。

 瞬間、警部の両目から光線が発射され、それに撃ち抜かれた頃淵はあえなく爆発四散した。



「警部……」

 持子巡査部長が言った。二人は館を見下ろす丘の上に佇んでいた。

「持子。俺、刑事やめることにしたんだ」

 束宅警部は言った。

「もう嫌になっちゃったんだよ。最近はミュータント犯罪ばっかりだ。今はまだ何とかなってるが、この上ますますわけわからん力を持ったやつが現れるようになったら捜査なんて無意味だ。——警察は割に合わん」

「……警部?」

「これからは犯罪者の時代だ。俺もそうやって生きていくことにした。俺の力があれば何でもできる。ちまちま犯罪者を捕まえてるより、その方がよっぽど人生を楽しめる。こんな時代だ。俺は自分に正直に生きることにした」

「警部」

「おっと。それ以上こっちに来るんじゃないぞ」

 束宅はサングラスのつるに指をかけた。

「お前を殺したくない。お前もばらばらにはなりたくないだろう?」

 束宅はゆっくりと持子から距離をとった。

「じゃあな。元気でやれよ。お前はなるべく殺さないでやるよ。はっはっは」

 そのまま丘を下り始めた。

「警部……」

 遠ざかる束宅警部の背中を見ながら持子は言った。

 そして、その両目に少しだけ力を込めた。

 瞬間。

 丘の麓を歩く束宅の体があらぬ方向に大きくねじれ始め、そのまま引きちぎられるようにばらばらになった。

「……警部」

 持子巡査部長は深く溜め息をつき、やがて束宅と逆の方向に丘を下りて行った。

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念力警視の事件録・0 戯男 @tawareo

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