矢文
「ラストはね、この怖い話を聞くとおねしょしちゃって……」
「クゼナ!」
クゼナは馬車の中で気持ちよく復讐した。
裸でさせられる必要もない仰向けにさせられてタオルだけ乗せられて隠すことも許されなかった恨みは忘れていなかった。
対して気分は悪くなく、ラストの恥ずかし話の1つぐらいはうっかりと口に出してしまうというものだ。
クゼナは朝まで泥のように眠った。
薬の効果が切れて短い間は朦朧としながらも後処理のために頑張っていたのだけど体力を消耗したのか寝てしまい、朝まで起きてこなかった。
灰色の汗にまみれたクゼナをルフォンとラスト、信頼のおけるメイドさんでどうにか処理した。
ベッドはちょっと無理そうだったのでクゼナは別の部屋のベッドに倒れ込んで眠っていた。
やはり1回の治療で完治させることはできなかった。
けれどたった1回の治療でもその変化は感じることができた。
朝早くに目が覚めたクゼナは体に起きた変化に驚いた。
体が軽かった。
石化していない部分も石になったかのように重たくて、常に気力が湧かないような状態だった。
目を開けて上半身を起き上がらせる。
この動作だけでも大変な寝起きだったのだが目が覚めてパッと上半身を起こすことができた。
体の気だるさに比例するように頭も上手く働かなかった。
ぼんやりとする時が多くて、寝ても覚めても変わらなかった。
それなのに頭の中もスッキリとしていた。
世界が明るく感じられた。
視界が開けたような気がして、朝のひんやりとした空気が心地よく感じられた。
体に感じられた変化は1番最初に感じたことではない。
まずしたのは上半身を起こして、頬を触った。
撫で回したり、力入れてみたり、つねったり。
涙が出た。
人と顔を合わせるのも嫌になった頬の石化。
ガサガサとして表情を動かすたびに違和感があって日常の不安を煽っていた頬の石化がなくなっていた。
滑らかで柔らかな頬の感触しかない。
涙が頬を伝い、頬に触れたままの指を伝って流れ落ちた。
まだ分からない。
鼓動が速くなり、深呼吸を繰り返す。
勇気を振り絞ってクゼナは布団を一気にめくった。
そう人生は甘くない。
クゼナの足はまだ灰色のままであった。
けれど厳しいばかりでもない。
太ももの付け根まで進行していた石化は太ももの半ばまで肌色に戻った。
そして石化している部分も灰色で固くはあるのだが石のようにガチガチではなく、多少の曲げ伸ばしができるほどの柔らかさになっていた。
数日もすれば石化しているところは再び固くなってしまうが希望を持つには十分な状態だと言えた。
むしろ状態としては好都合だった。
足の石化は目立つし完全に隠すのは難しい。
治ってしまうと演技しようにも違和感が出てしまう。
まだ灰色の足を見せつつどうにか馬車に乗り込んで屋敷を出た。
石化した足が見えていれば、それを疑う者はまずいないだろう。
本当は治るのだと大声で叫んで回りたい。
じわりじわりと進行して体を蝕むこの病気は不治の病ではなくなったのだと自慢したいぐらいだ。
だけどもうちょっとだけ秘密のまま。
さらにその上プジャンの監視ひしめく屋敷から脱出出来た。
自由にもなったので口も軽くなってしまうのは当然の話であるのだ。
「あ、あれはまだ子供だったから!
もう許してぇ!」
顔を真っ赤にするラスト。
小さい頃のおねしょ話なんてされたいはずもない。
正直な話タオル2枚だけかけて仰向けにピンと寝転がる姿はリュードにも忘れがたく印象的すぎた。
「ふーんだ!
……まあでも、石化病は本当に良くなったし、これぐらいで許してあげる」
「あれもわざとじゃなかったんだってぇ〜」
「華やかで、賑やかで良いですな」
ポツリとヴィッツがつぶやく。
ヴィッツはいま馬車の御者をしていて、その隣にはリュードが座っている。
なので馬車の中には女性陣しかいないが声は丸聞こえだ。
一緒に乗りなよとは言われたけどまだクゼナの足も全快していないので席を譲って御者台に座ることにした。
わいわいと女の子同士で話すのも楽しそうで席を譲って、水入らずに話せてよかった。
「……昔最後に会った時のサキュルクゼナ様は領主様が大領主になられるために離れてしまう時でしたのでご病気のこともありまして、非常に暗い目をされておりました。
領主様もサキュルクゼナ様もあのように笑えておりますのはリュード様のおかげでございます」
「……まあ俺のおかげなことは否定しないよ」
少なくともクゼナの病気についてはリュードがいなければならなかった。
「でもさ、俺だけのおかげではないよ」
最後まで諦めなかった。
ラストはクゼナのためにモノランを止めようとしたし、治療薬があると分かって頑張った。
クゼナもあるか分からない治療法を待って、辛酸を舐めながらプジャンの元で耐え忍んだ。
2人は諦めなかったから今がある。
あとはもうちょっとでもラストかクゼナの性格が悪かったらリュードは協力なんてしなかったかもしれない。
ひたむきさが石化病を乗り越えさせたと言っても過言でない。
「だからと言いましても、感謝しなくていいということではありません」
「そうだな……でも言われると照れちゃうだろ」
あまり謙遜しすぎても態度が悪く見えてしまう。
リュードはヴィッツが感謝していることは十分に理解した。
実際のところリュードの働きは大きい。
リュードでなければ解決し得なかった問題もあった。
素直にそうですねと言うのは恥ずかしいけど感謝する相手がそう思っているのに否定するのも違う。
「若干の気掛かりもございますがそちらの方もさほど時間はかからないでしょう」
ヴィッツの気掛かりとはベギーオのことである。
ダンジョンブレイクの一件について全く責任も取らずに姿をくらましてしまった。
いまだに捕まっていないのでその消息も不明。
賢ければ国外逃亡でも図っているだろうけどリュードもベギーオの行方は気になっていた。
もうヴァンも隠してベギーオを追うことは出来なくなった。
国の指名手配として手配されて、ベギーオは大々的に探されていた。
良心が少しでも残っているなら自首でもするだろうがリュードなら国から出て二度帰らないだろうなと思う。
理性も良心も残っていなかったら何するか分からないけど王城まで行ってしまえばこちらの勝ちだ。
王城に手を出せるほどの力もベギーオには残されてないから捨て身で臨んでも凶刃がラストに届くことはほとんどないだろう。
ただやはりベギーオの消息に関する情報でもあれば安心はできるのにと思わざるを得ない。
「……今は喜びを噛み締めるのが優先だろ」
「そうでございますね」
警戒することも大事だけど喜ぶべきことは喜ぶべきなのだ。
小さな不安を心配しすぎて喜びを減じてしまうのはもったいない。
「……!」
「リュード様?」
木の影で何かが光った。
変な会話をしたせいで周りに気を張ってしまっていたリュードはそれを見逃さずに御者台から飛び上がった。
剣を抜き、放たれた矢を両断した。
「何者だ!」
襲撃。
今話していたベギーオか、もしかしたらプジャンの可能性もある。
馬車に誰かが向かってくることを警戒していたが矢を放った男はすぐさま引いてしまい、追撃してくる人もいない。
1人でたった1本の矢を放って逃げた。
狙いは馬車の方だったけれど運良く誰かに当たることを願って放ったにしてもあまりにもお粗末。
「リュード様、こちらに」
「ど、どうしたの!」
馬車が止まって3人は中でもみくちゃになっていた。
何かがあったのだと出てきた時にはもう襲撃者はいなくなっていた。
「……これはまた古風なやり方だな」
咄嗟に矢を切り落としたので気づかなかった。
2つに切られた矢には手紙が結びつけてあった。
「読まさせていただきます」
ヴィッツが矢に結びつけられた手紙を取って、内容を読み上げ始めた。
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