第41話 駅
出社するようになって一週間が経った。
葵さんの姿は職場では見かけたけれど、葵さんから声を掛けてくることはなかったし、私も極力見ないようにしていた。
別れようって言ったのは私だし、葵さんは反論を諦めて出て行ったのだから、別れることに合意したでいい気がした。
それでも家にいると葵さんがすぐ傍にいる気がして、私は葵さんが増やした着替えや小物を段ボールに詰めた。
柚羽に住所を聞いて送り返そうかとも考えたけれど、送り返すのと処分するのはどちらがいいのだろうかと迷ってまだ詰んだままだった。
葵さんと別れたと言っても私の心は止まっている。多分、葵さんを好きな気持ちをこれから先も抱え続けて行くのだと思っている。
でも、それを無理にでも動かさないと前に進めない気がして、わたしは週末に田舎に行くためのチケットを予約した。
3連休の初日、いつもの会社に出勤する時間に、小さな旅行用のカートを引いて家を出た。
両親のいる田舎は、ここから空港に移動して、飛行機に乗って、更に車で迎えに来て貰ってからも時間が掛かる。最低6時間の道のりで、着くのは夕方近い時間だろう。
3連休でも帰るのは厳しい距離だけど、来いと言われたから行くしかない。
2ヶ月前の私なら確実に断っていた。
でも、今の私は断れなかった。
最寄り駅の駅舎に入った所で、見知った存在がいることに私は気づく。
どうして、ここにいるんだろう。
私にしか用がないだろうと分かっていたけど、敢えて無視をして改札に向かう。
「話があるの」
その途中で案の定腕を捕まれて引き留められる。
「急いでるので今度にして貰えませんか? 電車の時間があるので」
頷いては貰えなくて、逆にそのまま抱き締められてしまう。
「葵さん!」
「お願い。行かないで」
喉の奥から出た言葉は震えている。
「真依のことだけを一生愛すから、ワタシと一緒に生きてください。ワタシは真依と付き合い始めてから、真依以外の誰かによそ見したことなんてない。真依しか愛してないから」
言われた言葉の意味が一瞬分からなかった。
だって、別れた相手に言う言葉じゃない。
「一緒に暮らそう、真依」
「そんなこと、今更言われても無理です。私はもう葵さんといられません」
葵さんは納得していなかったのだと、それでようやく気づく。でも、時間を掛ければ掛ける程、私は迷いそうで、意を決して葵さんから視線を外す。
「お見合いをするから?」
「そうです。私は女性としての普通の人生を選ぼうと思っています」
そんなことは決めてない。何も決められていないけど、もう自棄で、こう言えば諦めてくれるかと言葉にした。
「普通であることに何の意味があるの?」
その答えを私は持っていない。だって、私は葵さんといたくて普通であることを否定しようと藻掻いていた。
「真依が言う普通って何? 優しくて家庭的なダンナさんがいて、子供は2人で、贅沢はできなくてもなんとか2人で働けば生活できること?」
「そんな感じでしょうか」
葵さんの溜息は、私への揶揄なのだろうか。諦めなのだろうか。
「真依はスペックが揃ってればそれでいいんだ。ワタシとつき合ったのも大手SIerの社員だから? PMをしていてそこそこ安定した収入ありそうだから?」
そんなこと1mmだって考えたことはなかった。好きで、一緒にいたくて私は葵さんに告白をした。
その気持ちまでねじ曲げたくはなかった。
「……そんなわけないじゃないですか。私は葵さんを葵さんとして好きになったんです」
拳は握ったけれど、それを葵さんには向けられなくて力を込めただけで、すぐに解いた。
「じゃあ、恋愛をしてみたかっただけで、恋愛と結婚は別ってことなんだ」
「葵さん!」
「そうだよね。真依は初めっから、ワタシよりもそれが優先だったよね」
「…………」
それなら私は葵さんとつき合っていないと言い返したいのに言い返せない。
夢のような現実の中にこの半年私はいた。
でも、私は夢を見ているばかりで、それを地につける力はなかった。いや、夢が心地良すぎてそれでいいと思っていたのだ。
「そう……結局、誰もワタシを本気で愛してなんかくれないんだ」
私を抱く葵さんの腕は、諦めたことを示すように力を無くして行く。
目元を掌で伏せた葵さんの目元に涙があるのは、零れた雫で分かった。
泣いている人をここに残していいのか、躊躇いがありながらも電車の時間は迫って来る。
もう終わりを告げたのだからどうにもならないと自分に言い聞かせて、私は葵さんを残して改札を抜けた。
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