第40話 熱
それから3日間、私は熱を出して寝込むことになる。柚羽にうつしたら悪いからと、出て行こうとする度に柚羽に止められて結局ずっと柚羽の部屋でお世話になった。
1Rの柚羽の部屋は当然ながら一つしかベッドはない。私が泊まっている間、柚羽はベッドの隣の床に座布団を引いて、毛布を被っただけで寝てくれた。
夜中に魘されている最中も声を掛けてくれて、傍に人がいてくれることに心強さを感じた。
柚羽は酷いことをした私を突き放していいのに、面倒を見てくれた。
会社への休暇連絡も柚羽がしてくれて、電池の切れたスマートフォンは充電しようという気が起こらなかった。テレビも見ない、インターネットもしない、望まなくても入ってくる情報を一切遮断した中で、私は一つの結論を出していた。
私はいつも迷ってばかりで、自分で何も解決できなくて柚羽にも葵さんにも迷惑を掛けてきた。
「柚羽、いろいろありがとう。体調も良くなったし、そろそろ家に帰るよ。迷惑掛けまくってごめんね」
「家に帰れるの?」
家に帰れば葵さんがいつ来てもおかしくはない。一週間音信不通にすれば、さすがに葵さんも気にはしているだろう。
「逃げていても状況は変わらないから、話をちゃんとしようかなって思ってる」
「それって……」
柚羽の確かめに私は肯きを返す。
「多分滅茶苦茶へこむと思うけど、こういうことは早めにはっきりさせた方がいいから」
「真依、一人で無理しなくていいからね」
「柚羽、ありがとう。ほんと、どうお礼をしたらいいんだろう」
「そんなの期待してない。わたしが真依のためにしたいと思ったことだから気にしないでいいから」
「柚羽は格好いいね」
「そういうの、いいから」
今柚羽に寄り掛かれば、柚羽は受け止めてくれるだろう。
でも、私はそれに甘えては駄目なことくらいは分かっていた。そんなこと、柚羽に失礼でしかない。
「柚羽、私は誰にも愛される資格がないって、やっとわかった。何でも葵さんに頼りっぱなしで、平気で柚羽を傷つけて、最低な人間だよね。だから今回のことも身から出た錆で当然の報いなんだ」
「悪いのはお姉ちゃんでしょう。真依は悪くない」
柚羽の言葉に、緩く首を振る。
「葵さんが好きで、私は何も見えてなかった。好きって気持ちさえあれば、何でも正当化できると思ってた、かな。地に足がついてないことにも気づかずに、葵さんに夢中だった」
「それなのに、別れるの?」
「好きな思いと同時に怖くて仕方がないんだ。私は立ち向かう力もない弱い人間なんだって分かった……柚羽は葵さんと姉妹だから、これから先もずっと葵さんと関わり続けて行くと思ってる。だから、どんなことがあっても、時々葵さんの話は聞いてあげて。本当は淋しがりやだから、あの人」
「……本当にいいの?」
「うん。今までほんとにごめん」
土曜日の昼前に家に戻って、スマートフォンを充電して電源を入れる。メッセージと着信数が3ケタになっていて、ほとんどが葵さんからのものだった。
まだそれだけ心配してはくれるんだな、と目を瞑る。
葵さんは上手く二股できていると思っているのだろうか。
メッセージを読むことも放棄して、久々の一人暮らしを再開する。
一人でご飯を食べて、洗濯をして、掃除をして、やっと日常が戻ってくる。
インターフォンが鳴ったのは、夜になってからだった。
相手を確かめると、久々に見る葵さんの姿がそこにあって、無言でマンションの入口の解錠釦を押した。
でも、出迎えに出る気はなくて、しばらくして葵さんが持っていた鍵で部屋に入って来る。
「真依、良かった。熱出して寝込んでるって聞いたけど、もう起きて大丈夫?」
リビングで床に座っていた私の前に葵さんが近づいて、両膝をつけて屈むと、額に手が当てられる。
眉間に皺を寄せて、葵さんが心配してくれていたことは表情から分かった。
でも、それすらも本心なのか演技なのか私は分からなくなっている。
「もう熱は下がりました。すみません、スマホを充電することも考えられなくて、返事ができませんでした」
「それは仕方ないけど、この部屋にもいなかったから心配した。桧山さんに聞いても柚羽に聞いても真依から会社には連絡が入ってるって言うし、入院してたらどうしようって焦った」
「すみません。出張先で体調を崩して家に戻れなかったんです」
柚羽の家にいたけれど、出張の帰りで寄ったなので間違いじゃない。でもそれを葵さんに告げる気はなかった。
「出張……そう。それで部屋にいなかったんだ。言ってくれれば看病に行ったのに」
「PMがプロジェクトを放り出して、そんなことをしたら駄目ですよ」
「そんなの、どっちが大事かなんて決まってるじゃない」
葵さんの心配顔は本当に見える。
でも、それを問い糾せば心が鈍るだけだと覚悟を決める。
「……葵さん、熱が少し落ち着いてから一人でいろいろ考えました。ずっと棚上げしていたことも含めてです。それで、私と葵さんはこのままで居続けるのはもう良くないって答えを出しました」
「真依、どういうこと?」
「葵さん、別れましょう。葵さんとつきあって、本当に楽しかったし、葵さんのことが大好きでした。でも、なんかもう心が追いつかなくなっちゃいました」
「ワタシ、そんなに真依に無理させた? 真依が辛いならいつまでだって待つから、そんなこと言わないで」
私の頬に葵さんの手が当てられる。
葵さんが焦っているのは知れたけど、私は目を瞑って言葉を続ける。
「葵さんの好きは、私が一番じゃないですよね?」
「真依が一番に決まってるじゃない」
「じゃあ、葵さん。『かすみ』さんって誰ですか?」
「かすみ? どうして真依が佳澄のことを知ってるの?」
「葵さんが寝言で言ったんですよ」
葵さんの視線がそれで私から逸れて、左手で口元を押さえたまま停止する。
「ごめん、真依。そうじゃないから。佳澄は違うの」
「どう違うんですか? 抱き寄せられて、甘い声で別の人の名前を呼ばれる気持ち分かりますか?」
「…………」
「それに、葵さん。葵さんは今女性と一緒に暮らしていますよね?」
柚羽が実家の母親に確認をしてくれて、葵さんが夏の終わり頃から誰かと暮らすと実家を出たことは確実になった。
それは葵さんが私の家に来る機会が減ったタイミングと同じだった。
葵さんは私と会えば笑顔を見せてくれたし、それ以前と態度に大きな違いはないように見えた。でも、それは装うことだってできるだろう。
「それは……」
「その人がかすみさんなのか、別の人なのかは知りません。でも、この関係はもう限界なんだなって気づきました。葵さんと、ずっと一緒にいられたらいいって思っていました。でも、葵さんは駆け引きとして言っていただけなんですね。それなのに私は一人で舞い上がってました」
「真依、それは違う。ワタシは真依と遊びでつきあっていたわけじゃないから。家を出たことを真依に言わなかったのは、事情があってだけど、ワタシは真依と別れたいなんて思ってない」
平行線のまま無言が続いて、それを裂いたのは私のスマートフォンへの着信だった。
名前を確認すると田舎の母親からだった。珍しいと思いながらも、葵さんとの対峙を避けたくて電話に出る。
父親の近況報告から始まるのはいつものことで、途中から話が思わぬ方向に流れて行く。
「じゃあ、来週来てね」
反論する余地もなく、母親が一方的にしゃべって、一方的にスケジュールを決めると電話は切られる。
いつも強引な人だな、と溜息を吐いてから葵さんに視線を戻した。
「田舎に帰った母親からです」
「うん」
「来週、お見合いをしに来いと言われました」
そんな話は今まで両親から出たこともなかった。偶々出た話らしいけど、それをわざわざ遠方の私を呼んでまで勧めるのは、結婚を望まれているからだろう。
断ってもいいから、まずは会ってみなさいと言われて私は否定を出せなかった。
「真依、冗談でしょう?」
葵さんの確かめに私が頷くことはなかった。
「人を愛することは難しすぎて、分からなくなっちゃったんです。もう終わりにさせてください」
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