第63話 漣歌姫物語
アレはそう、上を泳ぐ魚たちもびっくりする様な嵐だった。
おてんば娘だった私は好奇心を押さえられず上へ泳いでいくと、地上で生きる者たちの船が転覆していた。
―――助けなきゃ。
次々に溺れていく人を見た私は心に従い、救助に向かった。
でも助けられるのは一人が精一杯。沈んでくる樽や木々を避け、一人の人間に手を伸ばして地上へ上がった。
嵐が去った後、平らな岩場へ人間を寝かせ、様子を見た。
―――なんて花のある方なんだろ。
「~~~♪♪」
この出来事を歌に乗せて歌っていると、しばらくすると口から水を吐き、彼は意識を取り戻した。
「けほっ、けほ、……き、キミが助けてくれたのか」
「ええ。でもごめんなさい。救えたのはあなただけなの……」
「……そうか。綺麗な歌声で目が覚めたよ。……ん?」
「ッ!!」
彼の視線が私の尾ひれに。しまった! と、すぐさま海の中へ入り海面に顔だけ出して彼を見た。
そこには彼は居なかった。
「え!? どこに――」
「ぐぼぼぼぼぼ!?」
「ええええええ!!??」
海に沈んでいく彼。すぐに助けて同じ岩場へ上げた。
「いやぁ助かったよ。君を追う様に前のめりになったらツルっと滑ってた! ハハハ!」
「笑い事じゃないわよもう! あのまま死なれちゃ助けた意味がなくなるわ!」
彼は悪びれる事も無くしきりに笑い、怒っていた私もしだいに心が安らいだ。
「ハハハ。……キミに助けられたのは二度目だね。ボクはエリック。キミは?」
「私は……。私はウルアーラ。見ての通り、人魚よ」
これがエリックとの始まりだった。
それから私たちは、この岩場で幾度も合い、語り、驚いたり、食べ物を交換して食べたり、一緒に歌ったり。足蹴も無く顔を合わせた。
地上の人間には関わるな――
おてんば娘の私にお父様がよく言っていた事だ。でもそれが余計に私の心に火を灯した。
「ウルアーラどこに行くつもりだ? トルトン様がまたまたお怒りになるぞ!」
「うまい事言っておいてねセバスチャン!」
「また人間に会いに行くの~?」
「ごめんねフランダー。また美味しい地上の食べ物貰ってくるから!」
執事兼音楽家のセバスチャンがやれやれと顔を振り、友達のフランダーが困った顔をしている。
もういつもの事だとはにかんだ笑顔を残して地上へ上がる。
「やあウルアーラ。待ってたよ」
「早いわね、エリック」
人魚の私に怖がらず、あまつさえ私を驚きと関心の渦へ放り込んだ。
しだいに私は、エリックの事を胸に秘めていた。
そんな頃だった。
「もう、ここへは来れない……」
その一言を言う勇気がどれ程要るのか、彼の悲愴で悔いる顔がそう私に思わせた。
なんでだと説いた。
「実は、縁談があるんだ。政治上断る事が難しい」
胸が痛んだ。
「ああ、それも考えた! でもお忍びでキミに会いに来るのは現実的じゃない!」
胸に針が刺さった。
「中途半端は嫌なんだ! だからこうして最後に会いに来た!」
胸に鋭い歯が刺さった。
「愛しているからこそ、裏切るんだ……」
胸に、穴が空いた。
流れる涙を他所に、エリックは背中を見せ後にした。
「――。――」
次の日、馴染みの岩場で彼を待った。けど来なかった。
家に帰らず朝日に照らされるのは七日目。来ない。
半分家出状態。地上の季節が変わる頃。来ない。
待てども待てども、彼は来ない。それは当然かもしれない。エリックはハッキリと別れを告げたのだから。
でも私は変わらない。彼への想いは変わらない。きっと来るはずだと、来るんだと。彼への愛は増していく一方だった。
「エリック……」
彼が去ってから同じ季節になった頃、私は思い立った。
「待つ必要なんてない。私が行けばいいのよ!」
私はすぐさま向かった。近寄ってはならない、陰気な海域へ。
「おや? これは珍しい客だねぇ」
「そのタコ足……。あなたが願いを叶えてくれる魔女、ヴァネッサね」
「トルトンの言いつけを守らなくていいのかい? ウルアーラ姫」
「お父様は心配性だから、あなたの事を言い過ぎなのよ。現にほら、あなたなんてちっとも怖くない」
「アッハッハッハ! お転婆もここまでくると勇敢だねぇ」
海域一危険な存在。それがヴァネッサ。お父様やセバスチャンに言い聞かされた様に、ヴァネッサはあくどい顔をしていたけど、実際会ってみるとただの化粧の濃い年増のおばさん。尾ひれもいい所だった。
でもそんな彼女の力が必要。
「私に脚をちょうだい」
「んー? 聞いてないのかい? 願いを叶えるには対価が必要。それも大層な――」
「知ってるわ。早くして」
「んんんんんん!! 任せなさい!」
ヴァネッサが手をかざすと、私に光が集まり四散。
下半身を見ると、そこにはヒレじゃなく人間の脚があった。
「対価は髪色。確かに貰ったよ。っひひひ!」
「ッッ~~!!」
歓喜に震えた。これで地上を歩ける。
「ありがとうヴァネッサ――」
言葉が詰まる。彼女を見ると、先ほど見た手入れがなっていない髪は何処へやら、流れる様な綺麗な赤い髪がそこにはあった。
自分の髪を見ると、まるで汚水に浸したくすんだ色。私の髪はヴァネッサの物になった。
「アッハッハッハ! 綺麗な髪をしていたんだねぇ!」
心底嬉しそうに笑う彼女を見て、いえ、彼女の髪を見て、私は――
(嫉ましい……)
生きて来て思ったことの無い感情が芽生えた。
この日から、ヴァネッサの下へ頻繁に訪れる事となる。
「おや? どうしたんだい?」
「……地上って恐ろしい所なのね。心無い人が襲ってきたわ」
「そうかい。で、どんな願いを叶えたいんだい」
男が数人襲ってきた。辛くも逃げ伸びたけど、エリックに会うには自衛できる力が必要。
「邪魔者を退治できる力が欲しいの」
「んんんん! わかったよ! それ!」
光に包まれる。
「――ッ!? ――! ――!!」
「対価は声だよ。っひひひ! 声が出ない代わりに人一倍力が強くなっている。さあお行き!」
声が出ないなんてどうでもいいとエリックは言ってくれるはず。私たちの愛は揺るがない。
そう心で叫びながら、漲る力を押さえて地上に出た。
そしてまたヴァネッサの下へ来た。
「……」
「おや? どうしたんだい」
ヴァネッサの声が透き通る様に綺麗。きっとそれは私の声。
(嫉ましい……。嫉ましい……わ……)
「ん? ヴォエ!? 小汚いうえに酷い臭いさね! 地上の猿の匂いがお前さんからプンプン臭うよぉ」
「……」
(嫉ましい)
「ああ、声が出ないんだったねぇ。私には分る。地上で酷い目に遭ったんだろぅ? まるでそう、三日三晩男たちにあいてされたみたいに。酷い話だよぉ」
「……」
「私が叶えられるのは人一倍だけ。複数人襲ってきたら勝ち目が薄い。運がなかったねぇ」
大丈夫。どんなにこのカラダが汚れても、彼なら、エリックなら、愛してくれる。ぜったい愛してくれる。愛してくれるんだから。私が愛してるから。彼が愛してくれるから。愛すから。愛されるから。
そうじゃなきゃ悲痛な苦痛は乗り切れなかった。
「その眼で分かる。もう襲われたくないんだろぉ? 一刻も早く彼に会わないとねぇ? じゃ、願いを叶えるよ! それ!」
お父様やセバスチャン、フランダーと最後に話したのはいつだっただろう。そう考えながら歩いていた。
「うわ、こいつオークみたいな容姿だな」
「いくら女でもこいつは無理だ。あーあ、あのベッピンさんもっかい抱きてー」
「お前が居眠りしたから逃げたんだろう! あの上玉を――」
私の横を通り過ぎる男の群れ。山賊たち。襲われないから願いは叶った。これでエリックの所に行ける。
しかし、年月が経ってもエリックと会う事は無かった。
地上を歩くのを止め、声を出そうとするのを止め、見つからないなら待つことに徹した。あの岩場で。思い出の岩場で。彼がいた岩場で。
しかし来ない。
でも今来ないだけで後から来るはず。
心は繋がってるから。互いに愛してるから。
きっと政治的な理由で身動きが取れないから来れないんだ。
でも大丈夫。愛してる限り私は愛してる。愛してるから。
そして訪れる――邂逅の時――
「……キミは」
「ッ」
岩場の少し上。そこには私を見下ろすまごう事なきエリックがいた。
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