第八章 VS嫉姫君主

第53話 チュートリアル:水玉

「きゃああああ!!」


 金切り声の様な悲鳴が良く響いた。


 だが悲鳴をあげた女性を庇う人は誰もいない。


 それもそうだろう。


「ッカ……ッカ……!?」


 数秒前まで脅威であった犯罪者。両手で塞いだ口から止まらない鮮血を流し、芝生を血で染めている。


 嫌に響く咀嚼音。


 その音の根源は口を執拗に動かし咀嚼。ロングの黒髪から覗くのは端正な顔立ちに蠱惑的な瞳。口元から赤い血が滴り、白い衣装は血で汚れている。


 動かない。


「……な……んだ」


 動けない。


「え? ……え」


 声を発せたのはジャンク・ウォリアー含む数人だけ。明らかに異常。この場にいるコスプレイヤーは恐怖と困惑を感じ誰も動けないでいた。


 そして動けないのは俺も同じ。


 だが俺は恐怖を感じない。


 ではなぜ動けないか。


「ンハァアアアア゛ア゛……」


 舌を飲み込み口から白い吐息を吐いたこの貞子に、困惑と言う違和感と既視感が背中に汗を流させた。


「……ねぇ」


「ッコハ! アアブッ! アァン゛ン゛!!」


 血走った眼が音を立てて泥棒を見た。質問された泥棒は痛みと恐怖のあまりなのか、後ずさる様に後ろ向きで這い全身が激しく震えている。


「エリックはどこ……」


 貞子は首を傾けながら泥棒に迫る。


 なんだ――どうして――奴が――ここに――。


 視界に映すが思考は深く深く潜る一方。


 瞬きして正気を保つと、貞子が泥棒の両頬を優しく包んでいた。


「あら……知らないのね。じゃあ――」


 スローになる世界。泥棒を助けまいと俺と同時に優星さんが駆けだした。


 貞子が笑い、こう言った。


「――死んで」


 首が折れる音を聞いた。


(間に合わなかったッ!!)


 半ばの刹那の中、俺の心中は優星さんと同じだったのだろう。


 このまま貞子にエンカウントする。


 交戦の意志まで思考が持っていく。


 そして貞子の眼が俺たちに向けられた。


「■■■■■!!」


 それは咆哮。


「っぐあ!?」


「ッ!?」


 俺含む優星さんと周りにいた人たちは、衝撃波と認識する咆哮で吹き飛ばされる。


 勢いよく倒れた優星さん。フライトユニットが折れ、理解不能だと悪態をついている。

 負傷者は少ないようだが、明らかに異常だと既に逃げている人もいる。


「嘘だろ……!」


 優星さんの声で貞子を見ると、咆哮の影響だろうか、貞子を中心に芝生が抉れ、俺たちが十メートル以上飛ばされたのだと容易にわかる。


 だが優星さんが驚いたのはそこじゃない。


 それは貞子を指していた。


「ぅううううう!! エリックぅうう!! あなたは何で居ないのよおおおお!!」


 狂乱する貞子。スカートの下から粘膜が艶めく触手が一本、また一本と現れ、それが増すにつれて触手が肥大化し、地面を割っていっている。


「あぁあぁあぁあぁアアアアア!!」


 両手で目を覆う貞子。いや、もう貞子なんて生易しい生物と化している。


「……行くぞ」


「まってください!」


 ジャンク・ウォリアーの仮面を捨て去った優星さん。強い決意を瞳に宿し、いざ行こうとする行為を、俺は声を荒げて止めた。


「怖気づいたのか」


「逃げて、今すぐ逃げてください!!」


 ほぼ貞子の正体は奴だと俺は確信している。だからこそ、だからこそ! 死に急がせる訳にはいかない……!


 俺は優星さんのプラスチックな腕を掴んで静止させた。だが振りほどこうと乱暴にするが、俺は頑なに離さない。


「っく! 離せ萌くん! こうしてる間にも奴は暴れているんだぞ!」


「ダメです! 行っては死にますよ!!」


「死なないさ! 俺は死なない!! こんな所で死ぬつもりは無い!!」


「この分からず屋あああ!!」


「うわ!?」


 首のスカーフを握って無理やり地面へと倒させた。土を握り、何をするんだと理性的な眼で睨んでくる。


「お前こそ何が分る! あの人が! あのモンスターの何が分る!! アレはダンジョンから漏れ出したモンスターだと明らかだ!! なら攻略者がすることは一つじゃないのか!!」


「……ッ」


 口が詰まってしまう。この状況下での正解は、正義は、優星さんにある。これが漏れ出した唯のモンスターなら、俺は止めるどころか喜々として参戦する。


 だが――。


「ッとにかくダメです!! 一刻も早くこの場から――」


 言葉に詰まった。それは優星さんも同じ。ほんの数秒目を離しただけなのに、奴は人の原型が無くなりその人間部分は上部に、八本の巨大な触手を出した宙に浮くモンスターと化していた。


 そして俺は、表示される見覚えしかない赤いメッセージ画面が脳に焼き付けた。


 脳に煩く響く警報音。


『警告:レイドボス出現』


嫉姫君主マーメイドルーラー ウルアーラ』


『チュートリアル:ボスを倒そう』


 心臓の鼓動が早くなる。


「レイド……ボス……?」


 困惑する優星さん。その姿を見る間もなく、ウルアーラは狂乱する。


「エリックうううう!! エリックうううううう!!」


 吹き飛ばされる人々。巨大化したウルアーラは触手で薙ぎって辺りを一掃した。


 そして。


「■■■■!!」


 空に上昇していくウルアーラ。


 声にならない声がウルアーラから叫ばれると、触手の中心部と思われる付け根からおびただしい量の深く青い水が、激流が如く溢れ出した。


 大きく、大きな唸りをあげて俺たちに影を落とした自然を模した脅威。


 津波――。


 息もつかない事態。飲み込まれる人々。俺も優星さんも例外なく津波に飲まれ、荒れ狂う勢いのままに流される。


「ッッ!!??」


 何かに掴まれと足掻くが無力。


「ゴバッ!!」


 背中に硬い何かが激突し、肺にある一部の酸素が吐き出された。


 全身に抵抗感、滲む視界が水の中だとものがたり、同時に絶望にも捉えられる境地に立たされ思考した。


(これが君主ルーラーの力なのか……!!)


 と。


 もう。もうどれほどこの津波が広がっているか分からない。誰が思った、まさか池袋が津波に飲まれたと。

 ……微かに聞こえる悲鳴。すでに大勢の人が飲まれている。もう池袋どころか東京都が浸かっているのかもしれない。


 電灯に掴まって流れてくる人を避ける。


(瀬那――大吾――みんな――)


 無事を。どうか逃げ伸びてくれと無事を祈らずにはいられない。


「……」


 自然と拳を握った。


 身の内の底からオーラを捻り出そうとした所、不意に金色の何かが眼前に現れる。


 そして脳に直接語り掛けてきた。


(おい無事か!!)


 焦りが混じった声。この現象と声の主は、エルドラドだ。


(繋がったって事はまだ生きてるな! いいか萌くん! 流され溺れている人は手が届く範囲で助ける! だからよく聞け!!)


 俺は水中で首を縦に振った。


(ウルアーラは何者かによって催眠が掛けられ暴走している! これはこちらの失態だが今は放っておく! この津波は今も広がり続け、既に他県まで侵攻している!)


 続くエルドラドの言葉。横を流れた人が金色のゲートに包まれた。


(幸い水深十メートル程と浅い! 転移で高層ビルに避難させてるが、人命を考えると人手が必要だ! リャンリャンを出せ!!)


「!!」


 眼球の色が反転する。黒い霧が目の前で充満し、霧が水に流れて黄龍仙が姿を現した。


 水中からの突然の呼び出しに驚きもせずどっしり佇む黄龍仙。人を助けろと抽象的な思考イメージを君主の力で送る。


「……!!」


「ッ!!」


 俺の意志を汲み取った黄龍仙もといリャンリャン。水中の中。仙気を纏って無尽に動いた。爆発音に聞こえる激しい上昇。さっそく流れる人を数人腕に抱き寄せて水中から脱している。


(……よし、これで少し余裕ができる……! 萌くん、これからが重要だ!)


 口元の気泡が頬を伝い上へと流れる。


(津波やウルアーラ、この事態を収拾するにはウルアーラを無理やりダンジョンに押し込める必要がある!)


 流れてきた人を掴み、オーラを纏った腕で上へ投げる。そこを空かさず黄龍仙が回収し救助した。


「……」


 エルドラドの言葉に疑問が尽きない。


(いろいろ聞きたい事あるだろうが今は従え!)


 エルドラドの声が荒い。どうやら本当に余裕がないらしい。


 この状況。エルドラドの事を信用して動くしかないようだ。


(あのバカは理性吹き飛んで所かまわず暴れている! ダンジョンに押し込むのに先ずは大人しくさせろ!)


 彼はこう続けた。


(今のお前じゃ手に余る……。覚悟を決めるんだな……)


「――」


 俺の手に余る――


 覚悟を決める――


 その意味は、と言う意味。


「……」


 脳裏に浮かぶのはみんなの笑顔。この笑顔を守るためなら俺は何だってする。そう、何だって。


 閉じていた口を開き、大きく息を吸う。だが水は口内に入ってこない。それは覚悟の証だ。


 そして声帯を使わずに声を出す。


「――顕現けんげん


 濃い黒い霧が俺を覆う。




「……どうなっている」


 不動優星は混乱していた。


 今日は恋人のアキラとハロウィンを満喫。いつもの様に家へ帰り、二人で温め合い寝る。その予定だった。


 だが蓋を開けてみれば何てことない。攻略者による犯罪行為。人質がモンスター、津波に飲まれ訳も分からず気づけばビルの屋上。巨大なモンスターは現在進行形で暴れ回っている。死者すら出ているだろう。


「■■■■」


嫉姫君主マーメイドルーラー ウルアーラ』


 モンスターを目に移すとボスの名前が表示される。


 アレはそう、君主ルーラー。人類の脅威であるルーラーズの一体だと子供でも分かる。


 優星は息を飲んだ。ビルの屋上から見える景色は水没する池袋。いや、アニメやゲームで見た終末世界そのもの。ボスから無尽蔵に吐き出される水を見て恋人やチームの安否を祈らずにはいられない。


 時折、人型の何かが水に飛び込んでは人を救出している。それを遠目で確認すると、さらに混乱をした。


幻霊家臣ファントムヴァッサル 黄龍仙こうりゅうせん


「……何が起こって」


 疑問を口にするが脳が追いつかない。


 そして理解不能なのが近くに居る。


「多すぎなんだよ!! 忙しすぎるおかげで嫌いになりそうだよまったく!!」


 宝石が散りばめられた金の鎧を着こんだコスプレイヤー。


 否。


黄金君主ゴールドルーラー エルドラド』


 屋上と空のギリギリのところで立ち、伸ばした両手には金の力場。遠くのビルや近場のビル、このビルを始めとしたビルの屋上に、金色の何かから濡れた人が出現している。


 この存在も君主ルーラー。もう訳が分からない。だが、この場にいる救助された人や攻略者、優星は直感的に分かった。


 ――助けてられた。


 と。


「……襲ってきてもいいぞ~。っま、そうするとアンタらの同種が溺れ死ぬ事になるがな」


 背中の視線が気になったのか、鼻で笑ってからエルドラドはそう言った。実感した君主ルーラーの力。助けられた恩は当然あるが、暴れるバケモノと同じ存在を相手する攻略者はこの場にはいない。


「ケツの穴が小さい奴らだ。ッム!」


 力んだ声を出すと、優星の隣に金色の力場が発生。そこから人が現れた。


「ッアキラ! 大丈夫か!!」


「ぅうう……あれ? 優星……」


 救出された恋人が現れ、衝動に駆られ優星はアキラに抱き着いた。


「よかった……! 本当によかった!!」


 濡れて台無しになった衣装。その冷たさを感じると同時に、生きている証拠の体温を感じ、心の底から安堵した。


「なんだ恋人か? 見せつけてくれるねぇ。そんなに元気なら手伝ってくれると助かる」


「ッ!!」


 気付くとエルドラドに見下げられるほど接近され警戒。寒さで震えるアキラを守る様に抱きかかえ、赤い点の様な目を優星は睨んだ。


「ここに居る他の連中と違ってお前は様だが、別に海に飛び込んで助けに行けとは言わない。水中で活動できる攻略者が何人も救助に当たってるしな」


 なぜそんな事が分るのか、なぜ敵である君主が人を助けているのか、問いたいところを我慢し、警戒しながらコミュニケーションをとる。


「助かった恩義は返す。……何をすればいい」


「俺ともう一人がこれからあのバカと吐き出した水を強制的にダンジョンへと押し込む。当然ダンジョンに続くゲートが残る訳だが、何人たりとも中に入れない様に見張ってろ」


「なに……?」


 優星は眉をひそめた。この君主の言葉を鵜呑みにするなら、あのバケモノとこの海と化した水量をすべてこの場から消すと言うこと。そしてそのゲートを封鎖しろ。こう受け取れる言葉だった。


「目の前にある脅威から目を離せと、攻略者の本分を放棄しろと言うのか……!!」


「ッハッハッハァア! 勇ましい事この上ないが現実を見ろぉ」


 指された親指に釣られてバケモノを見る。


「■■■■■■■■」


 言葉が出なかった。言い返せなかった。この場にいる全員が。


「特別に教えてやる。ウルアーラのダンジョンは深海だ。光も無いし、空気もない。そして水圧も相まって入っただけで簡単に死ぬ。水中系のスキルを持っていてもだ」


「……」


「雛鳥のお前らに何ができる。ここは俺らに任せて――やっとか」


 話を途中で切ったエルドラド。優星は視線の先のバケモノを見る。


「……あれは」


 バケモノが巨大で分からなかったが、ドット抜けの点みたいな黒い何かが飛び回っているのを見えた。それを認識しよく見ると、バケモノの体に無数の影の様な手が張り付き、動きを鈍らせている。


 大きな黒い霧が集まると、黒い包帯を巻かれた巨大な手が現れ、暴れる八本の脚を一挙に絡め取った。


「俺は行くが、絶対ゲートに入れるな。任せたぞ」


「ああ、任された」


 優星の返事が良かったのか、メルシー、と合図し金色の残像を残してこの場を去った。


「……。……」


 優星は見た。バケモノに眩い光が発光され、ブラックホールに消える様なシーンを。後ろから小さな水の雫が漂い、それが自分の服からも現れる。


「綺麗……」


 ブラックホールに吸い込まれる夥しい水。その水滴が見える景色を覆い、どこか幻想的にも見えるとアキラは言葉にした。


 そして逆再生が如く水が吸い込まれると、バケモノの悲鳴が木霊して音もなく消失。芝生があった地上に渦巻くゲートだけが残った。


 否――


 衝突し土煙をあげる――


 ゲートの前にその存在が佇んでいた。


幻霊家臣ファントムヴァッサル 黄龍仙こうりゅうせん


 光るツインアイが強い意志を見せた。

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