アラームに縋る

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アラームに縋る

 決まった時間に起きる。

 スマホのアラーム機能を利用して寝坊をしないよう気を張っているのだが、そのアラーム音によって焦りと驚きをもって起床につき、せわしなく寝床から顔を洗いに走ることもなく、あるのは漫然と時間を把握し、アラーム音が鳴る前に覚醒することである。

 ただ、アラーム音がなるまで、薄暗い天井ないしは壁を眺めるのだが、思案にふけるまでもなく脳内を支配するのは「無」であって、速めに起床して少しでも眠気を払い、万全を期して通勤しようという気概すら発生せず、かといって自堕落に愚痴を並べ立て、唐突な体調不良でも起こり、会社を休む口実を得ないものかと後ろ暗く感情を落とし込むわけでもなければ、今日も一日、良いことが起こることを期待して、それは突然のことで大金を得ることか美女と知り合いになる非日常を空想する能天気さでもない。

 何もないということであって、夢を反芻するとか、今日の予定を組み立てるとか、朝ごはんは何がいいかとか、尿意があるな、などといった日常的な行動を考える思考回路すら短絡しているもので、寝返りとあくびこそがとれる行動である。

 いつしか、アラーム音こそが人を人であると肯定する装置となった。

 その音がなることで覚醒が確かに促され、蒲団から起き上がる。

 蒲団を畳み、尿意のまま便所に入り、手を洗い、ついでに洗面所で顔を洗うと備え付けの鏡を望み、髭をそるという行動を億劫に感じ、ひとまずは朝食を作ろうとキッチンへ足を向ける。

 そこに、深い感情はない。

 決められたレールを走るという表現が実に適当か。

 そこに忌避や嫌悪はなく、改めて考え直す気分にもならず、あるのは怠惰な重苦しい身体を引きずる脅迫にも近い生きることへのルーチン。

 生きることに無感動でありながら、生きなければならないと漫然ながらに確信している。死は恐怖であり、かといって健康に気を遣うわけでもなく、心身共にストレスを抱え込んでいるのだけれど、そこに労わる行動の一切はなく、あったとして好きに食い、好きに飲むことしかない。

 趣味はないが、ほどほどに読書をすれば、他者から好きな本を聞かれて応えてから談笑する程度で社交性があると思い込んでもいる。

 ゲームや時勢の情報を入手するためパソコンを用いて、インターネットを活用することもできるのだが、そこにはあるのは目的ではなく、かといって他にその行動を言語化できる取っ掛かりもない。

 なぜ、パソコンを起動するという行動に説明ができないのであって、スマホを活用しないことに対しても、指摘されてしまえば言葉に窮するだろうかと逡巡したが、画面が小さいことや、落ち着いて閲覧できないなどと言い訳がそれなりに沸いて出てくるもので、しかし、やはりあるのはその場しのぎでしかなく、心のうちを自分ですら読むことはできない。

 朝の行動も、出勤し、仕事に励み、金を得ることに理由を付与することはたやすく、質問されたのならば返答するくらいの能力を残しておきながら、そのくせ、自分の立場や社会の幾末に興味がない。

 他者の生き方に共感もしなければ、反対や嫌悪も浮かばない。けれども、一丁前に、誰かの意見や評価を気にして、自分のミスに心を痛めるくらいには人間くさい存在にもかかわらず、世界をつまらないものだとどこか達観しており、その実、斜に構えた本人に少なからずの陶酔の気があり自覚があるものだから、恥ずかしがって他者との関係を作りたくないと思い込んで、傷つくことを避けている臆病者でしかない。

 アラーム音がなければ、人ではない。

 そうすることで楽ができる。

 人ではないことを望み、しかし、世界からは人であり評価されるべき人物でありたいと願うままで、現実の行動の一切を拒み、心身に贅肉を張り付けて世界をつまらないと冷めた目で見下ろしている気分に浸り、慰めを施し、とはいえ絶対的な特別な人ではないと自覚しているものだからすべてが中途半端で、さらにその事実を認識するからこそ、自らの行動を縛り、あれもこれもと諦め、ダメだと見切りをつけているばかりで運動不足に陥り、卑屈に足を引っ張られては世間のせいだと再び外敵を作り自己保身を施す。

 終わりのない世界を自ら構築していき、このままではダメだと思いながら、床につき、眠り入ればスイッチがOFFとなる。

 強制され、しかし、何も解決はしないまま保存される。

 ただ、アラーム音がならなければ、ただただ人ではなくなる。

 アラーム音によって心の均衡を保つことに成功し、だからこそ、これ以上の変革に恐怖し、夢見がちな少年のまま、歳をとり、大人という皮を被り、義務教育を修了できない一個の自我を許容できず、目を背け続け、いつの日にか破滅がくるのだろうという怯えや諦観をやさしく包み込む、まだ大丈夫という何の根拠も持たないながらもひたすらに甘美な楽観に、滑稽なまでに生きる原動力を得ている奇特な生物。

 これこそが特異な存在だと決めつけ、やはり、自分に甘く、自分は特別であるという幻想を捨てきれない。

 慰め、あるいは哀れだと凄み、俯瞰して自己評価をなしたと思い込んで存分に嘲笑したところで、アラーム音がなければ行動もできないほどに外部に依存した蚕のような存在であり、常に他者の情に寄生することを期待し、善意を逃さぬようアンテナを張り巡らせることだけは労力を割く。

 なんと不幸なことであろうか、しかし、それこそが私だった。

 これが私であり、私という存在がなければ、やはりどうしたって私という世界は変調をきたすのではないか。

 私は、このままの私を過ごすのだろう。

 世界が私を救うことはない。

 私を救ってしまえば世界は変貌を遂げてしまう。

 これまでの日常は一変し、世界はそれを許せないのだ。

 私は、このままであることが正しいと思い続けることで、世界を保つことができる。

 私が居なければ、私という世界は終わる。

 世界が死ぬ。その命運を握るのが私だ。

 なぜ、私にこのような使命を託したのであろうか。

 私は平凡な人であって、世界を管理する側ではないだから、ごく普通の幸せを享受できたのならば、心が実に安らぐものなのにこの身を捧げなければならないことに私は疲れてしまった。

 アラームをセットする。

 世界は平和である。

 この私を犠牲にすることで、この世界は均衡を保っているのだから、私がいなくなるとしたら、世界はいったいどうなってしまうのだろうか、それはとても恐ろしいことだ。

 私はそのような世界を望んでいない。仕方のないことだから、私は私であり続けるのだ。

 世界のために。

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