第3話 【3分で読める1285文字】
ある夜。
若い男の客が午後六時をちょうどまわった頃に片足を引きずりながら入ってきた。
奥の角席に向かう足の悪い彼は毎回ジャンブのそばを通り、その度にバーベキューグリルで焼かれて焦げた肉のような臭いやワイン樽の酵母臭を漂わせていた。
アミスターによるとその男は飲んだくれの元軍人なのだそうだ。薬莢と火薬の臭いが退役したあとも身体に染みついて取れないと店主に愚痴っていたのを聞いていたらしい。
彼は席に近づくと設置された椅子に何とかしがみ付き、一度ダウンしそうになるも何とか持ち堪え、しばし格闘を繰り広げたのちに着席した。
「ソーシオ、あいつの接客は俺がする。他の客の相手をしてろ」
「はい…… あの人毎回酔っぱらって来ますよね。他の客が嫌がっちゃうんですけど」
「あぁ、注意しとくよ」
店主のジガンテがソーシオと呼ばれた若い赤髪の美しい女性店員にそう言うと、酔いどれの方に近づいていく。
ジガンテはとびきり濃いコーヒーの入った古いブリキのポットをテーブルの上に音を立てて置くと、「酒は飲んでくるなと言ったはずだぞ?」と相手を静かに窘めた。
すると「違うさ。酒が俺を飲んでるのさ」と馬鹿げた手振りで尾羽打ち枯らしたように答える酔った元軍人の表情はいっそ小ざっぱりして見えたし、ジャンブの瞳(テーブルなのだから瞳も何もないが)には異様にうつった。
そのあとにキョトンとした顔で席に座っていたが、彼がジガンテの顔を見ると心持ちきまり悪げな顔をしたきりで黙ってしまった。
そして、それでもお道化ながらまた口を開く。
コーヒーの匂いだ。
「なんだぁ? 注文もしてないのにコーヒーが届いたぁ…… 俺も立派な常連かなぁ?」
「まだ酒は断ててないようだな。彼女の事はもう考えるな。お前の心が保たないだろうよ」
「そんな事出来るわけないだろッ!」
「でかい声を出すな。外につまみ出すぞ」
「……目の前で撃ち抜かれたんだぞ。頭を。だから酒で忘れるしかないんだよ…… チクショウッ」
「俺たちの住むこの王国ってのは守銭奴さ。資源を守るために何万人もの人々を殺してる。金をため込むことしか頭にない。帝国の奴らも盗人猛々しいだけに戦いが激化してやがる」
「俺はただ、レジュルタと一緒に居たかっただけなんだ…… 市街戦だった。彼女は戦いに何の関係もなかった。その日は寒くて彼女が凍えないように俺が軍服を羽織らせただけだった。靴紐を結び直すために銃を一瞬預かってもらっただけだった。たったそれだけだった」
元軍人の男はテーブルに突っ伏しながら後悔の念を多く含んだ声で次々と呟く。
ジガンテはただ静かに話を聞いている。
コーヒーの匂いだ。
「俺のせいだ。俺があの時軍服なんて羽織らせなければ。銃なんて預けなければ。見晴らしの良いところで『二人で話したい』なんて口にしなければ…… ハハハッ。おかげでプロポーズは大失敗に終わったよ」
「…………コーヒー飲めよ。今日は奢りだ」
「欲しいのはコーヒーなんかじゃない」
元軍人は悲しくなるほど優しい笑顔を浮かべながらそう言って、何も口にせず店を後にした。
彼がふたたびジャンブのそばを通ったあとには仄かに苦い匂いが残り漂っている。
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