第1話 迎えられない最期

「姫様方はお逃げになったか!」

「応! 七之助しちのすけ達が連れていったわ!」


 加地かじの大声に、「そうか!」と十兵衛じゅうべえは短く返事をした。

 あちらこちらで火の手が上がり、口を開けば熱気が喉を焼け付かせるようだった。飛び散る火の粉が、苦労して蓄えた髭を燃やしそうな勢いだ。

 茜色に染まる空を背景に、振り仰いだ天守閣が猛る炎に包まれる。


 ――幼少の頃より慣れ親しんだ城が、見る間に焼け落ちていく。


 あまりに突然の襲撃だった。同盟を結んでいたはずの二見ふたみ家からのものだ。隣国への会談に大殿他重鎮の皆が出払っており、その留守を狙った城攻めは、奮戦虚しく落城に相成りそうな展開だった。

 会談までもが罠だったとは思いたくはないが、今はただ大殿達の無事を願う。


 四方を山に囲まれた八神やがみの城は天然の要塞であった。

 攻めるに難く守りに易いこの城をこうもあっさりと落とされるとは、間違いなく内通者がいたからだろうと信のおける仲間達は口々に言い募っていた。


 本来であればいるはずの兵の配置も不信な程に換えられており、やぐらから確認できた限りでは、本丸に詰めているはずの者達が三の丸にいる姿が散見された。

 指揮する将が殺されたか、はたまた寝返ったか十兵衛には判断がつかなかったが、少なくとも信用できる仲間達で城を守るのはもはや不可能であると結論はついた。

 出来るのは城に残っていた姫やお世継ぎ、使用人達を逃がす事ぐらいで、それも十兵衛の兄達が請け負った。


 であれば、と十兵衛がぐるりとあたりを見回した所で、加地から「十兵衛! こっちだ!」と名を呼ぶ声がかかる。彼の持つ物を目にした十兵衛は、そこで己のやるべき事を悟り、すぐに頷いて加地の後を追った。





 留守を任されていた臣達は戦いの中で一人、また一人と倒れていき、今や十兵衛含め十人にも満たない数が、唯一火の手を逃れていた城内奥深くの隠し部屋に集まっていた。この城を深く知る者しか辿り着けない場所だ。

 そこであれば、二見の者からも見つかるまいと十兵衛も思う。見つけてくれるとしたら、殿を含めた重鎮ぐらいだ。


 ――そう。何せ彼らには見つけて貰わねばならない。


 それは、この場に集った全員が、確信めいた思いを抱いて懐刀を手にしていたからだった。

 八神元秀やがみもとひで――大殿からそれぞれ賜った、無二の宝。

 鞘を取り払い抜身の刀となったそれを、当世具足とうせいぐそくを脱ぎ、着物の合わせを引っ張り、露わにした腹へと向ける。

 残された自分に出来ることは、十兵衛――八剣やつるぎ家に二心がない事を死を持って示すのみと決意したのだ。城を任された命令を守れなかったため、責任を取ることも兼ねての切腹だった。


 常であれば苦しまぬよう介錯があるものの、今この場にいる全員が一様に介錯すら求めぬ切腹を望んだため、打刀を持つ者は一人もいない。


「共に死ぬるを選択できる、良い仲間を持てて幸せであった!」


 誰よりも一番槍を好んだ加地忠之進かじちゅうのしんが、一番手を切った。「ずるいぞ!」と、まるで先んじてかけっこを始めたのを咎める童のような明るい声があがり、次々と藺草の香る緑の畳に鮮血が迸った。


 それを微笑みながら見つめて、十兵衛は目を瞑る。


 逆手に持った懐刀は、加地達とは違い、大殿ではなく若殿である秀治ひではるから賜ったものだった。

「死ぬるその時まで秀治の懐刀として勤めよ」という、大殿と若殿両名から願い、授けられたものだ。


「願わくば最期までお側に在りたかった」と、もはや今となっては叶わぬ夢を胸に秘め、一呼吸の後、十兵衛は寸分の迷いなく腹に刀を突きたてた――







――はずであった。









「何故自ら死を選ぶ」





 低く、穏やかな男の声が十兵衛の耳元で囁く。


 はっと目を見開くと、自身の姿すら見えないような漆黒の闇が辺りに広がっていた。


 先ほどまで仲間といた一室とはあまりにもかけ離れたその風景に、ひどく動揺する。同時に、腹に突き立てようとしていた刀が、腕ごと捕らえられていることにもそこで気が付いた。


「何故、自ら死を選ぶ」


 何も答えない十兵衛に業を煮やしたのか、再び同じ問いが男の声で紡がれる。もしや自分はもう死んでいて、冥土で死に方について閻魔大王に問われているのかと、十兵衛はおよそ荒唐無稽な推論を立てた。

 未だ声も出さない十兵衛の様子に、男は溜息を吐くように空気を揺らすと、あっという間に懐刀を抜き取った。

 それを奪われては困ると慌てて両手を伸ばしたが、光も通らない漆黒の闇の中では空を切るばかりだ。

 その中で、男の声だけが確かだった。


「お前は死んでいない」

「……死んで、いない? 私は、冥土で裁かれるために問われているのではないのですか」

「ああ、そうか。お前の世界ではそういう概念があったな」


「しばし待て」と言うと、男が手を合わせるような音を鳴らした。ぱん、と軽快な音が鳴るやいなや、見る間に漆黒の闇が集約していく。



 そうして露わになった光景に、十兵衛は息を呑んだ。



 仲間達と円を組むように座っていたはずの畳は姿を消し、砂利のまじる土の上に十兵衛は一人座っていた。周囲は木々が生い茂り、正面にはひと泳ぎできそうな程大きな湖が広がっている。


 風が無いからか湖面には空に浮かぶ丸い月が鮮やかに映り込んでおり、満天の星々が煌めく夜空に、青白い髪を逆立てた黒衣の男が浮いていた。


「死神、魔神、死者の王、冥王――お前のような存在は皆そうした名称で私を呼ぶが、厳密に言えば神ではない」






「死のりつを司る者だ。――故に問おう。何故、自ら死を選ぶのか、と」

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