第二章 一人と一匹の小さな一歩

第13話 なれないこと



銀色の長髪をたなびかせて。

一人の魔女が、テクテクと歩いていました。


小さな背中に背負っているのは?


ええ、防水キャンバス製の綺麗なケースです。


中に入っているのは?

杖であり、相棒であるマスケット!

その名も、ブラウン・ベス。


旅の連れ合いは?

犬の中でも最高の美貌に、白い毛並みを誇る賢い賢い使い魔嬢。


夕暮れ前の街道を一人と一匹は歩いていました。


てとてと、と軽やかに……白い使い魔は歩いてゆきます。


テクテクだった魔女も、て、てく、てく、ううう……と歩き続けます。


時折、何かを考えるように鼻を動かし、周囲を見渡し……白い使い魔嬢は意を決してついに尋ねます。


「エルダー・アナスタシア」


「うん。どうかしたのかな、アフア?」


「私たちは、『どちらへ向かっている』のでしょうか?」


それは、とても大事な質問です。

アフアが出発した時から抱いていた疑問でした。


『私たち』の夕べからそのまま駆けだしたのは良し。

勢いも、時には大切です。


もちろん使い魔嬢の体力にも問題はありません。


長距離行軍だって、お手の物。

整備された街道ならば、のんびりと歩けます。


でも、というべきでしょうか。

彼女は、ちょっと、息が上がっているではありませんか。


無理もないことではあります。

なにしろ、一日中歩きとおしなのですから。


とはいえ、そろそろ日没も近いところ。

野営するのか、強行軍で目的地を目指すべきか。

その判断の為にも、アフアは知りたいのです。


「ええと、隣町?」


「隣町というのは、どれくらいなのですか?」


「だいたい、帝都から2時間ぐらい?」


なるほど、と賢い使い魔嬢は頷いて見せます。


二時間ぐらいの距離であれば、思い立って月の下から駆けだしてもよいでしょう。


でも、もう、半日以上は歩いていました。


「方向は、あっているのですか?」


「もちろん! 私だって、単独飛行できるんだよ?」


「これは、失礼を」


空を見上げるのがお嫌いだとしても。

天測の技量は魔女必須技能。

できないものが、エルダー・ウィッチとはとても名乗れません。


なので、彼女は『方向音痴』ではないのでしょう。


従って、というべきでしょうか。

賢明な使い魔はため息をこぼします。


「はぁ……。エルダー・アナスタシア。箒に跨っていらっしゃったときの感覚ですね?」


「うん、そうだね」


あちゃぁ、と言葉にしない程度の慎み。

それも、淑女の作法でしょう。


アウスグタ・フレデリカ・アレクサンドラ嬢はどこまでも立派な淑女なのです。


「お伺いしたいのですが、徒歩で何時間でしょうか?」


「ええと、ええと、割と近くかなぁ……って」


街道が整備されているとはいえ、地上の歩兵が何日もかけて歩く距離。


それを、ふわり、ふわりと箒の旅のようにとらえられていたとは。


「ふらりと飛んでいけば、という世界ではございませんのですが」


ですから、と経験豊富な使い魔は断言します。


「そろそろ、野営の支度をしませんと」


「や、野営?」


淑女といっても、もちろん、感情はございます。

そんな次第で、彼女が苦労することで学んでくれれば……などと考えていたに違いありません。


「はい、一応は訓練で何度か経験していますよね?」


「私、最終組だったから……やったことが」


えっ、と思わず使い魔嬢の尻尾が跳ね上がったのは見なかったことにしておきましょう。


それが、紳士淑女の思いやりというものです。


「一度もですか?」


「えっと、えっと」


怖いもの知らずの魔女にだって苦手なものはあるのでしょう。


彼女は、一生懸命に頭を抱えて……そして、『あっ』、とほほ笑みます。


ホッとしかけた使い魔嬢。

やれやれですね、と呟きかけていますね。


でも、ちょっと、早すぎたみたいです。


「きょ、教本はもらったよ?」


かなしいかな、かなしいかな。


彼女の言葉は希望を粉砕するにたる一言です。


訂正。


「あ、あの、エルダー・アナスタシア?」


奈落の底へと突き放すものです。

使い魔は、知っていました。


彼女は、『お勉強が大嫌い』だったという事実を。


「お読みになられたことは?」


「確か、私物ボックスに入れてあるかなぁ……。まって、まって。ええと、一応、支配人さんが送ってくれた荷物の中に確か……」


「ええ、トムソン氏のご厚意で『野営セット一式』もございました」


旅慣れぬ魔女の旅路。

万事、世事に長けた紳士ならば不足するであろう品々を思い起こすのも当然です。


というわけで、確かに『野営セット一式』をトムソン氏は使い魔嬢に勧め、『そんなの使わないし要らないんじゃないかな?』と渋る魔女を押し切って無理やりにも売りつけたのです。


「エルダー・アナスタシアが、重たいので『船で送る』ということをされていなければ、何も問題はございませんでしたが」


「あれ? えっ、あ、だって、隣町まで行くぐらいなら……」


「もう日没も近こうございますが?」


彼女は泣いていません。

でも、その顔は?


……ちょびっと、深刻に困り顔でした。


「とりあえず、ですが。どこかで、宿を借りましょう」


「でも、あの、お金が……」


銀行に預けていて……と続ける彼女。

ですが、心配はいりません。


「大変に失礼かとは思いましたが、私が少し小分けにして運んでおります」


「ありがと! さすが、アフア!」


はぁ、というため息の音。


『保護者というのは、大変なのですね』


それが、アフアこと私のため息の意味でした。

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