第12話

 どうやったら人は絶望するのか。

 ぼくは絶望がなんなのか、わからなかった。


 たとえば、ミヅキを階段からつきおとすのはどうだろうか。

 ミヅキはたしかに痛いと泣くかもしれないけど、でもそれは、絶望なんだろうか。

 ではこういうのはどうだろう?

  

 あの大樹。月乃さんのお家替わりのあの大樹のうえから、グラウンドにつきおとすのは? いや、死んでしまうか。きっと、E粒子というのは生きている人からしかとれないんじゃないかな。もしもミヅキの死体を差しだしたとしても、昨日すこし話しただけでもわかる、あのワガママな月乃さんが喜ぶとはおもえない。それに高いところから物がおちれば、バラバラに壊れてしまう。バラバラだと、それは人なのか、物なのか、肉なのか、わからないから、つまりは、ミヅキじゃないかもしれない。


 ぼくはそこで母さんをおもいだした。

 マンションの屋上からとびおりた時、母さんは絶望していたのか。


 しらない。

 母さんはいつも、泣いていた。父さんに暴力をふるわれ、そして、金をとられていたからだ。

 ぼくはほとんど、母さんと話したことがないから、絶望していたのかどうか、わからない。


 絶望ってなんだ?


 ぼくは桜にきいてみた。

 しかし、桜は「オニイタマにゼツボウはニアワナイ。オニイタマの幸せが、アタシの幸せダモノ」とぼくの首をしめるだけだった。


 月乃さんにあった時きけばいい。

 とおもっていたんだけど、教室には、月乃さんににている女の子がふえすぎていて、どれが本物なのかわからなかった。たぶん、ヌル君といっしょにいるのが月乃さんだとはおもうが、あの日以来、ヌル君もみていない。


 よくわからないままに十二月になった。

 黒い、ちいさな、クモの群れが空をまっている。

 蜘蛛糸のかわりに、押しピンほどの爪をもっていて、皆の首にそれを押しあてていた。血はでなかった。


 皆は雪だとはしゃいでいた。





 どこかで、甲高い、つぶれた赤ちゃんのような、汚らしい悲鳴がした。


 先生はヨダレを口からこぼしながら、自習といって、教室をでていった。

 廊下のほうが、さわがしい。さわがしさは教室にまでひろがっていた。

 廊下をみにいった生徒たちが悲鳴をあげた。


「血! 血が!」「大本先生」「ヤバいって、救急車よばないと」


 蜜にむらがるカナブンのように、皆は廊下のほうにあつまった。キャーウワァギャア……。うるさいな。泣きだすやつまでいた。


 耳ざわりでしかたがなかったから、ぼくはランドセルから『ぜつぼうノート』をとりだした。

 ぼくは算数の問題を解くように、計算式を作ってみた。

 人はなぜ自殺をするのか、それはつまり、絶望するから。

 母さんは絶望をしたから、自殺した。


 河川敷の橋のしたには、よく新聞が捨てられている。

 殺人事件や、自殺の記事がたまに載っていて、むずかしい漢字はよくわからなかったけど、そこからただようつめたいオーラから、ぼくはそこに絶望のヒントがあるとみた。そんな記事をあつめては、ハサミで切りとり、ノートにはりつけていた。


 最近みつけたのは、家族が車内で集団自殺をしたものだった。

 父親が事業で失敗をし、多額の借金をせおったのが原因だという。

 うまれたばかりの赤ちゃんも車内にいたようで、ぼくは、赤ちゃんも絶望するのか、すこし気になった。


 どうだろう? ミヅキの家が借金をせおうことはあるだろうか?

 ……むずかしそうだ。ミヅキの家のマンションは、ぼくのアパートよりもおおきくて綺麗だし、家政婦さんまでいて、お金に困っていなさそうだ。


 かんがえていると、ミヅキがぼくの机にやってきた。


「大変だよ、ユキト君」


 顔は真っ青で、目に涙をうかべている。


「大本先生がね」


 彼女が早口でいう内容をくみとるに、どうやら、血まみれの先生が廊下で倒れていたらしい。大本先生は体育を担当している男の先生で、とても若く、女子に人気があった。


「血まみれ? 転んだのかな?」


 ぼくがきくと、ミヅキはすこし頬を赤らめながら、友達からきいたという情報を話した。


 どうやら大本先生は、となりのクラスのアズサという子といっしょにトイレに入っていたようで、性器を嚙み切られ、必死に廊下まで逃げてきたらしい。


 アズサはトイレの個室で、宙をみあげながら、無表情で、そのままほかの先生につれられて保健室にいった。廊下は、大本先生の下半身からあふれる血と、アズサの口から漏れでる血で、赤くよごれているらしい。


「アズサちゃん、私と仲がよかったんだ。なにかあったのかな?」


「給食の時間まで我慢できなかったんだろう」


 桜がいうには、ソーセージはしっかり火をとおしたほうがおいしいらしい。


 先生が帰ってきて、みんなは自分の席にもどされた。

 すすり泣きがいろんなとこからきこえる。


 どこまでも頭をひねるつぶしてしまいそうな、とても痛い、うるさいサイレンの音がとおくからきこえて、それは救急車みたいだった。救急車がグラウンドに入ってきて、また、廊下のほうで人のかける音と、いろんな声がした。二十分ほどしたら、音はなりやみ、しずかになった。


 あとで体育館で全校集会があり、アズサのことを校長が説明した。

 だけど、みんなきいちゃいない。泣いているか、となりの子とさっきみたことについて話しているかで、先生たちが注意している。


 体育館から帰る途中、背後から寒気と、獣のうなり声がした。


「あのアズサって子も、私が願いをかなえてあげたのよ」


 ふりむくと、ヌル君と月乃さんがいた。


「金曜日、お仕事をするの。屋上にきて」


 月乃さんはそういって、消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る