21 ツッコむも ツッコまれるも 気持ちいい
「おはよう、五月雨くん!」
「ああ、うん、おはよう、霜上川さん」
自分の席に座り、こんなに眠いのに朝から学校に来なければならないことの異常性に思いを馳せていると、なんかよく分かんねーけどやたらと嬉しそうな霜上川さんがやってきた。
「眠そうだね?」
テンション高めの霜上川さんは、僕を見下ろしてそう尋ねる(僕は座ったまま、霜上川さんは立ったままなので、必然的にそうなるのだ)。
「あんまり眠れなかったからね」
「どうして? あたしのこと考えてた?」
「は?」
素で半ギレの声が出てしまう。
教室の真ん中で何言ってんだコイツマジで大丈夫かという思いはあるものの、それはそれとして霜上川さんの指摘は図星だった。
いや、だってさ、そりゃあね。悶々とするでしょ。抱きしめられたときの温かみとかを思い出すことによってさ。
「あ、ごめん、なんでもないから! 忘れて!」
と、顔を真っ赤にして霜上川さんは言う。
確かにこの場合、聞かなかったことにするのが正解の反応なのかもしれない。ただ、それでは僕が霜上川さんを威圧したという事実だけが残ってしまう。
あれだけ僕の身勝手のせいで霜上川さんに心配をかけた直後なのだ。ここはやっぱり、自分の気持ちをしっかりと伝えておくべきだろう。
「いや、謝ることじゃないよ。ほんとに考えてたから」
というわけで、僕はそう言った。
「???????????……マジ?」
「え、うん、そうだが?」
僕の言葉に、霜上川さんは固まってしまった。なんだこの状況。プレミか?
「……それは……うん、とっても嬉しい」
カアァァという謎の擬態語、漫画特有のものだと思ってたけど、霜上川さんはほんとにカアァァとしていた。
なんだか気まずくなったので、僕は話題を変えることにする。『具体的にどんなこと考えてたの?』とか訊かれると困るからな。非常に。かなり。とても。
「そういえば用事でもあったの? なんか嬉しそうな顔してたけど」
「ふえっ!? あたし、そんなに嬉しそうだった?」
「うん。めちゃニヤニヤしてたけど」
「そうかな……? いやあ、そんなつもりなかったんだけど、どうしてだろ。やっぱり爽やかな朝だからかな?」
なるほど。やはり霜上川さんともなれば、朝が爽やかすぎて思わず笑ってしまうこともあるのだろう。僕には計り知れない世界だけど……。
「それじゃあまた、あとでね!」
それだけ言うと、霜上川さんはふにゃりと片手を掲げて自分の席に戻ろうとする。
「あれ? 用事はない感じ?」
「ないよっ!」
ないのかよ。
僕と彼女の席は席替えによって離れてしまっている。そのため、霜上川さんはわざわざ用事もなく僕の机までやってきたことになる。
爽やかな朝、ね。
確かに爽やかな朝かもしれないと、いまの僕は思っていた。
◇ ◇ ◇
「まんざらでもない、って言葉、かなり卑猥だと思わない?」
放課後。まだ校門を出てもいないのに、霜上川さんは僕に耳打ちする。
僕と彼女は、いつものように一緒に帰っていた。一緒に帰るのは実際にはわりと久しぶりだったけれど、それでも『いつものように』という気がするのは、この習慣が僕にとって思った以上に確固としたものとなっていたからだろうか。
「そんなこと言い始めたら『万年筆』とかですら卑猥になってこない?」
「いやあ、それはちょっとレベル高いかなあ」
「急にハシゴ外すじゃん! どうして僕がムッツリみたいになってるの!?」
そんな会話をしていると、目の前を見知った男子が小走りで横切った。古池くんは僕たちに気づくと、走る体勢のままうしろ歩きで戻ってくる。
「よっす! 五月雨に霜上川! 今日も仲が良さそうで何よりだな!」
足踏みをしながら言う古池くんに、霜上川さんは機嫌よく応える。
「やっほー。古池くん。いまから部活?」
「ああ! テストが終わったから、存分に部活が楽しめるんだぜ!」
元気すぎる……。
「頑張って! じゃあまたね~」
笑顔で言って、霜上川さんは歩き始める。僕も何か挨拶をして立ち去ろう……と思ったそのとき、古池くんにさりげなく進行を阻まれる。
霜上川さんは気づいてか気づかずか、そのまま先を歩いてゆく。
「なあ、五月雨。今後の参考までに個人的な質問があるんだ。答えたくなければ無視してほしいんだが……」
古池くんはずずい、と僕に迫ってそう切り出す。いつになく真剣な様子だが、どうしたのだろう。爆乳魔法少女のなり方なら知らないぜ。
「もしかして霜上川と、ヤッた?」
たぶん口に液体を含んでいたら噴き出していたと思う。なんて!?
「いやいやいや、何もないけど? どうしてそう思った!?」
「そうなのか? 確実に雰囲気が激甘というかアダルトというかになってたから、なんかあったんだと思ったんだけどな!」
アダルトな雰囲気って言われてもな……。
「ともかく、やましいことは何もないよ。確かに、ちょっといざこざ(?)があったのは確かだけど、関係は変わってない……のか?」
いや、あんなことがあって、変わってないってことはないわな。
「思わせぶりな口ぶりだぜい! まあいいや。変なこと訊いて悪かった!」
「はあ、まあ僕に訊く分には構わないけど……」
「おう! 冷やかしたかったわけじゃなくて、気になったんだよ、同級生がどんな大人の階段上ってんのか。それじゃあな! チャオ!」
やたらと早口で言って、古池くんは駆け出す。が、すぐに立ち止まって振り返った。
「誰にも言わないからな! 安心してくれい!」
「???」
こんどこそ走り去る古池くんの背中を見送る。誰にも言わないって言われてもな。何も言ってないんだけど……。
まあいいや、と前を向くと、校門を出たところで霜上川さんが待ってくれていた。
少し足を速め、彼女に追いつく。
「なんだったの?」
「いや、なんでもない」
「ふうん」
それ以上は何も言わず、霜上川さんは歩みを進める。
「あっ、あれって月夜さんじゃない?」
霜上川さんの視線の先を追うと、居心地悪そうにキョロキョロしている高校生――月夜さんがいた。
「また何か探してるのかな?」
「どうだろ。おーい、月夜さん! こんにちは!」
霜上川さんの声に、月夜さんはパッと顔を輝かせた。
「あっ! 霜上川さんに五月雨さん!」
月夜さんのもとにたどりつき、三人で並んで歩く形になる。
「すみません、おふたりのことがどうしても気になって、待ち伏せしちゃいました~」
月夜さんは拳を作って自分の頭にコツンと当てる。その仕草が人類で一番似合う。
「ほんと、ありがとうございました。いろいろと相談に乗ってもらって。いまはこの通り、仲良しですから!」
そう言って霜上川さんは僕の肩をポンポンと叩く。急なスキンシップ、何!? 怯えるのだが!?
「良かった~ほんとに仲直りしたんですね~」
月夜さんは目を細める。『ほんとに』ということは、霜上川さんから月夜さんに、仲直りした旨の連絡が行っていたということだろう。このふたり仲良いんだな~と他人事のように思うけれど、よく考えたらぜんぜん他人事じゃねえ!
「すみません、僕からは何も報告してなくて。心配かけたのに」
僕から月夜さんへの連絡は、霜上川さんに会いに行く前に『ありがとうございます』という一言を送ったきりだった。確か、月夜さんからは何かスタンプが返ってきていた気がするけれど、それがどんなものだったかすら覚えていない。背中を押してくれた恩人に対して、なんという薄情……。
「いいんですよ~それで」
有無を言わさない雰囲気で月夜さんは頷く。なんか知らないが、それで良かったのなら良かった。
「五月雨くんったら、けっこうキザなんですよ~待ち合わせ場所の詳細なんて言わずに、『あそこで待ってる。特別なあの場所で』なんて言っちゃって」
「そんな言い方してないよね!? 詳細を言わなかったのは確かだけどさ!」
「ほら! あたしとはもう以心伝心と思ってたってことでしょ?」
「そういうんじゃなくて、まあ、言わなくても分かるかなと思っただけだし」
「おんなじじゃ~ん!」
霜上川さんは肘で僕の腕を小突く。さっきからどうしたの!?
「ちょ、ちょっとその雰囲気はまだ早いのでは~? いや、でも外野がとやかくいうことじゃないですよね……わたしは黙っておきます~」
月夜さんも霜上川さんのテンションに戸惑ったらしく、オロオロとそんなことを言う。
「そこはビシッと言ってください! 不安なので!」
僕が言うと、月夜さんはさらに目を泳がせる。が、やはり年長者として何か言わねばと思ったのだろう。覚悟を決めた表情で口を開いた。
「ううっ……あの……その……もし……万が一、そういうことになったら……ゴムはちゃんと付けてくださいねっ!」
「??????????」
「????????????????」
思いがけない言葉に、僕と霜上川さんは互いに顔を見合わせる。
だがよく考えれば、この展開はある意味お決まりだ。きっと月夜さんは、ゴムという言葉を我々が思い浮かべたのとは別の意味で使っているに違いない。
僕と同じ推理をしたらしい霜上川さんは、月夜さんに小声で尋ねる。
「あの、月夜さん? ゴムっていうのは、具体的に……?」
その問いに月夜さんは、霜上川さんの耳元でゴニョニョと何かを囁く。みるみるうちに、霜上川さんの耳は赤くなった。
「あっ、やっぱりその意味ですよね、すみません。分かりました」
その意味なのかよ!
「ね、やっぱり、ね、大事だからね」
霜上川さんは真っ赤な顔をしたまま僕に向けて言う。どうしてコメントを求めるの!?
「いや、そういう予定はないから」
「ゴムを付ける予定が!? そのままはダメだよ!」
「違うよ! なんでそうなるんだよ!」
「ううっ! すみません! 変なこと言っちゃいました~出直してきます~」
そう言って月夜さんは一瞬で走り去った。
若者ふたりの情緒を乱すだけ乱してどっか行ったな……。もちろん、それでも憎めないのが月夜さんなのだけれど。
「……」
「…………」
気まずい沈黙が流れる。
でもその気まずさには、どこか甘さが含まれていて――
「破廉恥ですわ~!」
僕が浸ろうとしていた謎の感慨を吹き飛ばすように、うしろから大きな声が聞こえてくる。
振り返るとそこにいたのは『破廉恥ですわ~』の張本人である冬籠さんと、僕をすごい剣幕で睨む山白さんだった。
「推し変か他界したのかと思ってたのに……もしかして裏で何かあった? だ、だとしたら許せない……」
怖い怖い! 裏で何かあったのは事実なので余計に怖い!
「やっほー! ふたりで帰ってたの?」
「どうしても家に遊びに来いって言われたから、部活サボった……」
「どうしてもなんて言っておりませんわ~! あなたが遊びに来たいとおっしゃったんでしょう!」
このふたり、いつのまにかこんなに仲良くなってたのか……意外だ。
「それはそうと! 話を逸らさないでくださる!? あなたがたが破廉恥だという話題は終わっていませんわ~!」
冬籠さんは扇子(久々に登場したな、このアイテム)を広げて僕たちを指し示す。
「あたしたちのどこが破廉恥だというの!?(霜上川)」
「その言動がすでに破廉恥ですわ~!(冬籠)」
「フユちゃん知ってる!? 破廉恥って言う方が破廉恥なんだよっ!(霜上川)」
「破廉恥と言う方が破廉恥と言う方が破廉恥ですわ~!(冬籠)」
「小学生の喧嘩みたいになってきたのだが!?(五月雨)」
「よく分かんないけどたぶんぜんぶ香味野菜が悪い(山白)」
「香味野菜じゃなくて五月雨ね!?(五月雨)」
めちゃくちゃな会話を繰り広げながら、僕たちは歩く。
しばらくするとガードレールの設置された歩道に入り、幅員が狭くなる。僕は少しだけ歩く速度を下げ、彼女たちのうしろにつく。
いままでならここで『僕はいなくてもいいんだ……』と卑屈になっていたところだけれど、いまは違う。何を思っているかといえば……『霜上川さんかわいいな~』とか、そんなところだ。
……思考が退化している。
するとそのとき、ちらっとうしろを確認した霜上川さんと目が合った。そして霜上川さんもまた歩く速度を下げ、僕の隣に並ぶ。
あまりにもさりげない所作だったので、前を歩くふたりはそのことに気づいてさえいないみたいだ。
「あたしのこと見てたでしょ?」
気づかれてたか。というか、目が合ったのだから当然か。
「見てたけど?」
僕は開き直って、そんなことを言ってみる。
「どうだった?」
「霜上川さんだなあと思った」
「えへへ。そっか」
彼女は笑う。そして前を歩くふたりを見ながら続ける。
「なんだか日常って感じだねえ」
「そりゃ日常だからな」
日常に過度のエモを見いだす態度、僕は苦手だなあと僕の中にいる性格の悪い方の僕がつぶやく。
「知ってる? 五月雨くん。"
「エモを見いだしてるのかと思ったら違った! どちらかというとエロだった!」
「やっぱ五月雨くんのツッコミ、いいね~!」
そう言って霜上川さんはこっそりと、僕の手の甲を指でこちょこちょ触った。
破廉恥じゃん、と僕は思った。
了
下ネタが好きな女の子は嫌いですか? かめのまぶた @kamenomabuta
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