19 溜めすぎて インストールが 終わらない(3/4)はつ恋

「とまあ、こんなことがありました」


 僕は長い話を終え、月夜さんの様子を窺う。話すことに集中していたから分からなかったけれど、月夜さんは涙ぐんでいた。


「ううっ……五月雨さん……それは辛かったですね……」


「いやっ! なんかすみません! 僕なんかのために泣いていただいて……」


「泣きますよ~だって、そんなの、あんまりじゃないですか……もちろん、その方にもいろいろな事情があったのだとは思いますけど~」


 月夜さんの頭には、一体どんな『事情』が浮かんでいるのだろうか。


 ていうか『事情』って文字を逆にすると『情事』になるよな。いかにも霜上川さんが言いそうだ……。


 …………。


 ……………………。


 あれから僕も、さまざまな可能性に思いを巡らせた。彼女が姿を消した、その事情について。


 僕との会話が嫌になった、僕の声から滲み出るなんらかが気持ち悪くなった、実は付き合っている人がいて、その人から連絡を今すぐやめるようにと言われた、出家した、などなど、いくらでも可能性は思い浮かんだ。でも、それを確かめる術はもうどこにもない。


 月夜さんの意見を聞いてみたいような気もするけれど(どうしてか、月夜さんは真相に近いことを言ってくれそうな気がする)、聞いたところでどうしようもない。だから――


「ええ。僕もそう思います。彼女には彼女の事情があった。それ以上ではないし、それ以下でもない。だからもう、いいんです。いずれにせよ過去のことなので」


「駄目ですっ!」


 急に月夜さんが大声を出したので、僕はあっけにとられる。


「たとえどんな事情があっても……何も言わずにいなくなるのは、駄目なことなんですっ! それは、やっちゃいけないことなんですっ!」


 両手を拳にして、月夜さんは一生懸命に僕に言葉を投げかける。


「き、傷ついた自分のことを、もっとよく見てあげてください。もっと労わってあげてください。そして、霜上川さんのことも、もっとよく見てあげてください……」


「どうしてそこで霜上川さんが出てくるんですか?」


 僕の言葉に、月夜さんは目を見開く。


「さ、五月雨さんは、その人と同じことを霜上川さんにしようとしています! それでいいんですか!?」


 その言葉は、あまりに深く僕に突き刺さった。だから一瞬、ブチギレそうになった。でも、我慢した。正しいことを言われて怒り狂うのは子供のやることだと思ったから。


「ごめんなさい……わたし、言いすぎました……でも、本心です。五月雨さんがどんな選択をするにしても、霜上川さんにちゃんと説明してあげてください。それが、わたしからのお願いです……それではっ!」


 一息にそう言うと、月夜さんは僕の顔を見ずに公園から立ち去った。


 僕は彼女の背中に何も言えず、座ったままでただぼうっと空を眺めた。


 僕は自分が本当に、まだ何も分かっていない子供なのだと思った。


◇ ◇ ◇


 家に帰って、ベッドに寝転がる。まだ日は高い。


 僕は結局、怖かったのだった。


 霜上川さんと仲良くなればなるほど、彼女が突然いなくなるのではないかという恐怖は募っていた。その恐怖に、気づかぬうちに苛まれていた。


 だから、逃げた。


 消えられる前に、消える。そうすれば、もう彼女が消えることに怯える必要なんてない。


 それが独りよがりの自己満足なのだということに、僕は今のいままで本当の意味では気がついていなかった。


 自分がされて嫌なことを、人にしてはいけません。


 その言葉を思い浮かべてやっと、僕の中には見習い魔法使いへの怒りが芽生えた。


 僕の前から突然姿を消した、顔も知らない彼女への、やり場のない怒りが。


 僕は、諦めてはいけなかったんだ。諦めるかわりに怒らなければならなかった。それから、許さなければならなかったんだ。


 でも、僕はそうしなかった。


 だからもう、すべてが終わったような気もしている。


 僕は霜上川さんを傷つけた。自分がつけられたのと同じ傷を、霜上川さんにもつけてしまった。


 その罪はあがなえるのか?


 僕は許しを請うに値するのか?


 僕は一体どうすればいい?


 ……もう何も、分からない。


 僕は思考を放棄した。いつのまにか手が勝手に動き、ゲームパッドを触っていた。それは何度も繰り返して習慣化した行動パターンだった。


 何をするのも嫌なとき、ゲームはいつも僕を救ってくれた。僕をとてつもない闇に引きずり込もうとする無数の手――ひたすら手を動かすことで、僕はそれらから逃れることができた。


 無心でコンソールとディスプレイを起動し、無心でヘッドセットを装着し、無心でフレンドリストを確認する。


 光が目に入った。


 そこにあるいくつかの名前のうち、ひとつだけが僕の目に峻別され、輝いて見えた。それは紛れもなく、霜上川さんのニックネームだった。


 霜上川さん、オンラインだ……。


 いま、霜上川さんも僕がオンラインであることに気づいているだろうか。


 詰めが甘かったな、と妙なときに妙なことを思う。


 本当に霜上川さんの前から姿を消したいのなら、リャインでもゲームでも、フレンド登録を解除しておくべきだった。


 ぼうっとそんなことを考える。そしてふと気づく。


 いや、違う。


 いまの僕の思考は間違っている。そして、僕はずっと間違っていた。


 そもそも、僕は霜上川さんの前から姿を消すことなんてできないんだ。


 なぜなら僕は存在するから・・・・・・・・・・・・。この現実に、そして霜上川さんの現実に、どうしようもなく存在するから。


 いくら僕が霜上川さんを避けても、僕と霜上川さんが同級生で、同じ教室の中で生活していて、互いの顔も本名も知っていることに変わりはないから。


 だからまだ、何も終わっていない。


 この世界はまだ続いている。


 終わりかけているとしても、未来に向かっている。


 この世界では僕は霜上川さんの顔を見て話すことができる。霜上川さんに僕の声を届けることができる。


 だから――


 僕はいつだったか霜上川さんとプレイしたゲーム――ハーフムーンを起動し、デュオに彼女を誘った。


 もし来てくれなかったらどうしよう。そんな僕の自分勝手な不安を笑い飛ばすように、霜上川さんはすぐにルームに入ってきてくれた。


『霜上川さん、聞こえる?』


 ボイチャをオンにして、彼女に話しかける。


『うん』


『会いたい』


『うん』


『アイス食べる?』


『うん』


『何がいい?』


『五月雨くんが選んでくれたやつ』


『分かった。じゃあ、あそこで待ってて』


『うん』


 次の瞬間、画面の待合ルームにはすでに霜上川さんの姿はなかった。


 僕は急いでヘッドセットをバナナスタンドに戻すと、立ち上がる。


 ヘッドセット越しに聞こえる彼女の声は明らかに震えていた。その涙が何を意味するのであれ、僕は謝らなくちゃいけない。彼女に、僕の罪を示さなくてはならないんだ。


 玄関でふと気づき、僕は月夜さんに『ありがとうございます』とメッセージを送る。


 そして足を踏みだした。

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