下ネタが好きな女の子は嫌いですか?
かめのまぶた
1 パンチライン 練乳マニューバ モニュメント
僕は怪文書を拾った。
怪文書というより怪ノートで、何も書かれていない表紙をめくるとまず「淫らにきこえる言葉」という見出しがある。
見出しの下には「パンチライン」、「アナリティクス」――これらは比較的わかりやすいが、さらに――「マニューバ」、「逐一」、「モニュメント」、「マンボウ」、「出汁」(ただしこれには「漢字で書いたときに限る」という注がつけられている)、「ビン・缶・ペットボトル」、「遅刻」、「無知の知」、「勃発」、「練乳」、「乳製品」、「ヨーソロー」、「パパイヤ」、「事後報告」など、とにかく思いつきで書き連ねられたであろう言葉が続いてる。
このノートも初っ端からこんな文字列どもを記入されるとは思ってなかっただろうと思うと涙を禁じえないな。
中学生である僕が生徒として生活するここは中学校なわけで、たぶんこのノートを落としたのも中学生で(逆に先生が書いてたらヤバすぎるだろ)、性欲をもてあまして混乱した男子中学生が記したものだろうとは思うものの、それにしては妙に文字がきれいだ。
もちろん、文字がきれいだからといって女子が書いたものとは限らないけど、いずれにせよ、男子連中がバカ騒ぎしながら書いたノートというようにはどうも思えない。
それにしては、妙に切実というか、ガチというか、なんというか……。
嫌だなあ。なんか変なもん拾っちゃったなあ。
たぶん、僕には3つの選択肢がある。
まずひとつは、これをこのまま落ちていた元の場所――つまりは僕が中学校生活2年目の新年度を迎えるにあたって学校の空気に慣れておくために朝早くから登校しダラダラ散歩していた廊下の途中――に置いたままにしておくこと。
ふたつめは、これを落とし物として先生に届けること。
最後は、問題を先延ばしにするためにこのノートをとりあえず持っておくこと。
答えは意外と簡単に出た。3つめだ。
なんとなく、これが誰かほかの人の目に触れるのは避けたいと思った。ノートの持ち主も、きっとそんなことは望んでいないだろう。義理も貸しもないこのノートの作者(しかも絶対ヤベーやつ)のことなんてどうでもいいんだけどさ。
僕はノートを制服の内側に隠して、そろそろ登校する人も増えはじめただろう教室に向かった。
この判断が、僕の可もなく不可もなく友達もない中学校生活を大きく変えるとも知らずに……。
◇ ◇ ◇
教室に入ると、そこここで談笑の声が聞こえる。黒板に貼られた座席表を確認して、僕は指定の席に座った。左右前後には誰も座っていない。
ただ、僕の右隣の席には開け放たれた鞄が無造作に置かれている。雰囲気的に女子のものらしい。立ち話をしている誰かのひとりだろうか。
ま、そんなことはどうでもいい。
さーて! いっちょブコフで大量に仕入れた文庫本でも読んで ""孤高感"" 出していきますか!
と本を開いてからしばらくすると、隣の席――例の鞄が置かれている席だ――の椅子を誰かが動かすのが分かった。
僕としてもこれから席替えまでのあいだ隣に座るのがどんな人間か気にならないわけではなく、ちらっと横を見る。
マジで死にそうな顔をした美少女がいた。
病弱とかそういう感じじゃなくて、戦闘中に敵にやられてるときの顔。
いや、大丈夫!? めっちゃ息切れしてるし鬼のような形相してるし。目が合ったら今にも殺されそうなんだが!?
美少女は両手を机に置いて身体を支え、ゆっくりと椅子に腰かける。
走ってきたっぽいけど遅刻寸前ってわけではぜんぜんない。むしろまだ余裕のある時間帯だ。どう考えても異世界を救うための戦いに敗れて現実に弾き戻されてきた直後としか思えない。
それにしても美少女。あまりにも美少女。
うなじまでの長さの茶色がかった黒髪とそこから飛び出た形の良い耳はまるで宇宙の初めからそこにあったかのような均衡でもって彼女に溌溂とした印象を与えている。
はっきりとした二重に縁どられ髪と同じ色の瞳をもつ大きな目は、たぶん目元の部分だけ拡大した写真を千枚並べた中でもすぐに彼女のものだと分かるような力強さを湛えている。
スカートから飛び出した脚は人間ってこんなに美しいんですねと感動してしまうくらいの線を描いて学校指定のローファーに吸い込まれていく。
なんかヤバい表情とかしてなかったらもっと美人なのに……ということはぜんぜんなくて、むしろいまの彼女のまとう攻撃性が彼女の野性的な美しさを際立たせていた。
この人、誰だっけ。確か
1年のときは別のクラスだったけど、学校一の美人としてよく名前が挙がっているのは知っていた(
曰く、誰とも気さくに接し、でも誰とも群れない人気者。老若男女からモテモテの完璧超人。
それって友達づきあいが苦手なだけなんじゃ……と実際に友達づきあいが苦手な僕なんかは思うわけだけども、まあそのへんのことはそれぞれの事情ってもんがあるからわからん。
で、そんな彼女が鬼の形相で息を整えている。
当然、クラス中の視線が彼女に集まっていた。
こっからどうすんだ、霜上川さん。そんな状態になっている理由を聞かせてくれるのか? それとも笑ってごまかす感じか? あるいは机に突っ伏すなりして見なかったふりしろオーラを出すのか?
これはけっこう難しい。新学期のこのタイミングでプレイング・ミス、略してプレミをやらかしてしまえば、さすがの霜上川さんでも立場が危ういのでは……なんて勝手な心配をしている僕の目の前で信じられないことが起きた。
空気が、物理的に変わった。ような気がした。
霜上川さんが背筋を伸ばし、表情を緩めるだけで、何もなかったことになった。
ゼロコンマ数秒前までこの少女が明らかにありえないくらい動揺していたということが、隣で見ていた僕ですら信じられなくなった。それで、ああ、霜上川さん今日も美人だなあみたいな空気が教室に流れて、それぞれがそれぞれの談笑に戻った。
これが圧倒的美少女力……。
ちょっと前まで「友達作るの苦手なんやろなあ」みたいな勝手な共感を抱いていた自分が恥ずかしい。実際に友達を作るのが苦手なのだとしても、彼女と僕は圧倒的に、違う。
と、そのとき。彼女と目が合った。
ずっと彼女を見ていた自分に気づいて気まずくなるが、目を逸らすのも癪なので、無言で会釈をする。
霜上川さんはにこっと笑うと、少しだけ呼吸を整えてから前を向いた。
こりゃあ明らかにまだ、内心穏やかじゃないな。
たぶん普段の彼女なら、おはようの一言ぐらい言うのだろう。知らんけど。僕と死ぬほど話したくなかっただけかもしれんけど。
でもたぶん、彼女はまだ自分の中の猛獣を抑えている途中だ。僕だけがそれに気づいていることに少しだけ嬉しくなって、そう思う自分のキモさ加減を自覚して、すんませんねえ! と心の中で逆ギレしながら本に目を落とす。
ふと胸のあたりに硬いものが当たって、そういえばノート、制服の中に隠したままだったなと思って、とりあえず机の中にそれを仕舞った。ついでに霜上川さんの方を見ると、彼女は話しかけにきた誰かと他愛のない会話をしていた。
◇ ◇ ◇
「五月雨くんって『さみだれ』くんって読むんだね。珍しい名前だね」
「はあ、まあ」
始業式が終わって、休憩時間。
次のホームルームが終われば今日はもう下校だというとき、霜上川さんが話しかけてきた。
マジで特に仲良くする気もないのに義務感で話しかけてくるのやめてほしい。みじめになるだけなので。
どうせ良い天気だったね~とか桜散っちゃうの早かったね~とか言ってそのあと会話が途切れてこれからよろしくね~とか言って終わるだけだから! あれ? よく考えるとそれってめっちゃ良い感じのコミュニケーションなのでは?
「五月雨くんって趣味あるの?」
趣味あるの? じゃあないんだよ! ある前提でしゃべれよ! 特にないけど!
そしてよりにもよって最初から趣味の話かあ。これが一番困るんだよな。
ゲームとか読書が趣味っちゃあ趣味なんだけど、別に語れるようなことしてるわけじゃないし、そもそもエンタメ系の趣味の話題って意外と広がらなくね? 共通の作品を知ってたらいいけど、知らなかったら「へえそうなんだ、こんど見てみるね~(見ない)」で終わるじゃん。しかも大概、お互い知らないじゃん。世の中にどんだけコンテンツあるんだよって話だからね。
「やっぱり趣味、読書なのかな?」
こっちが数秒迷っていると霜上川さんが追って質問を仕掛けてきた。
もしかして僕って煽られてます? いや、それはさすがに被害妄想か。趣味が読書の人間を馬鹿にするのが普通になったらもう世も末だぜ。
「まあ、そうかな」
「じゃあけっこう語彙力ある感じなんだ」
語彙力?
読書してるって話題でいきなり語彙の話になるか、普通?
「そんなにないと思うけど、まあ読書してないよりはあるかな」
ヤベえ。「無」の回答をしてしまった。
別に会話なんてそんなんで良いんだろうけどさあ。つまんないやつとは思われたくないという変な見栄があるんだよな。僕もまだまだ悟りが足りない。
「そっかあ。語彙があるのはいいよね、ないよりも」
回答、「無」じゃん……。
まあこんなもんで会話も切り上げかな、と思いながら彼女の動向を窺う。
霜上川さんは机の中を探ると、クリアファイルを取りだした。間には原稿用紙が挟まれている。
「春休みの作文の語彙比べやろうよ。知らない単語が多かったほうの負け」
「いや、そういうのはいいです」
「いいからいいから!」
なんだこいつ、めっちゃ話しかけてくるじゃん、怖……。
これが誰とでも気さくに話すという美少女の本領発揮か……。これは勘違いしそうになるわ。まあ僕としては動画配信者にコメントを読まれただけで好意を持たれてるのかなと勘違いしてヤバいコメントを多めに送りブロックされるという経験はすでに済ませているので(嫌なこと思い出しちまった……)過度な勘違いはしないわけだけれども、それでもこれから仲良くなれる可能性もあるのかなとか、そんな勘違いはしそうになる。
でも絶対、彼女は誰にでもこうして話しかける。ここで僕だけが特別なのではとか勘違いしてしまえば、あとでみじめな思いをするだけだ。だからもう、なるべくかかわりたくない。
「もしかしてやってきてない?」
「やってきてるけどさ」
彼女の勢いに飲み込まれながら、僕は作文用紙を机に出す。
霜上川さんは手を伸ばしてそれをつまみ上げた。彼女のきれいな手が急に目の前に来て、思わず見入ってしまう。
「けっこうあるよなあ、語彙。ああ、いいねえ、この単語」
彼女はまじまじと僕の作文を眺めながら言った。頭ん中みられてるみたいで恥ずい! そしてやはりなぜ、語彙?
「五月雨くんも見てよ」
彼女は押しの強さを発揮して僕の机に彼女の原稿用紙を置く。
その瞬間、僕の頭の中で小さな明滅が起こった。何かと何かがつながろうとしている、そんな感覚。
なんだこれ。この字、なんでこんな気になるんだ?
目の前に置かれた紙。そこにある筆跡に、たぶん僕は見覚えがある。
そっか、これ……。
そして思い至ったあまりにも衝撃的な仮説に、僕は頭を抱えるしかないのだった。
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