ダウト
春雷
ダウト
バーのカウンターで、一人不味い酒を飲んでいると、隣にいた女性に話しかけられた。
「ゲームをしない?」
あまりに突然の問いかけだったため、私は戸惑った。
「ゲーム?」
「ええ。ゲームは好き?」
「嫌いじゃない」
彼女は胸ポケットからカードを取り出した。トランプのカードのようだった。
「ここに一枚のトランプカードがある」
彼女はカードを裏返した。
「スペードのエース。正真正銘の、ね」
それには私も同意した。
「ルールは単純。このスペードのエースが、本当にスペードのエースなのか、イエスかノーで答えて」
「どういうことだ。どう考えたって」
「あなたがそう思うのなら、好きに解答してくれて構わない」
彼女はグラスを手に取った。ギムレットを飲んでいるらしい。
「あなたが勝てば、私が一杯奢るわ。私が勝てば、あなたが一杯奢って頂戴。どう?」
一杯くらいなら、別にたいした痛手にはならない。私はゲームをすることにした。
「それで、どう思う?」
私は考えた。しかし、どこをどう見てもそれはスペードのエースにしか見えなかった。何か細工が施してあるのか?あるいは名称が異なるのか。私は様々な可能性について検討した。しかし、考えられるどの見地からでも、それはスペードのエースでしかなかった。
「タネや仕掛けがあるの?」
私は尋ねた。
「さあ。見たままを答えてくれて構わない。時間制限はないから。ただ、夜が明ける前までに結論を出してほしいわね」
「なるほど」
私は彼女が手に持っているそのカードを仔細に観察した。どこにでもある一般的なデザインだ。白の地に黒のスペードマークが真ん中に一つ。左上と右下にはAの文字がある。どう考えてもスペードのエースだ。
そもそもこの勝負を仕掛けた意図は何だ。私は考えた。突然隣の客にこんな妙なゲームを仕掛けるものだろうか。私はさらに考えを進めた。これは何かしらの罠なのではないか。彼女は私を何らかの罠に引っ掛けようとしているのかもしれない。
私は現在、会社の機密情報を保持している。この情報は絶対に誰にも知られてはいけない。彼女は誰かに雇われたスパイの可能性もある。このゲームには、何か隠された意図があるのかもしれない。
だが、罠だとして、それはどういった種類の罠だろう。
このゲームは至ってシンプルなゲームだ。このカードがスペードのエースかどうか、当てるだけ。しかもカードは伏せられておらず、こちらに公開されている。
このゲームで、油断させようということか。
ゲームを通じ、私と仲良くなることで、何らかの情報を抜き取ろうとしている。そう考えると合点がいく。単純すぎるゲームのルールは、私の油断を誘うためにあえてシンプルなものにしているのかもしれない。
いや、あるいは彼女は週刊誌の記者で、私がいかがわしいゲームをしていたと、記事にするということかもしれない。ゲームを誇張するか、賭けたものを誇張するかして、私を吊るし上げようという魂胆だ。その可能性も大いにある。彼女は私を陥れるためにここにいるのかもしれない。
そもそも、私はこのバーによく来ている。一人で飲んでいることも多い。そのため、計画を練りやすいのだ。しまった。私としたことが、油断していた。このバーは危険だ。このゲームは、罠だ。どうやってこの状況を切り抜ける?
「どうしたの、黙って。イエス?ノー?まあ、たっぷり考えてもらって構わないけど」
どうする。イエスか、ノーか。それとも、答えないままやり過ごすか。あるいは、このまま逃げ出してしまおうか。
賭けたものについて、考えてみるか。賭けたものは、このバーで一杯奢るということ。その点に問題はないだろうか。確かに一見普通の賭けに思える。しかし、彼女がそんな普通の賭けをするとは思えない。何か裏があるはずだ。一杯。もしかすると彼女は高額な酒を注文するかもしれない。この店に置いてある、信じられないくらい高い酒を。そうなると、私には払えない可能性がある。そこで、彼女は言うのだ。情報と引き換えよ、と。
危ない。このゲームは危険すぎる。どうして私はこうも易々とゲームをやると言ってしまったのだろうか。もっとあらゆる可能性に考えを巡らせるべきだった。畜生。もうだめだ。
「誰の差し金だ」
「え?」
彼女が問い返す。
「誰の差し金だと聞いている」
「別に誰の差し金でもないよ」
「君はそう言うだろうね。わかった。取り引きをしようじゃないか」
「取り引き?」
「ああ。君に小切手をやる。そこに好きな金額を書いてくれ」
私はポケットから小切手を取り出し、彼女に渡した。
「何これ。何の冗談?」
「揶揄うんじゃない。書いてくれ」
彼女は躊躇っていたが、やがて金額を書いた。渋々、と言った感じだった。私は彼女の書いた小切手を取った。
「奴からもらった金はこんなに少ないのか」
「奴って誰」
「奴への忠誠心は嘘ではないと言うことだな」
「何の話をしているの」
私は小切手に零を四つほど付け足した。
「何してるの。そんな金額」
「これを君にやる。あとは、わかるだろう?」
「あの、どう言うこと?ゲームは?」
「しらばっくれるな!君に取ってはただのゲームに過ぎないのかもしれない。しかし、私には人生がかかっているのだ」
「はあ。そんなにこのゲームに熱中していたなんて」
「私は帰る」
「え。じゃあ、このカードは」
「ジョーカーさ」
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彼はバーを出て行った。女は一人でカードを見つめた。
「変な人。今日は誰かに奢りたい気分だったのに」
彼女はギムレットを飲み干した。
ダウト 春雷 @syunrai3333
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