ネパールの金縛り

かおりさん

第1話

『ネパールの金縛り』


 ネパールへは、本当は飛行機でインドからカトマンズまで行く予定だった。だけど、機内のアナウンスが入り、急遽パキスタンの空港へ行くこととなった。


 空港に着陸して、座席にそのまま待機していたが、数時間後に空港建物へ移動することになった。


 空港ロビーのガラス窓から飛行機を見ると、5.6人の整備士が飛行機の下で飛行機を見ていた。私はその人達をずっと見ていた。


 3時間くらい何もせず、(まだ見てるだけだ)と窓から見ていると、1人2人と整備士が歩き来て、飛行機の下の扉を開けて作業を始めた。


 (あの人達はこの人達を待っていたんだ)

他の空港から整備士が来るのを待っていたらしい。


 この空港には、お店も何もなくいつ出発になるか分からないので、空港ロビーにずっとぼんやりと待機していた。


 日が暮れてきて、飛行機は欠航となった。振り替え便もなく、インドの航空会社が車を手配することになった。


 空港を出て正面玄関で待っていると、また時間が過ぎていくばかりだった。外国の人達は、フラフラと街へ散策に行く者もいたが、私達日本人とネパールの僧侶、尼僧さん達はそのまま残り車を待っていた。


 フラフラと散歩へ行った外国人達が戻って来ても、まだ車は来なかった。日はすっかり暮れて夜になった。(今日は1日ずっと待っているだけだったな)と思っていると、大きなジープが隊列を組んで眩しいライトが近づいて来た。


 (やっと出発出来る)疲れた体で荷物を運び、どの車に乗るのかと見ていると、TOYOTAの大きなジープ数台には外国人達が早々に乗り込み、私達日本人数人と僧侶と尼僧さん達は、TOYOTAの古い業務用のような車となった。


 私達の車はジープではないので、前後に大型ジープが走ることになった。これから16時間くらいかかると聞いた。一晩中走り山をいくつ越えても、どれだけ走っても暗闇の中に光がひとつもない、左側はガードレールもないカーブ、カーブの連続の山道を進んだ。


 私は寝ていて気がつかなかったけれど、ものすごい崖の山道を走っていたらしい。ガードレールもないのに。


 夜中に少し明かりが見えた。そこはインドなのかネパールなのか私達には分からなかった。前方に走っていた車が停まっていて、その前には手作りの木の棒で作ったようなゲートがあり、手動で上げ下げしていた。


 そこは街というより、山あいの数件の家がその道沿いにかたまって建っているような所だった。道から横に外れる細い道の両サイドには、土で出来ている建物が長屋のように建ち並び、絶対にその道へは行きたくないな、と思いながら眺めていた。


 その細い道の長屋の家から、子供達が出てきて、私達が乗っている車を見ながら近づいてきて、一気に走り来た。私はとっさにドアの鍵を締めようと、ドアノブを触っても鍵がなく、ガラス窓の手前に薬指のような鍵があり、必死に両手で押さえた。


 私の方が一瞬早くて、鍵が締まった数秒後、子供達が車のドアノブを外からガチャガチャ開けようとした。私はパスボートなどの貴重品を入れたバッグを足元に置いていたので、一瞬遅ければドアを開けられ、バッグごと持ち去られたかもしれない、と思い外国旅行の怖さを知った。


 手作りのゲートへ私達の車の番になり、車が進むと窓を開けろと指示があり、運転手がその男達に


「ラマが乗っている」


 と言った。私達は静かに黙っていた。

男達が手動で木のゲートを上げて、無事に通過することが出来た。先にゲートを通った車の人達が、少し離れた場所に停車して待っていてくれた。


 その車の人達は、1人50ドルづつお金を払わされたと言った。私達の車には、ラマが乗っていたので誰も支払うことなく通過できた。


 ラマとは、チベット語で僧侶の中でも立場が偉い人の敬称で、日本語では導師とか、聖人と言われる位である。私はそんなにも偉いお坊様に、佛教の話を聞いてみたり、さらに質問したり雑談していたのだ。


 ゲートを通り、後続車両も通過して来て、また車は走りだした。私はおそれ多い事と黙っていると、ラマの方から話し掛けてくれて、その場が和んだ。


 「日本から何故来たのか?」「何を学んでいるのか?」など聞かれて「今読んでいるのはこれです」と日本から持ってきた本と、私のノートをラマに渡した。


 本は日本語訳なので、ノートに書いてあるその本のタイトルのページを見せると、サンスクリットのアルファベット文字を読み、漢字も少し分かると言った。


 (おぉ~さすがラマだ)ラマは漢字に興味を示して、本のタイトルのサンスクリットのアルファベットと漢字を対比して読んでいた。ラマは私のノートを見て「これらは良い経典だからたくさん読みなさい」と教えてくれた。



 ネパールに到着して、空港でラマ達に別れの挨拶をして飛行機に乗り込んだ。そうすると私の席の横にまたラマが来た。ご縁があるなぁと思い「Hallo again!」と笑顔で挨拶をした。


 天気が良くて、私は窓際の席だったので窓の外を見ていると、雲の中に虹が見えた。一面の雲も虹色に染まっていた。あまりの美しさに、ラマも見たいかなと思って、座席に背中をくっつけて窓の外を見ながら手でどうぞと言うと、ラマも笑顔でその眺めを楽しんでいた。


 そして、ラマの次にまた窓の外の虹色の雲を眺めていた。私がラマの方へ振り向くと、ラマは瞳を閉じていた。私はラマが、もういいですよ、ゆっくり見なさい、と言っているように思えた。


 窓に張り付くように、ずっとどこまでも続く空の雲の虹色を見ていた。あんなに美しい空は、これまでに見たことはない。あの時以外に。


 私は、一歳の時に一度虹の国へ行った。どこまでも虹色の国で私は一生懸命「ママ、ママー」と叫ぶがママはいない。ただただ、虹の世界だった。


 一歳の記憶、私は生まれて初めて目を開いた時の記憶もある。ベビーベットに寝ていて左側は壁、右側は台所があり母が流し台の前に立っていて料理をしていた。


 あの虹の国へは二回くらい行った。乳幼児突然死症候群だったのかもしれない。目が覚めてからも声が出せなかった。疲労感みたいなのでいっぱいで起きる事が出来ずに、また眠りについた。


 今思うと、私は幼少時に子供らしい子供ではなかったかもしれない。誰に言われるでもなく幼稚園の頃には、死とは、と考え目を閉じる。そして、無とは、と考え心に(むー)と思う。でもまだその(むー)がある、心に何も言葉を浮かべない。それでもまだ目を閉じている暗い視界がある。そんな瞑想のような事をしていた。


 夜のカーテンの向こう側が怖い、と思うと1人でカーテンを開けて、窓の外の景色を見て何が怖いのかを目を凝らして見るが、何も怖いものはない、と知るのだ。


 そんな幼少時に、夜寝ていて気がつくと、森の中を飛んでいた時があった。誰かが私を抱きかかえて歩いているのかな、と体をくるりと反転させると、森の木々の上に夜の空が見える。誰かがいる訳ではないのか、とまた反転して空間を飛んでいく。長い時間を飛びその先にはお寺があった。


 今はもう、その森はない。流れていた小川もない。住宅街となっている。あの体験は何だったのか分からない。森が住宅街に、それは人生のようなものなのかもしれない。変わりゆく時間の経過の中の自分も世界も。


 飛行機を降りて、これが最後のラマとの別れと深々と頭を下げてると、ラマは手を振ってくれた。


 そこからは車で、ネパールの山岳地にあるお寺へ行った。そこで、会ったのだ。


 お寺に参拝して、近くを歩いて散策していると、大きな洞窟があり、その前に立ち目を閉じて気を味わおうとすると、目を閉じた視界の中に、大柄な坊主頭の男の僧侶の後ろ姿から目がギョロっと大きく見開いた顔が左向きに振り向き目が合った。


 私は驚いて目を開けて、その洞窟を足早に離れた。他の人が洞窟の中に入ろうとしたので、「そこは入らない方がいいよ」と伝えて中には入らず覗き込んでいた。


 宿泊施設まで坂道を歩いていくと、前方に白い牛が歩いていた。その牛も左側に振り向き目が合った。この牛は聖牛だと思った。右の方角に宿泊施設があり、だれかが待っていると気配が分かった。


 宿泊施設には山越え飛行機でのラマとは違う、また別のラマがいた。そのラマの前に座り挨拶をすると、ラマは「良いことをしなさい、良いことをしなさい、とにかく良いことをしなさい」と説法をしてくれた。


 説法は簡単な方が、いつまでも胸に去来する。


 その日の深夜、寝ていると金縛りになり、目を開くと誰もいない。かなりきつめの金縛りはとける気配がなく、左の耳に「フー」と息をかけられた。あの昼間の洞窟の人だと思った。


 インドやネパールで車の中で目を閉じると、道に何人もの僧侶が歩いている姿を見た。この地は「生が息づいている」と実感していた。


 夜中の金縛りにも、生が息づいている。

その息は少し笑っているように思えた。かなり近い耳元だった。私が脳裏に見たあの僧侶は、今もあの洞窟で修行をしているのだろう。

合掌。



 


 

 





 


 







 

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