南條楓華を笑わせたい
健杜
第1話 無口な君
彼女に出会った日のことは今でも鮮明に覚えている。
雨が降りそそぐ夜の街を一人――
「このあとどうすっかな」
行く当てもなく歩きながら、どうするべきか悩んでいた。
好きで雨の中歩いているわけではもちろんなく、両親とけんかをして思わず何も持たずに飛び出してしまった結果だった。
「でもな、今回のことは俺は悪くないしな。むしろ勝手にお見合いを進めて、結婚をしろとか言ってくる親父の方が悪いからな」
俺が学校から帰るなり、普段は家にいない親父に呼び出されて話を聞けば、「お前もいい年だから結婚相手を用意した」なんて言い始め、反抗すれば怒鳴り散らしてくるものだから思わず家を飛び出して今に至る。
どこに行くかは決めていなかったが、とにかく家から離れたかったのでひたすら走り続けていると見知らぬ街にたどり着き、雨まで降ってくる始末だ。
「でも、いつまでもこうしてるわけにもいかないよな」
家へ帰ろうと思ったが適当に走ってきたせいで、帰り道が分からなかった。
そのうえ体力も使い果たしてしまったようで、思わず電柱に背中を預けて座り込んでしまった。
もういっそ、このまま濡れ続けて風邪をひいて縁談を台無しにしようかと思い始めた。少し考えれば別の日になるだけの話だが、この時は本気でそうすることが正解だと思っていのだが……
「風邪を……ひきますよ」
そんな一言と共に、突如雨が降り止んだ。正確にはまだ降っているのだが、体を打ち付ける雫がなくなったのだ。
おかしいと思い、顔をあげると誰かが俺を傘の中に入れていた。
周囲はすでに暗く、明かりも少ないせいで顔はよく見えなかったが、長い黒髪を腰まで伸ばし、着物を着ている女性の姿はとても印象に残った。
「別に、風邪を引いたからって死にやしない。どうせ親父だってそのくらいで心配しないよ」
彼女は何も悪いことはしていないのだが、やさぐれていた俺は少し強く当たってしまった。
「そうですか……」
彼女はそう一言呟くと、それっきり黙ってしまった。
気を悪くしたのかと思ったが、相変わらず俺を傘の中に入れていて、その場を離れようとはしなかった。
「別にあんたまでここにいる必要はないぞ。それに、俺を傘に入れているとあんたまで濡れるだろ」
「私は……気にしていません」
彼女は親切でやっているのは分かっていたが、その親切が今の俺には余計のお世話に思えた。
「俺は雨に濡れていたいんだ。風邪でも引けば、嫌な見合いを少しでも先延ばしにすることができる。だから傘に入れる必要はない」
強い口調で言うと、彼女は意外な行動に出た。
「分かりました」
そう言うと彼女は俺が言った通り傘に入れることはやめて、無言で俺の隣に立ち続けたのだ。
まさか本当に言った通り傘から出すとは思わず驚いたが、そんなことよりも彼女に興味が湧いた。
「あんたは何をしているんだ? こんな俺にかまってるってことは暇なのか?」
彼女は俺を傘に入れないようにしながらも、その場を離れようとはしていなかった。
俺にこんだけ強く当たられたのなら嫌な気分には少なからずなるはずなのに、それでも隣に居続けるのには何か理由があるのかと気になったのだ。
「私が、やるべきことをやっているだけです」
「やるべきこと? 俺の隣に立っていることがやるべきことなのか?」
「はい。その通りです」
俺が質問をすると彼女はそう強く肯定した。
「変なやつだな。でもそうか、俺がここにいるとあんたに迷惑をかけることになるようだな。わかった、家に帰るよ。だからあんたも家に帰りな」
「大丈夫なのですか?」
「ああ、もう大丈夫」
気づけば先ほどまで抱いてたイライラは消え、今は穏やかな気持ちになっていた。
俺は立ち上がり、そこで初めて彼女の顔を正面から見た。
隣にいてくれた彼女の背は俺よりも小さく、夜よりも深い黒の瞳で俺を見つめていた。
「俺の名前は髙野光翔だ。心配してくれたのに酷いことを言って悪かった。あんたのおかげで少し、楽になったよ。ありがとう」
気持ちが楽になったお礼を言うが、彼女は何もしゃべらなかった。
「そうだ、今度お礼をしたいから名前を教えてほしんだけど」
そのまま離れるのも少し寂しかったので名前を尋ねるが、彼女は黙ったままだった。
そのまま数十秒ほど待つが、言うつもりはないようなのでその場を離れることにした。
「俺を一人にしないでくれてありがとう。あんたも早く家に帰れよ」
改めてお礼を言って家の方向らしき道に向かって歩こうとした時、声が聞こえた。
「南條楓華」
歩こうとした足を止め、振り返れば相変わらず俺のことを見つめる南條楓華の姿があった。
「南條楓華、いい名前だな。改めて、今日はありがとう南條。このお礼はいつかするよ。またな」
名前を教えてもらえた喜びで笑みをこぼしながら、再会の約束を一方的に取り付けて今度こそ歩き出す。そんな俺をいつまでも彼女が見つめていることには気づかずに。
その後何とか家にたどり着いた俺は案の定風邪をひき、親父にこっぴどく叱られる羽目になった。
数日安静にしたのちに完全に回復した俺は、やはり断り切れずにお見合いに出席することになった。
そのため普段は着慣れない和服を着る羽目になった。
「まあ、仕方がないか。今日まで自由にさせてもらえたんだからな。これくらいは諦めるか」
俺の家は国の重要な役職に関わっていて、いずれはそれを受け継ぐと言われていたが、今日まで特に習い事もさせられることはなく自由に生きてきた。
なので、突然お見合いをさせられることは気持ちでは嫌だったが、仕方がないと納得はしていた。
また家を飛び出して、誰かに迷惑をかけるわけにはいかないので、今度は大人しく言うことに従うことにした。
部屋で待機していると、俺の親父――
「もうすぐ相手方が来るから大人しくしてろよ」
「分かったよ。大丈夫、もう出てったりしないから」
俺に念を押すとそのまま隣に腰を下ろし、相手が来るのを待っていた。
互いに話すことはなく沈黙が続くが、扉がノックする音と共に嫌な空気が霧散した。
「南條です。入ってもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
どこかで聞いたことがある名字だと思ったがすぐに「失礼します」と言いながら和服を着た人たちが入ってきたので、頭から追いやったが……その中に知っている顔があった。
「この度は私たち、南條家選んでくださりありがとうございます。こちらが私たちの娘です」
両親に紹介された彼女は艶やかな黒い髪に美しい着物を身にまとい、綺麗な所作でお辞儀をしたのちに俺の方を見て自己紹介をした。
「私は南條楓華と申します。この度は私を選んでくださり、ありがとうございます。精いっぱい光翔様を支えていく所存です」
そう言って吸い込まれるような黒い瞳で俺を見てくるのだった。
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