第2話 知覧上空

編集「五式戦は良かったというより強かった?」

本田「そうですね、ちょっと舵が効きすぎて神経質なところがありましたけど、機動性は良かったし機首の機関砲も強力でしたし。その前に乗っていた六一(三式戦闘機、飛燕)に比べてパワーもありましたしね。シコルスキー(編集部注:F4Uのこと)相手なんかだと、状況次第ではがんばれば多少の劣勢はひっくりかえせました」

編集「本田さんの腕もあったのでは?」

本田「うーん、あまり自慢に聞こえたら、そんなつもりはないんですが、少しはそれもあったと思います」

編集「本田さんの所属した独立飛行第三百十三中隊では知覧上空でP-47に勝利した記録があります」

本田「はい。ええと(手帳をめくりながら)ああすみませんちょっと正確には今わからないんですが確か六月の上旬だったかなと」

編集「昭和二十年の六月九日とあります」

本田「あ、そうそう六月九日です。あの日は中隊の四機で特攻機四機の直掩に行ったんですが、天候不良で接敵できず、全機帰ってきたんですよね。帰ってくると黒煙が基地上空で上がってる、三十機くらいの小型機が地上を攻撃してるんです。で、これ言うのは少し恥ずかしいのですが、その当時付き合っていた(当時は結婚前)愚妻が知覧で軍属として働いていたもんですから、もうなんというか」

編集「頭に血がカーッと」

本田「そう、そうです。久しぶりに武者震いです。でもやっぱり(中隊長の)伊吹さん(伊吹芳彦大尉、航士五十六期)は冷静で。空戦慣れしてない奴には最初の一撃で離脱するように指示を出して、特攻隊には退避命令を出して、それから四機で突っ込みました」

編集「五式戦四機対サンダーボルト三十機!」

本田「はい、最初の一撃で三機落として、不慣れな二機はそのまま離脱させて、あとは伊吹さんと私の二機で、上昇して降下して一撃してっていうのを繰り返しました。敵も必死に上がってきますから、あのゲームのモグラ叩きみたいになって。で、最終的に同高度で乱戦になったところを戻ってきた二機が加勢してくれて、敵が逃げて助かったんですが」

編集「危なかった?」

本田「そうですね、さすがに敵の方が圧倒的に数が多かったですしね。でもそこでまた流れが変わってくれて。全部で十機撃墜して三機撃破でしたね」

編集「実質二機対三十機、劣勢からの逆転勝利ですよね。こちらの損失はなし?」

本田「そうです。まあ運が良かったのもあるんですけど。もうしばらくぶりの完全勝利だったから。しかも地上から全部見えてますでしょう。敵が逃げた後に降りたら大騒ぎになってて」

編集「大歓迎に」

本田「そう。着陸してプロペラを止める前からみんなわーっと駆け寄ってきてね、危なかった(笑い)。上級司令部からは酒が届けられるし。夕方には雨が降り始めてたんで、翌日の出撃はないだろうということで、将校が宿舎にしていた旅館で大宴会になりました」

編集「部隊感状と個人感状が両方出ました」

本田「はい、あれは少し後でしたけどね。個人は全員でしたね。そういうのは例がなかったみたいで。永野(永野敏夫伍長、小飛十五期)なんか感激しちゃって、大変なことになりました」

編集「特攻の話も沙汰止みになったと」

本田「それですよね。それ、今でも私ちょっと苦しいんですが。もともと伊吹さん(中隊長、伊吹大尉)で握りつぶしてたのが正式に無くなったみたいで、でも我々が(隊員が)それを知ったの本当に戦争が終わってからなんですよ」

編集「なるほど。独立飛行第三百十三中隊ですが、沖縄戦の後は六月の終わりに甲府に移動しています」

本田「はい。もうその頃には中隊って言っても操縦者は私と伊吹さんの他は2人くらいになっちゃって。さっき話した永野も徳之島に不時着したまま帰ってこれなくてね。伊吹さんの昇進(少佐)に合わせて、残った全員で、整備中隊含めてですけど、いったん下がって、再編成することになったんです」


 本田史郎氏は陸軍少年飛行兵十期、元陸軍准尉。航空マニア1981年7月号より転載

(注:フィクションです)

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