第20話 記憶を取り戻せ

 帰り道で出会ってしまった。

 EV(電気自動車)から颯爽と降りてきて名刺を渡されたときに確信した。

 プレッシャーをかけに来たのだろう。


 問題は監督たちから話を聞いているのかいないのか、だ。

 名刺にはこう書いてあった。


『映像プロデューサー兼芸能事務所社長 村上秀治』


「お話することはありませんので」

「君が怪我をして不利益を被ったぶんを補償しに来たんですがね」

 やはり口封じか。


「それは警察に判断してもらいます。この場で決めることではありません」

「しかし君は生活に多大な影響を受けているはずだ。その代償はすべて私が面倒を見ようじゃないか」

「今はけっこうです。警察にも伝えるでしょうし、裁判で弁護士を通じて提示させていただくことになるかと」


「ほう、君は裁判で争いたい、と」

 薄いサングラスの奥の目がキツくなった。やはり裁判沙汰にするつもりはない、ということか。


「俺は今回の“事件”の被害者です。被害者には原状回復を求める権利がありますから」

 こちらからこいつの目をにらみ返す。


 険悪な空気を感じたのか、新井が間に入ってくれる。

「山本監督や大川助監督、それにスタントマンの松山さんと話はついています。それを遵守していただけないというのなら、警察を呼びますよ」

「ほう、どんな契約を結んだのかね」

 先ほどの内容を新井は手短に説明した。


「なるほど。まだ記憶が戻っていないから、“事故”の話は聞きたくないと」

「あれは“事件”です!」

 この村上というプロデューサーはあまり信用がおけない人物のようだ。


「とにかく、監督さんたちと同意した内容は、たとえ責任者であるプロデューサーさんであっても守っていただきます」

 冷静に説明した新井はやはりさすがだと思う。もし俺が話していたら、もっと攻撃的になっていただろう。


「ではその名刺だけでも置いていこう。電話番号とメールアドレス、それにLINEのIDも書いてあるから、記憶が戻って警察で事情聴取を受けた後でいい。ぜひ連絡をくれたまえ」

 それではと言い残すとEVに乗り込んで滑るように走り去っていった。


「これからどうする? 一哉」

「とりあえず名刺はもらっておくよ。俺が記憶を取り戻して事情聴取を受けたら、次は彼らの番だからね」

「いつ頃戻りそうなの、記憶?」

「それがわかけば苦労はしないな。日常に戻ってまだ間もないから、もう少しかかるかもしれない」


「監督さんも可哀相だったから、早く戻るといいんだけど……」

「プレッシャーをかけるなよ。それで思い出したくなくなる可能性もあるんだから」




 コンビニはちょうど客が切れて静まっていた。

 働いていても監督や助監督、松山さんのことがやけに気になる。今日初対面だったプロデューサーはいけ好かないヤツだったが、彼女たちは純粋に映画を撮るのが好きなはずだ。


 それにしても今夜はちょっと暑いような気がする。やけに体が熱を帯びている。


「吉田くん、タバコの在庫を確認してください」

 店長が業務の指示を出してくれた。

 俺はタバコを吸わないので、どの銘柄がどれだけ売れてるのか、さっぱりわからない。

 在庫を確認してようやくどのくらい人気なのかを知るくらいだ。店長の話では、都の条例で屋外でも紙巻きタバコが吸いづらくなったから、代わりに電子タバコがよく売れているのだそうだ。


 とりあえず一番の棚から数を数えていく。

 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二とこれは十二箱あるな。チェック用紙に十二と書いてと。


 次は二番の棚で、これは一、二、三、四、五、六と六箱か。これは売れているのかあまり売れないから在庫が少ないのか、判断がつきかねるな。


 三番の棚はと。一、二、三、四、五、六、七、八、九。九っと……あれ、なんだろう。頭の中で数字がまわっている……。まだ怪我が尾を引いているのかな。浅い外傷はすでに塞がってはいるんだけどな。


 まあいいか。四番目の棚は、一、二、三、四……なんだ、なにかが見えてくるのだけど……。なんだ、この感覚……。体がふわふわ浮いているような……あ、ダメだ、これ、バランスがとれ……ない……。




 頭が冷たい。どうやらなにかで冷やされているようだった。

 朝になったわけじゃないと思う。俺はさっきまでコンビニで働いていたはずだ……。

 たしかタバコの在庫を数えていて……。なにかが見えてきたような感じがして、意識をそちらに向けてみたら体が宙に浮いたんだ……。

 いや、実際に浮いたはずはない。そう感じただけだろう。しかしなんだったのだろうか。あの感覚……。


 在庫を数えていただけなのに……数えて……数……。


 なにかがつかめそうな気がして、もう一度順に数えてみた。


 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。


 十。十。じゅ──


 ああ、そうだ。そうだよ。思い出した。


 たしかあのとき、松山さんが「そこに立って十数えてから、一気に真正面に向かってダッシュする。そして二十歩進んで爆破位置を過ぎたところで止まればいいだけだからね」って言っていた。


 そうだ。俺はあのとき心の中で十数えて、それからまっすぐ二十歩まで走ろうとしたんだ。

 そして十歩目で、突然右側からとてつもない圧力を感じて吹き飛ばされたんだ。

 そこまでは憶えている。確かに憶えているんだ。


 これがあのときの真実で、俺の知りうる最も肝心なところだ。


 まだ少し痛む全身を無理やり起こすと、額から濡れたタオルがお腹に落ちてきた。暗いけど、ここはコンビニの事務室か。

 立って部屋の電気を点け、俺のロッカーから手帳を取り出した。

 今思い出したことをありのまま書き出していく。一字一字丁寧に読みやすいように注意して。これがいちばん記憶に残る書き方だからだ。


 少しして、すべてを書き終えたら、すぐにレジへ向かった。

 店長に詫びを入れて、再びシフトについた。


「店長。俺、すべて思い出したので、明日警察に行ってきます」


「そうか、思い出したのか。よかったな。たとえどんなつらい出来事があったとしても、真相を知らずに暮らすより、知って関係を修復できるに越したことはない。なんなら今から行ってきてもいいんだよ。こういうのは早いほうがいいだろう?」

「いえ、思い出したことはすべて手帳に書き出しました。あのメモがあれば今でなくてもだいじょうぶです」


「そうかいそうかい。それじゃあ今日は君に甘えさせていただこうかね」



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