レンズ越しの空の下で

カイ艦長

第一章 鷲田のホームズ

第1話 クランクイン

 さも厳しげな表情を浮かべて、目の前でソファに座っている六名の中のひとりへ指を突きつける。


「犯人は井上、お前だ!」


 名指しされた男はまったく驚いた素振りを見せなかった。

 だが「鷲田のホームズ」と呼ばれる俺の推理に微塵の狂いもない。


 差し出した右手を下ろさず、そのままの体勢を続けなければならなかった。


 傍から見たら、なにをカッコつけているんだ。いい気になるな、とのそしりを免れない。それでも右手を下ろせず構えを解けないのである。


「はい、カット!」


 その一声で緊迫して止まっていた場が一気に緩まり、あちらこちらから声があがる。

 俺の右手もようやく下ろせたのである。


 高校からの同級生である新井瞳が駆け寄ってくる。

一哉かずや、お疲れ」

 クーラーボックスに入っていた冷えたスポーツドリンクを手渡された。


「吉田くん、君の演技には迫力がない。もっと私を震えあがらせるような気合いは見せられないのか?」

 井上がいやみったらしい口を利く。


「そんなことができるのなら、推理サークルでなく演劇サークルに入っていますよ。なんで推理サークルに入って演技が求められるんですか?」


 わが推理サークル「鷲田ミステリーサークル」に、映画サークル「現代映像研究会」から出演依頼が舞い込んだ。

 それがすべての始まりだった。


 鷲田ミステリーサークル部長である井上が美人監督をものにしようと、自らの力量もわきまえず猛烈に売り込んでいたからだ。

 映画なのだから本来は演劇サークルに頼めばよいものを、なぜ推理サークルが引き受けなければならなかったのか。

 井上がどこからか撮影の話を聞きつけて、猛烈な売り込みを図ったと風の噂で聞いた。美人で有名な女性監督の山本先輩に近づこうと企んだのだ。そして脚本を読んだところたまたま内容が推理ものだった。

 そこでわが推理サークルが全面的に協力します、とねじ込んだのだという。


 山本監督が、学内一の美女との噂で学内は持ちきりだった。

 女ったらしの井上としては、是が非でもオトシたい相手なのだろう。


 しかし監督は映画一筋で、撮影後も映像を編集するためすぐに現代映像研究会の部室へ籠もるのだった。

 彼女の映画に懸ける情熱は本物だろう。だからか、なぜか主役に抜擢された俺も不承不承で撮影に挑むしかなった。


 だが、いつまでも従順でいる理由などない。


 監督椅子に座っている山本さんに食いついた。

「今日はあと何シーンの撮影が残っているんですか?」

「そうね……。吉田くんの出番はあと二シーンってところかしら。大川くん、どうなの?」

 呼ばれた大川さんは撮影スケジュールを管理している助監督である。山本監督が脚本から絵コンテを描き、それをもとにスケジュールを組んでいくのが彼の役割だ。


 厚手の撮影ノートに割り振られていた出演者の順番に沿って撮影順が組まれていた。

「はい、吉田くんはあと二シーンですね。ただこのあと講義をひとコマ受ける申請がありましたので、彼のシーンの再開は二時間後の予定です」


「けっこうキツいスケジュールですね。なんでこんなに時間がかかるんですかね。撮影ってこんなに時間がかかるものなんですか? 学業に差し支えるのであればもう降りたいんですけど──」

「ごめんね。大川くん助監なりたてで、まだうまくスケジュール管理ができなくって」

 監督とはいえ美人からの謝罪なのだが、受け入れがたいものがある。


「そんな状態で素人の俺たちが演じていたら、さらに管理が難しくなりませんか?」


「吉田くん、あなたずいぶんと痛いところを突くわね。だからといって演劇サークルに協力してもらっていたら、大川くんにかかるプレッシャーは今より格段に大きくなっていたと思うの」

「つまり俺たちは助監督を育てるための駒でしかないわけですか」

「違うわ」

 山本監督に断言された。


「三年生の私以外は皆一、二年生なのよ。圧倒的に経験が足りていないの。だから全員素人も同然。もし演劇サークルにお願いしていたら、罵詈雑言の嵐でみんなやる気をなくしていたでしょうね」


「門外漢の俺たちだから、文句を言われることも少ない、と?」

「それは否定しないわ」

 やけにきっぱりとした態度だった。


「しかし、俺だってなにもしていないわけじゃないんです。講義だってしっかりと受けて単位をとらなきゃいけないのに、いつもギリギリの時間配分じゃないですか」

 美人であろうと納得できないものは言わずにおれない。

「もし撮影が押して、講義に遅れて単位を失った場合、映画サークルがその責任をとってくれるんですか?」


「もちろんそうならないようタイムキーパーの渡辺くんも置いているわ。彼が時計を読み間違えないかぎり、講義に遅れる心配はないはずよ」

「しかしですね──」

「それより、あなたが完璧な演技をしてくれれば一発OKで時間短縮できるんじゃなくて?」


「残念ながら俺は演技未経験者です。そもそも推理サークルに演技力を求めてどうするんですか。こっちはただでさえ単位の取得が厳しいっていうのに」

「問題はそれよね……」

 監督椅子から立ち上がった彼女は、視線を合わせるとすぐに下を向いた。


「アルバイト、なんとか辞めるわけにはいかないのかしら?」


「ひとり暮らしの苦学生を舐めないでください! アパートの家賃や学費、生活費を稼ぐのがどれだけたいへんか、あなた方にはわからないんですか!」


「まあまあ一哉、落ち着いて」

 語りかけてきた新井を見ると、その場で走る真似をしている。

 なんのことだろうと思ったが、すぐに合点がいった。


「話したいことはたくさんあるのですが、もうじき次のコマが始まるんで、今は失礼します」


 新井に目配せするとテキストとノートの入ったバッグを手渡された。

 そのまま一気に駆け出して撮影現場を後にする。


「吉田くん、君はせいぜい頑張って単位をとればいい。これからは大人の時間だ」

 すれ違いざま発せられた井上の言葉にカチンときた。

「先輩もせいぜい卒業できるといいですね。女の尻を追っかけて五年生なんてことになったら恥でしかありませんよ」


 悔しがるさまを見られないのが残念だが、これで一矢は報いたはずだ。



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