第四十話 新たな悲劇

「その中には、おまえの父親もいる」

 実の父と敵対する。父の世界をすべて敵にまわす。それが自分の宿命ならば、喜んで受け入れよう。自分のために一生を犠牲にした母のため。命を落とした大切な仲間のため。


「それがぼくの生き方だ」

 凛とした迷いのない声が響く。聖夜は満身の力を込めて、目の前にいる吸血鬼めがけ、剣をつらぬいた。

 木に串刺しにされた吸血鬼は、それでも苦しむことなく、じっと聖夜を見る。口元に妖しい笑みが浮かんだ。身体が徐々に霞む。最期のときが近づく。


「いつの日か、もう一度……おまえの前にあらわれて……そのときは——」

 言葉は途切れた。闇に還るように、ドルーは散った。

 夜の世界を支配してきた吸血鬼の、最期だった。


 雪が洋館の庭を舞う。

 冷たい風が、残された聖夜たちを駆け抜けた。

 幹に残った剣をぬき、聖夜は父と母をふりかえった。

 流香の足元がふらつき、雪上に崩れそうになる。

「え? 母さん?」


 そばにいた月島が流香をささえた。

 聖夜はふたりのそばに駆け寄り、父の腕の中にいる流香を見た。そこにいたのは、死をまぢかにむかえた少女だった。


「どうして?」

「次は……わたしの番ね。ブラッディ・マスターの死は、スレーブも死ぬときだから」

「そんな。嘘だろ? 嘘だって言ってよ」

 聖夜は父を見た。父はあきらめの表情で、顔をゆっくりと左右にふる。


「父親のことで……嘘を、ついたね。ごめんなさい」

「しかたがないよ。あのとき母さんはドルーの台本通り動いてただけなんだろ。でもさっきは、本当のことを言ってくれたんだよね」

「ええ」


「どんな……人、なの?」

「ドルーが心を開いた、唯一の人。あなたに瓜二つ。本当によく、似てる。聖夜は、あの人の生き写し。ドルーがそばにおきたがるはず」

「その人は今、どこにいるの?」


「わからない。ドルーもずっと捜していた。でもどうしても見つけられなかった。そんなとき彼は、あなたの成長した姿を見たの。殺すつもりだったあなたが、あまりにあの人に似てるから、気が変わったのね。殺さずにそばにおくことにしたのよ。あの人の身代わりに」

 流香は聖夜の持つ剣を指さした。


「あの人は昔、ヴァンパイアを倒し続けた。でもドルーに出会い、ブラッディ・マスターになることを選んだの。その剣はあの人のものよ」

「流香、その人の名前はもしかして、コナー?」


 月島の問いかけに流香が目を見開いた。

「そうよ。でもなぜあなたが知ってるの?」

「神父さまのところで読んだ本に出ていたよ。まさかとは思ったけど、やはりそうだったんだね」


 流香は手を上げて、月島の頬にふれた。

「秀貴さん、ありがとう……短い間だったけど、とても楽しかった……」

 流香が小さく微笑んだ。春の日だまりを思わせる暖かい笑みだった。

 十八歳のままで、生きることも死ぬこともできずにいた流香。時間を止めたまま、永遠のときの流れを呪われた身ですごさねばならなかった。


 流香はそんな運命から、ようやく解放された。

「流香!」

 最後にもう一度だけ、月島は流香を抱きしめようとした。しかしそれはかなわない。美奈子のときと同じように、流香は少しずつ霞み、やがて消えた。


 からっぽになった腕の中を、月島と聖夜は無言で見つめた。

 雪が手のひらに落ちて、とけていく。

 聖夜はゆっくりと立ち上がった。涙が頬を静かに伝う。

「哀しすぎるよ、こんなのって」

 屈み込んだままの父につぶやく。


「遺体すら残らないなんて」

 流香だけでなく、ドルーのスレーブはすべて散ったのだろう。麗もあと一日待てば、生きていられただろうに。

 ブラッディ・マスターになることは、それらすべての命を抱えること。倒すことは彼らの命まで奪うこと。

 それはあまりにも過酷で、重すぎる十字架だ。


「聖夜——」

「ぼくも……死んだらあんなふうに、なにも残らないのかな」

 月島は立ち上がり、聖夜の肩にそっと手をおいた。

「そんなことを考えるんじゃない。死ぬときのことなんて、今のおまえが考えちゃいけない」


 父の言葉が聖夜の胸に、ゆっくりと染み込む。肩におかれた手から温もりが伝わる。

 辛いのは自分だけではない。聖夜以上に悩み、傷つきながら、それでも父は息子をささえつづける。

「そう、だね」

 聖夜は小さくうなずいた。


「おふたりとも。お疲れでした」

 不意に声をかけられてふりかえると、レンがゆっくりと拍手をしながらこちらを見ている。

「月島さんもおつれした甲斐があった。お役に立ててよかったです」

 油断できない人物の出現に、聖夜の警戒心が生まれた。それに気づいたレンは、ふっと笑いを浮かべる。

「これは、きみの持ち物だろう。あんなところに落としたままではいけないな」

 レンが差し出した手の中には、十字架のついたネックレスがふたつあった。ひとつは父、もうひとつは聖夜のものだった。鎖の部分は、戦いのときに切れた。聖夜のピンチを救ってくれたこれは、母の形見でもある。


「聖夜、わたしのところにこないか?」

「あなたの……ところ? なぜ?」

「きみの能力を、吸血鬼退治に使ってほしいと思ってね。彼らの脅威は今も昔も変わらない。危険にさらされている人たちを助けてもらいたい」

 月島と聖夜は、予想もしなかった言葉に、顔を見あわせた。

「助けるって、やっぱりあなたはダンピールなんですね」

「いやそうじゃない。わたしは普通の人間だ。だがヴァンパイア退治をしている地下組織のメンバーでね。きみをスカウトしたい。我々は新たなダンピールを歓迎する」

「ぼくを……歓迎?」

 吸血鬼を倒す能力を持つ自分。それを求めている人たち。彼らのところにいけば、居場所が得られる。こんな呪われた存在でも生きていける。

 だが……。


「あのときあなたは葉月を逃がすこともできた。なのにぼくに殺されるとわかっていながら、助けなかった」

「あの場合は仕方のないことでね。きみを覚醒させられるのは葉月さんだけだった。少女ひとりの命も大切だが、それを惜しんでいてはダンピールは誕生しない。我々はひとりの命より、吸血鬼によって犠牲者となる多くの人々を助ける道を選んだ。それだけだ」

「勝手な理屈だ」

 聖夜は葉月を取りたかった。大切な人を犠牲にしてまでなりたいものではなかった。

 人の気持ちを理解しようとしないレン。彼とドルーの冷酷さにどれほど差がある?

 レンの考え方には共感できない。


「ぼくはあなたと手を組むつもりはありません」

「拒否すると?」

「そうです」

「断るなら、力ずくでも——」

 聖夜は手にした剣の切っ先をレンにむけた。

「ぼくはダンピールだ。あのブラッディ・マスターに勝ったんです。そのことを忘れましたか? 無理強いしたところで、怪我するのはどちらでしょうね」

 聖夜の目が妖しく光った。

「わかったらもう、ぼくの前には現れないでください」

 聖夜は剣をおさめ、レンに背を向けた。

「父さん、行こう」


 レンは敗北感に叫び声を上げる。

「聖夜。いつか、我々の申し出をことわったことを後悔する日がくるぞ。今のおまえにこれまでと同じ生活ができるわけがない。いずれはまわりを傷つけることになる。それでもいいのか?」

「後悔するかどうか、決めるのはあなたじゃない」

 そのとき、レンが杭を手に、聖夜めがけて突進してきた。

 身体をわずかにかたむけて避け、聖夜はふりむきざまに剣でレンの右足を斬った。

 レンの悲鳴が響いた。

 聖夜は無言のままその姿を見る。心臓が脈打つごとに血が噴き出す。放っておけばレンは失血死するだろう。それでもよかった。

 人が目の前で死にかけているのに、なにの感情もわいてこない。これが吸血鬼の感覚なのだろうか。

 心に生まれた魔性を意識せずにはいられなかった。

 聖夜は不安げに見守っていた父を促し、洋館をあとにした。

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