第三十七話 レンの意外な行動
冬の短い昼が終わり、夜が訪れた。昼すぎから降り始めた雪は、夜になってもやむ気配がない。このままだと朝になるころには、街は白く覆われるだろう。
聖夜は街外れの洋館の前に立っていた。
この中に、血に飢えた悪魔が潜んでいる。彼を倒し、母を解放すること。これ以上犠牲者をふやさないこと。ふたつの目的を果たすために、聖夜はここを訪れた。
聖夜が近づくと、門が自動的に開いた。訪問者は監視されているということか。それならば正面から堂々と行くだけだ。
階段を上り、玄関の扉に手をかける。先走る気持ちが危険を招くかもしれない。目を閉じて呼吸を整え、扉を軽く押すと、聖夜を歓迎するように簡単に開いた。
正面のフロアには、レンが腕を組んで立っていた。
「まさか本当にくるとはな。ドルーの言った通りだった」
聖夜はなにも答えずに、レンを
「ヴァンパイアとダンピールは、互いに呼びあうのか。おまえに逃げられたと聞いても、彼は平然としていた」
「ドルーはどこだ?」
「さあな。会いたければ自分で探せ」
そうだなと頷いて聖夜はレンの横を通りすぎた。正面の階段前に立ち、ドルーの気を探ろうと二階を見上げたときだ。
「無事で、帰ってこいよ」
「——え?」
意外な言葉に、聖夜は耳を疑う。ヴァンパイアを捜すのをやめて、レンをふりかえる。
「おまえは我々の希望だからな」
「希望? ぼくが」
「そこいらの人間が束になっても倒すのが難しいヴァンパイアを、いとも簡単に倒してしまうのさ。おまえらダンピールは」
「そうなんだ」
「ただおまえの場合は、自分の能力を知らずに育った。おかげで基本的な知識もなければ、訓練もしていない。そんな状態でブラッディ・マスターと対峙したがるとは、まったく無謀なやつだ。せめて基本くらいは教えてやりたかったが」
それを指摘されると答えようがない。
「いいか。ダンピールの最大の弱点は、ブラッディ・マスターになってしまうことだ。ドルーに取り込まれないよう、せいぜい気をつけることだ」
レンは聖夜になにかを投げてよこした。受け取って見ると、水の入った小瓶だった。
「聖水だ。それからあれも」
レンは階段のふもとを指差した。見るとアタッシュケースがおいてある。開けて中を確認したら、白木の杭が一本入っていた。
「手になじみやすい大きさにしておいた。うまく使えよ」
レンはそれをおき土産にして屋敷を出ようとした。
「待って。あなたはいったい何者なんですか」
人間だと聞かされていたが、吸血鬼についてやたらと詳しい。
「もしかしてぼくと同じ、ダ……」
「そうだな。おまえが無事に帰ってきたら教えてやるさ。ドルーには正体を知られたくないんでね。万が一ブラッディ・マスターになられたら、いらぬ情報をあたえることになるからな」
「なら、帰ってきたら話してくれるんですね」
「ああ、約束する」
レンは聖夜を残して屋敷を出た。
言われるまでもなく、無事に帰るつもりでいる。
聖夜はふたたびドルーの気を探ろうとしたそのとき、奥の部屋の扉が開き、見覚えのある女性が出てきた。
吸血鬼になるためにドルーに協力している人間、麗だった。聖夜は素早く階段の影に身を隠し、ポケットにしたためていたサバイバルナイフを取り出す。麗は聖夜に気がつかず、こちらに歩いてくる。
通りすぎたところで、
「動くな」
「だれ?」
素早く相手の背後に立ち、うしろから首筋にナイフの刃をあてた。
集中すれば他者の動きがスローモーションに見える。ダンピールの能力が聖夜の動きを機敏にしていた。一瞬のことに麗は、逃げることもできない。
「ドルーはどこだ?」
「だれかと思えば、この前の坊やじゃないの」
刃物を突きつけられても平然としている。聖夜はもう一度問いかけた。
「ドルーはどこだ?」
「わざわざ探しにいかなくても、あの人の方からくるんじゃないの? あなたを仲間にするためにね」
麗は口元に笑みを浮かべた。
赤いルージュで彩られた唇は、それ自体が生き物のように妖しくゆがむ。かと思うと突然、両腕を聖夜の首に絡めて引き寄せた。
動いた拍子に刃が麗の首筋を傷つけ、赤い血が滲む。唇が聖夜のそれにふれた。
過激で濃厚な口づけだった。聖夜はナイフを持つ手を下ろし、麗に身を任せた。
官能的なキスが聖夜の魔性を刺激する。目覚めたばかりの本能が、麗の身体を流れる血の道をはっきりと見せる。規則正しい心臓の鼓動が耳の中で大きく響く。
痺れるような感覚に全身の力が抜け、聖夜はナイフを落とした。麗は唇を離した。
「いいのよ。わたしの血がほしければ、飲んだって」
麗は、聖夜の顔を首筋に導いた。傷口から滲む血の香りが甘く誘惑する。聖夜の中のヴァンパイアが外に出ようとする。
「あなたは新しいブラッディ・マスターでしょ。だったらわたしをヴァンパイアにして。永遠の命をちょうだい」
「ぼくじゃ……なくて、ドルーに頼めば……いいじゃないか」
「待ちくたびれたの。もう五年よ。このまま年を取って醜くなるなんてごめんだわ」
麗はドルーを見限って聖夜の側につこうとしている。自分の美を永遠にするために手段を選ばない。その浅ましさに嫌悪する一方で、聖夜は麗の誘惑をふり切る自信がなかった。
「ぐ……」
牙が伸び、ヴァンパイアの血が鮮血を求めて暴れようとする。全力で抗う。
「そこまでにしておくのだな」
階段の上から、ドルーの声がした。聖夜は麗から身体を離した。
ドルーは一段一段ゆっくりと降りてくる。麗は自分の首筋に手をあて、顔を恐怖にゆがめた。
「やめることはない。なぜこやつの喉に牙をたてないのだ?」
ドルーは麗の正面に立ち、彼女のあごにふれた。麗の顔は恐怖の色がさらに強くなり、全身が小刻みに震える。
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