第二十一話 闇からの招待状

 冷たい雨が降り続いている。

 夜更けすぎに降り始めた雨は、街をしっとりと濡らす。霧のような雨で霞んだ公園を街灯がほんのりと照らしていた。ひとり屋根の下でベンチに座り雨宿りをしている人影にも、淡い光が届く。


 凍える手に吹きかける息が白く凍った。マフラーとコートに包まれていても、寒さが身体の芯まで凍えさせる。夜明け前に、雨は雪に変わるかもしれない。それでも聖夜は、父のいる家に帰りたくなかった。


 こんな事件の渦中にいて、受験勉強に専念しろと言う父が理解できない。不自然な形をとってまで言いたくない内容とは、いったいなんなのか。

 父親が話せない、隠し通したい事実。やはり自分は——。


 最悪の結論に達しかけたとき、聖夜の足首になにかがふれ、考えをさえぎった。驚いて視線を落とすと、足元に子猫がいた。こちらを見上げてにゃあと鳴く。聖夜の顔がふっとほころぶ。

 聖夜は子猫を抱き上げ、ベンチに座らせた。ハンカチを取り出し雨に濡れた身体を拭いてやると、子猫は毛づくろいを始めた。


 生まれて半年にもならないアメリカンショートヘアだ。よく人に懐いている。迷子の飼い猫かと思ったが、どうやらそうではなさそうだ。首輪が外された跡が残っているし、飼われているにしては汚れがひどい。どんな理由か定かではないが、飼い主に捨てられたのだろう。


「おまえもひとりなんだね」

 聖夜が頭をなでてやると、子猫は額を手のひらにすりよせ、喉をごろごろ鳴らして喜んだ。

「おいで」

 聖夜は子猫を抱え、膝に乗せてマフラーでくるむ。

「あったかいね、おまえは」

 マフラーの中で子猫は体勢を整え直し、やがて落ち着くと、小さな目を閉じて安心したように眠りについた。


 不意に街灯の明かりがさえぎられ、足元に人影が伸びる。見上げるとそこに黒ずくめの青年が立っていた。歳のころは二十代なかばだろう。知的な雰囲気をもった人物だ。

「月島聖夜くん、だね」

「あなたは?」

「わたしは柴崎しばざきレン。ドルーに、きみをつれてくるようにと言われました。あちらに車を用意しています」

「ではあなたも吸血鬼?」


 聖夜は警戒する。だがレンは息を吐くようにふっと笑って答えた。

「わたしは人間ですよ」

「まさか」

 昼の世界と夜の世界の住人が協力するなど、聖夜は思いもしなかった。しかも相手は女性を次々と手にかけている殺人鬼だ。


「夜ですからね。太陽が出ていないから、信じていただけませんか」

「いえ、そんなわけでは」

 とまどう聖夜の手をとり、レンは自分の手首に当てる。

「脈があるのは解りますか?」

 そこにはたしかな鼓動があった。そしてレンの身体には、人間らしい温もりがある。


「ならどうして、ドルーの手下に?」

「質問攻めですか。今は勘弁していただきたいですね。話せることばかりではありません。それにあなたのその態度は紳士的ではないですよ」

 苦笑混じりのレンにたしなめられて、聖夜は自分に配慮が足りなかったことを恥じた。

「気にしなくてもいいですよ。この状況で質問するなという方が無理です」


 穏やかな口調と配慮ある態度、そして吸血鬼ではないという事実に、聖夜の警戒心が消えた。

「どうなさいますか? わたしとしては、ついてきていただけたら助かるのですが」

「でも……」


 敵の懐に飛び込む決心がつかない。

「いろいろと知りたいことがあるのでしょう。きみのお父さんが答えてくれないことも、ドルーなら答えられる。それに葉月さんのことも気になるでしょう」

 聖夜はハッとして、レンを見た。


「葉月は、彼女は今どこに?」

「心配いりません。わたしが保護しています。落ち着いたら会うこともできますが、しばらくは我慢してください。彼女の身の安全のためにも」

 会いたい気持ちは強い。だが今の自分に、葉月を守り抜くことはできそうにない。


「……そう、ですか」

 悔しいが、保護されているという言葉を信じるしかないだろう。

「で、ついてきていただけますか?」

 穏やかな笑みには裏があるようには思えない。それでも迷いが断ち切れないでいると、


「彼とて今すぐきみをどうこうするという意志はありません。ただ会って話をしたいと言うのでお迎えにきたのですよ」

 と重ねて懇願された。父への信頼をなくした今、こちら側に残る意味もない。

「……わかりました」


 聖夜は膝に抱えた子猫を、マフラーごとベンチに下ろした。レンについて歩きだそうとすると、子猫は物悲しそうに鳴く。聖夜はふりかえり、

「心配しないで、朝には戻ってくるよ」

 と頭を優しくなでた。




 車に乗せられて着いたところは、街はずれにある古い洋館だった。映画に出てくるような人里離れたところで、あたりに人家はない。ここだけが別世界のような印象を残す館だ。

「どうぞ。ここはわたしの別荘です。彼らのために用意しました」


 レンは扉を開け、聖夜を中に招き入れた。

「用意ってそんな簡単に……」

「わたしにはそれなりの財力がありますからね」

 うしろをついていく聖夜にふりむきもせずに説明する。


「こちらです」

 聖夜が通された客間は、欧米の映画に出てきそうな造りだった。広い部屋の中央にはテーブルとソファーがおかれ、部屋の一角には大きな暖炉が備えつけられている。建物全体が冷え切っている中で、そこだけが暖かく、人の命を感じる。聖夜は炎の前に立ち、冷え切った身体を温めた。

 霧のような雨はずっと降り続いている。窓の外、門柱の明りだけが遠く宙に浮いて見えた。

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