おろかなコウモリ

御野三二九二

おろかなコウモリ


 朝が来る。闇が去る。

 山間から太陽が顔を出し始めると、たくさんの黒い翼が逃げるように洞窟へと舞い戻ってくる。


 「今日も無事、陽に焼かれず帰ってくることができた」


 安堵の声が方々から上がる。

 長く下がった鍾乳石を避けながら天井に張り付き、夜のあいだ飛び続けた羽を、隣り合うもの同士で労う。

 大人たちが眠りにつく準備を始めると、幼いコウモリたちが一匹の老いたコウモリの元に集い、それは始まる。


 「むかしむかし、空と地には、それぞれを統べる王がいた。ふたりの王は知りたがっていた。どちらが世界の王に相応しいのか。そのための争いが絶えず起こり、多くが傷つき、疲れ果てた」


 コウモリたちはみんな、生まれ落ちてから朝を迎えるたび、この寝物語を聞かされた。

 暗闇がコウモリたちを癒し、明るみは身を焼くのだという教えを説いた、世界の王と賢者の話だ。


 空と地の王は、疲弊しきった民を見て思った。

 もう争いは続けられない。

 だが、戦果の上がらないまま終えることなど許されない。

 王たちは、賢者に教えを乞うた。

 共に討つべき敵を作ればよい。

 賢者は言った。

 ではそれは誰だ。

 空と地の王が聞いた。

 我らがなろう。その代わり。

 賢者は、鳥のような羽を広げ、獣のごとき牙を見せて続けた。

 あらゆる闇は、私たちのものだ。


 「われらの先祖は、太陽が世界のすべてを焼き尽くすことを知っていた。王たちに闇を願ったのは、いずれくる終わりのとき、我々コウモリだけは、永遠の安寧を許されるためだ」


 話が終わるころには、ほとんどの子供が瞼を下ろしていた。

 老いたコウモリはその寝顔を見てから満足げにうなずき、薄くなった羽で痩せた身体を包む。

 しかし、遠慮のない加減で身体を揺すられて顔を上げれば、耳の白いコウモリが訴えかけてきた。


 「太陽はいつ、世界を焼くの?」


 老いたコウモリは答えなかった。この洞窟にいるコウモリに、寝物語の先を知るものはいなかった。

 数匹の子供たちが、話の続き聞きたさに重い瞼と格闘している。

 老いたコウモリは、優しくもう寝るように言い聞かせた。


 「じいちゃんが生まれてから、世界は焼けたの?」


 白い耳のコウモリは何度も聞いた。大人たちの怪訝な顔色などお構いなしに、聞き続けた。

 耳の先が、太陽に反射して光っている。

 どの疑問にも、答えはなかった。


 「どうして誰も教えてくれないの? 本当に、太陽は僕たちを焼くの?」


 「もうおやめ」


 骨の浮いた手で、老いたコウモリが宥めるように、白耳のこうもりを撫でた。


 「みんな知らないんでしょう」


 白い耳のコウモリは、洞窟の入り口へと数歩進む。

 繁ったつたを滑る夜露が光を受けてきらめき、すべてを焼き滅ぼす太陽が幾つにも見える。

 闇の中にすら安寧はないと、突き付けられているようだった。


 「僕が、行って確かめる」


 眠っていた大人たちが、小さなコウモリに視線を集めた。

 馬鹿なことを。

 洞窟の奥の方で、誰かが言った。


 「無事に帰ってこられたら、みんなだって、太陽の下を飛べるはずでしょう」


 「おやめ。おやめ。焼かれてしまうよ」

 

 老いたコウモリが幼い勇気を止めようと這い寄るが、白耳のコウモリは一歩一歩太陽に近づいていく。


 「王に伝えるよ。僕たちコウモリも、太陽の下を自由に飛ぶんだって」


 白耳のコウモリが、光に溶けた。

 暗闇に慣れ過ぎた目では、まばゆい洞窟の外を見ることすら恐ろしい。

 だが、見届けなければならなかった。

 あの子はどうなった。焼け落ちてしまったのか。

 幼いコウモリたちが、心中を代弁するように鼻をすすった。

 違う。

 聞こえる。

 あの子は、まだ飛んでいる。

 コウモリたちの耳には、確かに届いていた。

 恐れ知らずのコウモリの、どこまでも遠ざかっていく勇ましい羽音が届いていた。

 洞窟にいたすべてのコウモリたちが、去ってゆく羽音に聞き入った。羽を合わせてまるで祈るように、微かになって風に消えてしまうまで、長く長く耳を傾けていた。


  ◆


 「祝福だ」


 誰かが叫んだ。


 「祝福が照らしてくれる」


 一つだった声は、二つ、三つと数を増やして歓声に変わり、洞窟にいるコウモリたちを奮い立たせた。

 朝が来たのだ。

 最も入り口に近い場所。

 最も早く祝福を享受するその場所に、他のコウモリたちよりも大きく艶のある羽が広がる。

 ざわめきが一瞬にして静まる。洞窟の中にいたすべてのコウモリが、耳をそばだてた。

 大きな羽の持ち主が言った。


 「まもなく答えが出る」


 洞窟の闇の中で、何千というコウモリたちの白い眼が、声の主を見つめている。


 「誰がこの世界の王に相応しいのか」


 かつて、光の満ちる世界へと飛び出し、生還した、『祝福されしもの』の末裔。

 耳の白い、立派な体躯をしたこのコウモリが、洞窟の中での王だった。

 洞窟の王が、自慢の羽をはためかせば、それは出立の合図だ。

 皆が隊列をなして、王の後に続いて飛んでいく。

 いずれ世界を焼き尽くすといわれた光の中に、その身をさらしていく。


 「お前は行かないつもりか」


 片翼に傷のあるコウモリが言った。


 「行かないよ」


 一匹だけ背を見せていたコウモリが、首を振る。


 「臆病者め」


 そう言い残して、傷のあるコウモリは飛び立っていった。最後の一陣だった。

 どうともでも言えばいい。

 臆病者と呼ばれたコウモリは、仲間たちに背を向けたまま、尾を振った。

 せめてもの仕返しにと、侮辱の意味を込めていた。

 これがどんなに無意味なことなのかは、自分が一番よくわかっている。

 臆病者は笑った。

 仲間たちは、寝物語の英雄になるつもりなのだ。ならば語り部は、残された自分なのだろう。そう思うと、笑わずにはいられなかった。

 わざとらしい高らかな笑い声に空気が震え、地面を這う虫たちが、転がる岩に身を隠す。

 自分以外には誰もいない。洞窟が丸ごと、我が物になったようだった。

 こんなものの何がいいのだ。

 笑うのを止めると、残響は思いのほかすぐに消え失せた。

 僕らはどんな闇の中でも自由だったのに、どうして世界なんてものが欲しくなったのだ。


 「僕が臆病者なら、お前らは命知らずの大馬鹿者だ」


 吐息のように微かな悪態だった。 


 どの世界の何者にも、愚かな民衆を御しきれる術はない。

 王も賢者も、愚かさの欠片を持たないはずがないからだ。

 自分達はこれからも繰り返し続けるのだろう。

 闇は安寧。光は祝福。時が経てば、その逆のことを唱えながら。


 臆病者は洞窟の奥へと向かう。

 祝福の光が、すべてを焼き尽くすそのときまで、この闇の中で生きていけばいい。

 それが、彼の描く希望だった。




 おしまい

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おろかなコウモリ 御野三二九二 @mogmogkone2012

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