第26話 鹿肉はおいしい


 三階層は、なかなかに興味深いフィールドだった。深い森が広がり、軽トラ並みにデカい鹿が出現して驚きはしたけれど。


「鹿もう一頭見つけた!」

「こっちに来ます!」

「任せて!」


 甲高い叫び声を上げながら、ワイルドディアが突っ込んでくる。以前の自分なら、きっと恐れおののいて、腰を抜かしていたのだろうが、今の私は違う。

 さすがにバールでぶん殴る勇気はなかったので、迎え撃つのは覚えたての水魔法。

 薄く鋭く水の刃を練り上げて、あと五メートルほどの距離に迫ってきたワイルドディアに向けて、思い切り叩き付けた。


「落ちろ、肉!」


 我ながらどうか、という叫び声だったのは許してほしい。

 続けて倒したワイルドディアからはまだ魔石と毛皮、角しかドロップしていないのだ。

 今度こそは、お肉を!

 水の刃ウォーターカッターは見事に決まり、巨大な鹿の首を綺麗に切り落とした。


「ん、あれ?」

「ミサ、このバカ!」


 見事に倒したまでは良かったが、突進してきていたワイルドディアの勢いは収まらず、首無しの巨体がすぐ目の前に迫ってきて。


(あ、これは死ぬ)


 呆然と自分を押し潰すだろう首無し死体を見上げていたところ、ふいに強い力で引き寄せられた。

 掴まれた片腕が痛い。だが、それ以外は痛くない。弾力のある何かに囲われて、庇われているような感覚に戸惑った。


(……良い匂いがする?)


 いつのまにか、ぎゅっと瞑っていた目をそっと開けると、誰かに抱きかかえられていた。

 逞しくて安心できる、意外と広い胸。


「もう、心配したでしょ! 無茶しないの!」

「カナさん……」


 珍しく動揺もあらわな表情をしている、奏多さんの腕の中にいた。

 少し離れた場所にいたはずなのに、駆け付けて助けてくれたのだ。


「すみません。倒したら、そこで止まると思い込んでいて……」

「まあ、仕方ないわよね。私もあんな勢いで突っ込んでくるなんて思いもしなかったもの」

「助かりました、ありがとうございます、カナさん!」

「どういたしまして」


 奏多さんが微笑みながら、頭を撫でてくれる。

 立ち上がる際には片手も引いてくれる紳士っぷりに、胸のドキドキが恐怖の余韻ではなく、ときめきに変換されていく。


(頼りになる綺麗なお姉さんが、かっこいいお兄さんでもあるなんて!)


「ミサさん、大丈夫? ケガをしていたら、すぐに治すから言ってね?」

「晶さん、大丈夫です! カナさんのおかげで傷ひとつないですっ」

「そう。良かった。でも、油断は禁物ですね」


 晶さんも心配そうに顔を覗き込んでくれた。北条兄妹はとても優しい。二人をこっそり拝もうとしたところ、背後から呆れた風に声を掛けられた。

 甲斐だ。真っ先に警告してくれたのも彼だったことを思い出す。


「そうだぞ、ミサ。息の根を止めてから、ドロップ品に変わるまで大体五秒くらいある。攻撃したら、すぐに離れた方がいい」

「うん、分かった。ごめんね、せっかく注意してくれたのに、咄嗟に動けなくて」

「仕方ない。次から気を付けたら良いさ」


 今まで、最弱のスライムや比較的倒しやすいアルミラージしか相手にしたことがなかったので、すっかり油断していた。

 ゲームのように攻撃したら終わり、ではないのだ。奏多さんが助けてくれなかったら、命を落としていたかもしれない。


「ま、反省するのも悪くはないけど。喜べ、ミサ。肉が落ちたぞ」

「え! お肉っ?」

「はい、ミサさんが倒したワイルドディアがお肉を落としましたよ」

「まあ、立派な赤身肉ね。サシも綺麗」


 晶さんがドヤ顔で掲げて見せてくれたのは、1キロサイズのブロック肉だ。

 立派な赤身肉の塊に、感動する。


「ついにお肉ゲットね! 念願の鹿肉ステーキが食べられる!」

「嬉しいけど、量が足りねぇ! 気を引き締めて、次を狙うぞ!」

「はーい!」

「了解!」

「次はモモ肉が欲しいわねぇ」


 ドロップした鹿肉と魔石をアイテムボックスに収納する。

 怖い思いはしたけれど、憧れの奏多さんに助けられたし、お肉をゲット出来たのは素直に嬉しい。


(次からは魔法を放つ場所にも注意しなきゃね)


 とりあえず仕留めてから五秒が経てば、死骸は消えるのだ。なるべく遠距離から攻撃すれば、先程のような間抜けな事故は防げるはず。

 当面の目標は水魔法を遠方から正確にぶつけることが出来るようになる、か。

 大きな的でもあるワイルドディアには申し訳ないけれど、しばらく練習相手になってもらおう。


「ついでに、お肉もたくさん落としてくれるといいな」


 ここしばらく食べていたお肉はアルミラージ肉ばかり。うさぎ肉は確かに柔らかくて美味しいけれど、さすがに少し飽きていたのだ。


 ジビエ肉は高級品で滅多に口に入らない。田舎だから、たまに罠にかかった猪の肉をお裾分けでもらう事はあるけれど、鹿肉はなかなか回ってこない。

 猪の方が美味しいのと、鹿は解体が面倒なのだと聞いたことがある。


 新鮮で魔力をたっぷり孕んだお肉はとても美味しい。滅多に食べられない、鹿肉。

 それを奏多さんが調理してくれたら、絶品なのは間違いなしだ。


「よし! 頑張って狩りましょう!」


 皆やる気だ。

 さっそく【身体強化】から派生した【気配察知】スキルを駆使して、獲物を探る甲斐。

 いつでも攻撃できるように水魔法を練り上げて、深い森の奥を睨み付けた。




「んっふふふー! たくさん狩れたねぇ」

「お肉が四つ、一人一キロは食べられますね!」


 大量のドロップ品を収納し、上機嫌の帰り道。甲斐のスキルは優秀で、ワイルドディアを次々と見つけて、皆で順番に倒していった。

 一人五頭以上は倒したと思う。

 おかげで、充分な量の鹿肉を確保できた。

 水魔法の練習も出来たので、大満足の結果だ。


「お肉もだけど、ベリーがあったのも嬉しいわね」

「そう! 季節外れのラズベリーの宝庫でもあるなんて、最高の狩り場ですよー」


 なんと、三階層にはワイルドディアだけでなく、その餌なのか、ラズベリーの密集地を見つけることができたのだ。

 ベリーが実るのは夏頃。春先に完熟した実があるはずはないのだが、ここはダンジョン。細かいことを気にしても仕方ない。

 何にしろ、採取する身にはありがたかった。


「ベリータルトを作りましょうか」

「あ、私もジャムを作ってみたいです!」


 大量にラズベリーを採取して、ほくほくしながら二階層を歩く。

 採取の間、甲斐は鹿の見張りをしてくれた。

 やはり其処は彼らの餌場だったようで、頻繁にワイルドディアが現れた。

 もちろん、ありがたく全て狩らせていただいた。



「ワイルドディア狩りの後だと、アルミラージが可愛く見えますね」


 小首を傾げながら晶さんが呟いているけれど、短槍はきっ先を鈍らせることなく的確にアルミラージを貫いていく。

 草原エリアには遮蔽物がないので、私も思い切り薙刀が振れて満足だ。

 帰り道なため、深追いはしなかったけれど、二階層でも大量のうさぎ肉をゲットできた。

 これはご近所さんに差し入れしよう。




「シンプルにステーキにしてみたわよ」


 ドヤ顔の奏多さんの姿が神々しい。

 テーブルいっぱいに並んだ大皿には、綺麗にローストされた鹿肉が並んでいる。


「さあ、どうぞ。温かい内に召し上がれ」

「「「いただきます!」」」


 欠食児童ばりに、がっついた。

 今夜ばかりはワインも後回しだ。食べやすいように切り分けてあったので、お箸で摘んでぱくりと噛み締める。丁寧に下処理を施したので、鹿肉特有の固い繊維質は感じない。

 しっかりとした肉質だけど、絶妙な焼き加減のおかげで、柔らかく噛み切れる。

 じゅわり、と肉汁が口の中に溢れた。脂身は少ない。良質の赤身肉は満足感が違う。


「旨い……!」

「ほんと、美味しい。いくらでも食べられる」


 味付けはシンプルだ。塩胡椒とガーリックをすりこんだだけ。

 ソースはお好みで、と幾つか用意されていたけれど、まずは鹿肉の旨味を存分に味わいたくて、皆シンプルにソースなしで食べている。


「やっぱり、市販の鹿肉よりもかなり美味しいわねぇ」

「うん、俺もキャンプ仲間に食わせてもらった鹿肉より断然旨いと思う」

「鹿肉ってもっと臭いと思っていました。むしろほんのり甘みがあって食べやすい」

「晶さん、これ餌のラズベリーのおかげなんじゃ?」

「なるほど。肉質が変わったんですかね?」

「何にしろ鹿肉はとんでもなく旨いってことだ」

「そうね」


 身も蓋もないが、結論としてはそれしかない。

 鹿肉ステーキは、わさび醤油ソースはもちろん、赤ワインを使った特製ソースも良く合った。

 食べやすくてヘルシーな鹿肉は、煮込みや揚げ物にも使えそうだと、奏多さんはにんまりと笑っている。


「じゃあ、明日からはポーションと鹿肉を積極的に狩っていく方針で」


 満場一致で今後の予定が決まった瞬間だった。

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