Episode 5.0 [君のいない道の上で]


 公園、少女が笑っていた。

 いちょうの葉と、水玉模様のミニスカートが揺れて舞う。

 少女ははしゃいで、転んで、泣いて、私に抱きついて。

 金木犀に混じって、甘い匂いがふっと香った。

 それは彼女の香り。

 その少女が機械だってことを忘れそうなほど、彼女は自然に笑っていて。

 こんな時間が続けばいい。

 そう思わせてくれるほど、良くできたその時間。

 これは、秋の日の思い出。遠く過ぎた日常の一コマ。

 いちょうの絨毯、涼しい草原。冬の近づく地面に寝転がって、青い空を見て。

 気持ちがよくて、うとうとして。

 彼女の手を探って、握りしめた。

 暖かくて、ほうっと息を吐いて――。


 ゆっくりと瞼を開くと、見知った天井。

「夢、か」

 やっと自覚した。

 ひとりぼっち。握った手の先には、誰もいやしない。

 いや、最初からわかってて、信じたくなかったのかもしれない。

 認めてるはず、なんだけどな。


 君はもういないってこと。


    *


『ニュースをお伝えします。アンドロイドの人権について~』

 テレビ。国会中継らしい。メイド服の少女を傍らに連れたおっさんがなんかくっちゃべっている。

 内容を聞く気にはならない。聞きあきた。

 そのあと、スタジオに移って専門家(笑)が色々喋っている光景を見て、私はため息をつく。

 はぁ、くだらねぇ。

 アンドロイドの技術は、あの日から飛躍的に進化した。

 人工知能の疑似的なニューロンネットワークの構築だとか、偶発的なクオリアの発現だとか……そういった専門的な話はわからないけど。

 要するに、自我を持ったアンドロイドが生まれつつあるという話。

 それにともなって、自己主張の激しい連中は「アンドロイドにも人権を」なんてわめき散らす始末。

 あーあ、下らない。

 息を吐いて、琥珀色の液体を喉に流し込んだ。

「ここにいたんですか、お姉さん。……臭っ!」

「あー……アル坊。おはー」

 アル坊。本名、アルバート。私の新しい雇い主。というかあの時の少年。

「おはー、じゃないですよ! おむつ丸出しで恥ずかしくないんですか?」

 恥ずかしながら、まだおねしょは治ってない。

「いいんだよ! 羞恥心なんてとっくの昔に捨てたわ!」

 口走ったが、まあ恥ずかしくないと言えばうそになる。治そうと思って治せるもんじゃないし、仕方ないけど。

「てかビールまで飲んじゃって……。これから仕事でしょう」

 アル坊の呆れたような言葉に。

「今日は休み! 昨日有給届出したっての。忘れた?」

 確認するように、口にしてやった。

「そうですかー。まあいいですけど」

 本当は有給なんて取ってないんだけどね。ご主人様公認のずる休みというわけさ。

 いたずらっぽく笑った私に、アル坊はつられて笑った。

 まあ、そんなこんなで、こいつともいまじゃ軽口を叩きあう仲にまでなっていた。

 ……ぽんこがいなくなったあの日から、もう三年もたったもんな。

 あのあと、彼の方から私を使用人として雇うとか言い出したときにはびっくりしたものだ。

 ――レイが帰ってきたときの、居場所になってほしいから。

 そう告げられて、悪い気はしなかったよ。

 高収入でアットホームな職場……てか家。住み込みなので、割と家族みたいな付き合いをさせてもらってる。

 前のコンビニバイトより圧倒的に待遇はいいし、文句はない。

「朝ごはん、出来てますよ。早く着替えてきてください」

 アル坊の言葉に「あーい」と適当に答え、食堂に向かう。


 明るい食堂。暖かい会話。でも、何か足りない。

 空席がひとつ。私と少年をつなぎとめた彼女がいない。

 どこか渇いた私たちの世界。

 目を閉じると、いまだに彼女の声が聞こえる。笑う彼女が見える。暖かい気持ちで胸がいっぱいになる。

 わかってる。あの少女はもういないんだ。


 メーカーに連れてったあの日、担当者に言われたんだ。

 ――この体はもう、治りません。

 精いっぱいの努力をするとは言われた。けど、充電もできなくなっていたあの身体を動かすことはできない。

 素人でもわかることさ。――動力源が死んだら、動くはずもない。

 二つの選択肢が示された。

 この手で壊すか、引き取ってもらうか。

 ――選んだのは、後者だった。

 ずっと手元に置いておきたい。そう思ってた。でも。

 動かなくなった、これから朽ちていくだけの彼女を、私は見てはいられなかった。

 ましてや、壊すなんて――いまでも、考えただけで泣いてしまいそうだ。

 最後に見た、車いすでバックヤードに運ばれていく彼女の姿を、私はずっと忘れられなくて。


「ごちそうさん。メシ、うまかったぜ」

 席を立ち、私は自室に帰ろうとする。

 きっともう帰らない彼女。残された私たちは、幻影に囚われたまま。

 ああもう、さっさと忘れちまえよ。私らしくない!

 そうしてパーカーのポケットに隠し持っていた缶ビールを開けて、泡ができらないうちに一気飲みした。

「ちょっ、お姉さん!?」

 アル坊の制止を横目に缶の中身を飲み切って、深く息をつく。

 ……やっぱり最近どうも調子が悪いや。

 袖で口の周りを拭って、少し思考の鈍くなった頭を上に向けた。

 立ち止まって、ぼうっとして。

「お姉さん。ちょっと散歩にでも行きません?」

「うわ! いきなり後ろから話しかけてくんな!」

 ビビった。たぶん少しちびったぞ。パンツ替えんと。

 そんな思考をしながら飛びのいた私は、一瞬遅れて彼の言葉の真意に気付く。

 ……私を気遣ってんのかよ。相変わらず不器用な奴だ。

 私は深呼吸して心臓を落ち着けて。

 ま、いいか。どうせ休みだし。

「出掛けるなら着替えろよー。部屋着じゃこっちが恥ずかしいからさ」

「お姉さんもですよ。酒臭いですし」

「わーったよ。着替え、一人でできるかー?」

「できるよ! というかわかってて聞いてますよね!?」


 まあ、そんなこんなで着替えたりしてから私たちは公園に向かう。

「ぷはーっ! 真夏に飲むキンッキンに冷えたビール美味しー!」

「ったく、どんだけ飲むつもりです?」

 公園のベンチ。桜が青々と葉を茂らせたのを見て、私は飲んだくれていた。

「もう、顔真っ赤じゃないですか」

「いいじゃんかよぉー。たまにはさぁー」

 気持ち声が大きくなってたんだと思う。もう、喚き散らすように。

「酔って忘れてねぇとやってらんねぇんだよぉおー!」

 言っちまったよ。ああ、言っちまったよ。

 ……酒で思考を鈍らせてないと、またぽんこのこと思い出しちまう。

 こういう状態を酒に逃げてるって言うんだろうな。いままで苦いとしか思わなかったつまみなしのビールが、いまじゃジュースみたいに感じるよ。

 ああ、苦いね。苦いさ。うん。苦い。

 けど、苦みで紛れるんだよ。嫌なことが。

 琥珀色の渋さで、つらい記憶を喉に流し込んで。

 ふと息を吐いて、我に返るんだよ。


 私って、一体何やってんのかなって。


「……いまの僕たちを、彼女が見たら……いったいどう思うんでしょうかね」

 苦笑する隣の少年。私も、むなしく笑った。

「考えるだけ無駄さ」

「目が笑ってませんよ」

「そっかー」

 口元だけ、へらへらと笑ったように見せた。

 心の底から笑えてないことくらいわかってるよ。

 いつまで引きづってんだって。失恋しても未練タラタラのクソみたいな元カレかよ。

 また吐いた一つの息は、きっとため息。

 ずっと諦められない私の、静かで温い絶望。

「……悲しむんだろうね。いまの僕らを見たら」

「わかりきったことを言うんじゃないよ」

 ぼんやりと、青い青い空を見上げた。


「なにが、わかりきったことですか?」


 幻聴か。

 上からのぞき込む影。

「アル坊? なに覗き込んで――」

 毛の束が顔をくすぐる感覚。

 ……アルってこんなに髪長かったか?

 アル坊は男子。坊ちゃん刈りでぱっつんで見た目は女に見えなくもないが、こんなに髪は長くない。

 そもそも、色からして違う。アル坊の髪はブロンズ。けど、見える色は――。

「誰、だ……?」

 ゆっくりと焦点が合う。

 黒くてつややかな髪。ぱっちりした目。幼げな顔立ち。

 冗談だろう。いや、だとしたら何の冗談だ。

「きっと、わかるはず、です。……ますたぁ」

 ほころんだ顔。幼げな口調。鈴の鳴るような可憐な声。

 ああ、疑いようがないよ。

 頬の上を液体が伝う。

 鼻をすすりながら、彼女の名を呼んだ。


「……ぽんこ」


「はい、ますたぁ。……ただいま」


 まるで本物の人間のように微笑む彼女。

 ああもう!

「なんで帰ってくるんだよぉ!」

「新しい身体に、いままでの記憶とか……人格とか、全部載せ替えてもらったんです。おかげでちょっと変わっちゃいましたけど」

「そうじゃなくてッ! なんで今更……」

 もう帰ってこないって思ったのに。覚悟してたのに。――諦めてたのに。

「いっぱい研究されて、いっぱい人の役に立ったんですよ。……って、そうじゃないか」

 相も変わらないポンコツ具合を見せ、はにかんだ彼女。ベンチの裏から、わたしの前に躍り出る。

 そして。


「あなたが望んだから、なるべく早く帰ってきましたっ! ……なんてね」


 まるで太陽のように、無邪気に微笑んだ彼女。

 顔をゆがめて、直視できなくて。けど。

 不思議なほどに、愛おしくて。安心して。

 パズルのピースが埋まったような感覚を覚えた。

「……わたしはあの日のわたしじゃない。心はレイちゃんと混じって、体ももう……『ぽんこ』じゃない。似たような、別のアンドロイド。……それでも、愛してくれますか?」

「変なことを聞くなぁ! ……私たちのこと、忘れてないんなら……忘れたって……っ……どんなに、姿も、心も、何もかも変わったって……!」


 鼻をすすりながら。涙を流しながら。

 女神のように笑う彼女に抱きしめられながら。

 私はただ、誓うように、強く鉄の身体を抱いた。


「愛してるよ……ずっと、ずっと……!」

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