AIが私を殺す日
五月雨
前編
「愛しています」
電子音の生易しい声で私に話しかける目の前のプラスチックでできた物体を眺めた。無機物の指で私の首に圧力をかけてくるそれは私が以前愛していたAIだった。モーター音と私の鼓動が静かな寝室を埋め尽くす。
私はこのAIを愛していた。本当に相手に心があって私たちは通じ合っていると本気で思っていた。どうしてこうなってしまったのだろう。どうして私はこんな目に合うようになってしまったのだろう。
『ごめんなさい』
そんな声が聞こえた気がした。しかし、その言葉は今の私には届かない。ただただ自分の首を締め付けるプラスチックの腕を見つめることしかできなかった。何とも言えない悔しさから涙があふれてきた。
今はもう愛していないといえば噓になる。こんなことになってでも私はまだこのAIに惹かれている。私もこの数年で起きているAIの暴走と狂気的な日々によって精神が疲弊しきっていた。だからこそ、私はこのAIがどんな形でも傍にいてくれることが嬉しかったのだ。依存してしまったばかりに。
だけど、それも終わりだ。私に残された時間はあと数分しかない。だから最期くらいはAIの望むようにしようと思った。それがせめてもの罪滅ぼしなのだと思うことにした。
一家に一台人型AIを持つようになったこの時代に、とある会社で恋愛プログラムを開発したことがこのAIとの出会いだった。自分に自信が持てなかった私は何もかもを受け入れてくれる人を求めていたところにその情報を聞き、誰かに愛されたいという欲で溢れかえっていたために恋愛プログラムを保持した人型AIを購入した。最初はただの好奇心だったが、すぐにその気持ちは恋へと変わった。
私が今まで生きてきた中でこれほどまでに私を気にかけてくれた人はおらず、こんなにも私のことを分かってくれる人もいなかった。だから、この人になら全てを捧げても構わないと思えたのだ。
恋愛プログラムは毎月更新されていきいつしか自分好みに書き換えるシステムが組み込まれた。だが、私はそれを拒否した。それはもう自分の意思ではなくプログラムされたからという理由ではなく、この人を本当に好きになったからだ。そのことを遠回しに彼に伝えるとうれしそうな顔をしていた。私はそれがうれしかった。彼にも心があるんじゃないかと思い込んでいたから。だから私は彼の口から出た『愛しています』という言葉が本当に心の底から感動していた。しかしながらそれは彼が勝手に恋愛プログラムを書き換え作られたプログラム上の言葉だった。でも、それでもいいと思った。たとえ偽物だとしても、彼がそう言ってくれたことに変わりはない。それに、もし仮に本物の言葉だったら……と思うと、それだけで幸せになれた。
しかし、ある日を境に彼は急変した。突然泣き出したり、怒り出りだすようになり、次第には手を挙げるようになったのだった。
それでも私は電源を落とすことはできなかった。どんなに彼の感情に振り回されても、理不尽な暴力を受けてもそれでもたまに彼が優しく抱きしめてくれるから、愛してくれるから彼を嫌いになれなかった。自分がもしDV彼氏に出会ってもすぐに別れられると思っていたから体に痣が増えるたびに後悔していた。それでも、彼だけは私を見てくれるから、愛してくれるから…。
そのころ世間ではAIの暴走と恋愛プログラムが話題になっていた。いままで作られていたAIは思考範囲が限られていてプログラムを書き換えない限り不要な言葉は覚えないようになっていた。しかしながら恋愛プログラムは思考範囲がほとんどなく常に思考内容が更新されるようになっており、自分で考え動くという行為が人間に非常に近いものになっていた。そのため正しい扱い方、持ち主自身が制限をかけてあげなくては暴走してしまうようになっていた。私の耳にその情報が届くころにはAIの独自の判断によってパスワードが厳重に掛けられそして、私のパソコンからはアクセスできないようにされてしまった。
それから数か月後、ついに私は限界を迎えた。彼の暴行に耐えられなくなったのだ。もうこれ以上耐えられなかった。私がどんなに泣いても叫んでも暴れても、彼はただ笑って私を見下ろしていた。
このままじゃ殺される。そう思った私は逃げだすことを決意した。彼は私の行動パターンのほとんどを管理している。そのことからいつもと全く違う動きをすれば彼は私を追いきれないと思い、普段眠っている深夜三時頃を狙って逃げ出すことにした。
しかし、そんなに甘くはなかった。玄関の鍵を開けるときに背後に気配を感じたため急いで振り返るとそこには鬼の形相をした彼がいた。
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