125.ただいま
少年が降り立った場所は、何もない白い空間。
地面すらないその場所に彼は
そして、己の身体にその血が混じるグレムリンの如く、ニイと笑う。
「無駄だよ女神サマ、オイラには分かるんだ。オイラとミンの魂は……繋がってるんだから!」
キィィン……!
少年の雄々しい叫びとともに裂かれる空間。そこから現れたのは、硝子の箱に閉じ込められた一人の少女。
「……あいかわらず、悪ガキみたいな笑い方だね、ガラフ」
「うるさいな。オイラはグレムリン混じりなんだから、悪そうで当然だろ?」
「ふふっ、そうだね。大人の言うことをよく聞くいい子ちゃんだったら、女神に逆らおうとなんてしないもんね」
「ああそうだ。だからミンも悪ガキだ。オイラの仲間っつーこと」
「だね」
笑いあう、少年と少女。
〈くふふ……とってもイイかしらぁ……!〉
その穏やかな魂の邂逅を引き裂くように、下卑た笑い声が響いた。
〈闇に塗り潰される前の魂が無垢であればあるほど、悲劇は美しく輝くかしらぁ!〉
声だけを聞けば透き通る硝子の鈴を弾いたように清らかな、けれどその意味はよどんだ澱のように暗い情念に満ち満ちている。
〈まさかとは思うけれど、我が反射の坊やの企み程度を、気づいていないとでも思っていたかしらぁ?〉
「……どういう意味だ?」
ガラフが、全方位から響く女神の声に向かって顔をしかめ、問いかける。
またも下品な声が泥のように降りかかってきた。
〈あはっ……承継魔法で
「なっ!?」
女神の言葉を聞いたガラフは青ざめ、身を固くする。
〈はははははは! あはははははははは!! 半端に魔族の血が混じって、禁忌を犯して底抜けの魔力を手にした程度で! あの魔術師の仲間になって神に歯向かえると本気で思っていたかしらぁ!? ガキぃ? 魂が繋がっているのなら、ミンミンの苦痛もまた感じ取れるかしら、死の激痛と絶望を生きたまま味わいながら、お前の懸想した女の魂がゴミのように圧し潰れる様をみ届けなさぁい!!〉
「——! ガラフ、
ミンミンが叫んだ次の瞬間、その少女を囲んでいた硝子の箱がみるみる小さくなり始めた。中のミンミンの大きさは、そのままに。
「ミン! ——くそ、止めろぉ! 女神ぃ!! 今すぐ止めろぉぉぉ!!」
ガラフが飛びついてそのガラスを砕こうと殴りつけるが、少女を圧し潰していくガラスにヒビ一つ入らない。
どんどん小さくなっていく硝子の箱。
中にいるミンミンの身体、魂を象徴するその存在を容赦なく圧迫していく。
「ぐぅっ……! ガラフ、逃げて、あなただけでもっ……!!」
「ミンミン! ミンミン!! ふざけんな、お前をおいていけるかよぉっ!!」
〈あはははは! あは、あははははははっ!! なんという悲哀! 絶望! 美しいかしらぁ! 甘露、甘露かしらぁああ!!〉
「ミンミィィィン!! くっそぉおおおお!!」
ガラフの叫び声が響き渡る。
少年の必死の願いもむなしく、女神の絶対的な力はミンミンの魂を——
「って
〈……はっ?〉
「ちょ、おい。ミン、もう少し付き合えよ」
「ガラフも。ちょっと
「なんだよ、ミンだってノリノリだったじゃんかっ」
「まあね。ふふ、お姫様とお父さんになったみたいで楽しかった」
〈はっ? ……え? は?〉
女神が動揺する気配が広がる。
悪戯っぽく笑うガラフの前。女神の力で消え去る寸前だったミンミンの身体には、極々細い鎖が巻きついていた。
それは蒼く輝く、光の鎖。
〈なぁっ!? そ、それは〉
「えーとね、女神サマ。アンタが気づかなくっても仕方ないよっ。ニイちゃん曰く、反射の魔法でアンタの願望をそのまま映して、跳ね返してたんだってさっ」
きひひ、と少年は笑う。
悪戯好きなグレムリンの真骨頂だ。
〈は? な? そんな真似が、チートにも覚醒していない人族風情に〉
「できるんだよ、お父さんには」
ミンミンはいまだ浮かんでいる硝子の箱の中で、蒼光の鎖に守られながら身を小さくしてクスリと笑う。
「お父さんは、すごいんだから。お父さんは、自分だけの力で戦おうとなんて思ってない。シルヴィアの瞳で
〈な、な……〉
「おいミン、オイラは!?」
「あーはいはい。そして無茶で無謀で命知らずな悪ガキがボクの中に飛び込んで、遠隔魔法を発動した。 ……お父さんが失敗したら、ボクと一緒に死と同じ苦痛を味わうってのに。ほーんと、バカなやつ」
「一言も二言も余計だって! それにニイちゃんが失敗なんかするはずが」
「ないのは当たり前でしょ。何トーゼンな事を威張って言ってるの? ガラフは本当にお子様だなぁ」
「な……も……もう、ミンはいつもいつも!」
「ボクに口で勝とうなんて十年早いよ」
「言ったな! なら十年後にオイラが勝つ!」
「ふふっ……楽しみにしてるよ」
クスクスと笑うミンミン。
二度目に女神に身体を乗っ取られた時。既にエフォートは、この蒼い鎖をミンミンの魂に仕掛けていたのだ。
常にミンミンは、守られていた。
そしてこうして、愛おしい家族みたいな仲間と共に、長い間自分の自由を奪い続けてきた忌々しい存在に、一矢報いることができる。
少女は幸せだった。
〈バカな、二度も……この我が、こんなガキどもに、たかが駒の一つ二つに〉
「もうボクたちは、お前の駒なんかじゃない。……ガラフ、行くよ!」
「だからお前が仕切るな! ……一緒にやるぞ、ミン!!」
そして少年と少女は、その名を叫ぶ。
魂をあるべき姿へと還す、彼と彼女に自由をもたらした、その始まりの魔法の名を。
『
***
少女を守るかのように包んでいた漆黒の魔力が、緩やかに解かれる。
「もう、大丈夫じゃな」
「ああ」
ミンミンの耳に、その声が聞こえてきた。
確かな空気の振動。魔法の力でも魂の繋がりでもなく、現実の音。
「辛い役割を負わせてすまなかった、ミンミン。もう心配ない」
「……お父さんっ!!」
少女は目の前の漆黒の魔法衣を纏った青年に飛びついた。
その温もりが、吐息が、確かに自分の身体が自分だけのものだと確信させてくれる。
自分が居るべき場所へ帰ってきたと、実感させてくれた。
「ただいま、お父さんっ……!!」
「ミンミン、俺を信じてくれてありがとう」
エフォートはしがみつく少女の柔らかな髪を、少しだけ照れながら優しく撫ぜた。
「……いつまでくっついてるんだよ」
「ホントだよね」
呟いたガラフに、リリンは思わず同意してしまった。
意外なところからの賛意に、ガラフは思わず振り返りリリンは慌てて視線を逸らす。
「にゃあ……それでレオニング」
猫の獣人らしい吐息を漏らしたニャリスが、呆れたように問いかけた。
「女神はいったいどうニャった? 本体を引きずり出す為の作戦だったんじゃニャいの?」
「ああ、そうだ」
エフォートはしがみついていたミンミンをゆっくり離そうとして、それでも抵抗された為にやむを得ずそのままで答える。
「分体を〈
「まあ、さすがにこの世界の創造主、女神様じゃからの」
シルヴィアはさもありなんと頷いた。
「魔王の力を得たとしても、そう簡単ではあるまい」
「だが、ヤツが降臨する場所は特定できた。分体が消滅して、実行するかは別として俺がいつでも魔王を殺し、勇者システムを発動できる状況だ。本体はすぐにでも現れるだろう。そして実力を行使するはずだ」
「実力を、行使……?」
リリンがごくんと唾を飲み、エフォートは頷く。
「ああ。女神の想定外の力を持ち動く駒、俺とハルトの排除だ」
「ならば降臨する地に罠を張って、先手を打たねばならぬのう」
シルヴィアがまた口を挟んだ。
「ハーミット……いや晴人の計略で、妾たちが先に女神の矢面に立たねばならぬ。早々に決着をつけねば、双方が消耗したところを晴人に漁夫の利をもっていかれるぞ」
「ギョフノリってなんだ?」
耳慣れない言葉を聞いて、ガラフはきょとんとする。
「第三者が苦労せずに利益を得ること。ゲンダイニホンの言葉だよ」
「!? リリンが難しいこと言った……!?」
さらりと答えたリリンに、ガラフは大げさに驚いた。
「ちょっと! ガラフみたいな子どもにまで言われたくないんだけど!」
「だって……ああ、そっか。あんたも異世界人なんだっけ」
エフォートとも
だがそんなガラフの頭を、エフォートはコツンと叩いた。
「元、だ」
「へ?」
「リリンも、シルヴィアもニャリスも。元・異世界人だ」
真剣な瞳で、エフォートは訂正する。
「間違えないでくれ、ガラフ」
「あ、ああ……ゴメン、ニイちゃん」
諫められしゅんとしたガラフの肩を、エフォートはポンと叩く。
「謝らなくていい。こんな特殊な事情、仕方ない」
「……ま、ウチは異世界猫だけどニャ」
まぜっかえずニャリスの言葉を流して、エフォートは視線を移した。
「生まれ変わっても異世界人のままで、一歩も前に進んでいないのはそこの馬鹿だけだ」
そう言ってエフォートは、いまだにシルヴィアの胸の中で呆けている男の胸倉を掴んだ。
「わっ」
ずっとエフォートにしがみついていたミンミンも、さすがに手を放す。
「待つのじゃレオニング、何を」
「黙っていてくれ、シルヴィア。……おい、シロウ」
慌てたシルヴィアを制し、エフォートは無理矢理シロウを立ち上がらせる。
だがシロウは目の焦点も合っていない。廃人同然のままだ。
「……だ……いやだ……オレは、勇者……」
「聞け、シロウ・モチヅキ。お前は兄を見返したくはないのか?」
ぎりぎりとシロウの襟首を締め上げるエフォート。
「お前が女神に連れ込まれたこの世界は、ライトノベルのような理想郷じゃない。いや理想郷にする方法もあったかもしれないが、その望みは潰えた。俺と、そしてお前の兄ハルトが潰したんだ」
「……兄……兄さん……オレハ、必要ナイ……」
「さあどうする? 女神に弄ばれ、俺と兄に敗れてまた終わるのか。前世でも今生でも、お前はハルトに負け続けて、利用され続けて、それでいいのか?」
「……オレ、は……」
「いいはずないだろう? ……少なくとも俺なら、そんなこと認めない」
突如、シロウを掴んだエフォートの右手から蒼い光が迸り始めた。
「!? エフォート、なにをっ!?」
「〈
焦って叫ぶ、リリンとシルヴィア。
だがエフォートは魔法を止めようとはしない。
「女神に誑かされたとはいえ、最初の戦犯は貴様だ。このまま狂って退場など許さない。お前には……相応の責任を取ってもらう」
そうシロウに迫るエフォートの姿は、纏っている衣も相まって、魔王そのもののようだった。
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