124.立ち上がる少年

「お待たせっ、シルヴィア!」

「……リリン、ニャリスも。どうやらそちらはうまくいったようじゃの」


 異世界勇者として覚醒したシルヴィアは、女神の分体となっているミンミンを封じ込め続けていた。

 その胸には、抗う気力も失ったシロウが抱きしめられたままだ。


「ご主……シロウ・モチヅキはこれ、どういう状態ニャ?」


 状況を理解できていないニャリスは、目を丸くして尋ねる。


「妾がレベル・ドレインをかけておる。今の坊やは勇者どころか、一介の兵士にすら劣る技量レベルじゃ。女神の分体もどうにか抑えておるでの、もうなんの手出しもできぬよ」

「……それはまた、えげつニャい……」


 ニャリスは、もう目の焦点もあっていない茫然自失のかつての主人を、憐みの目で見つめる。

 その猫の瞳の奥。

 かすかに揺らいだ感情に、シルヴィアは気づいた。


「……ニャリス?」

「ニャに?」

「……いや、なんでもないのじゃ。それよりも反射の魔術師はどうしたのじゃ? 彼がいなくては、ミンミンを助けられぬであろう」


 シルヴィアはリリンに向かって尋ねる。

 リリンは頷いた。


「うん、すぐにここに来るよ。今はお父さんと話していて——」

「待たせたな」


 空間が揺らぎ、湧き出すように漆黒の魔法衣を纏った男がシルヴィアの目の前に現れた。


「なっ……!?」

「よくやってくれた、シルヴィア。お前が協力してくれなければ危ないところだった」


 エフォートは素直に頭を下げ、シルヴィアに感謝の意を示した。

 対してシルヴィアは鑑定眼の力も相まって、エフォートの常軌を逸した実力を目の当たりにして絶句している。


「れ、レオニング……転移魔法を、まるで呼吸するように……着ているのは魔王か? いったい何をどうしたら、そんな状態になるのじゃ!?」

「話せば長くなる。俺としては、そっちこそ何をどうしたらそうなるのか聞きたいくらいだ」


 そう言ってエフォートは、かつて死闘を演じた転生勇者シロウ・モチヅキの変わり果てた姿を見下ろした。


「リリンが、シロウの心を斬ったんだな」

「……うん。そうなると思う。あとはシルヴィアが」

「年長者の務めを、妾はずっと果たせずにおったからな。リリンには辛い役目を負わせてしまったのじゃ」


 エフォートの言葉に、リリンとシルヴィアは静かに応える。


「……オレハ……シュジンコウ……ユウシャ、ダ……コンナノ……ミトメネエ……」


 シルヴィアの胸の中で、小声でブツブツと呟き続けているシロウ。もう目の前に憎むべき相手がいることにも、気づいていない様子だ。


「……大体わかった。今はこの男に構っている暇はない、すぐにミンミンを女神から解放するぞ」


 エフォートは視線をミンミンに移す。

 ミンミンンの方も、紫色に揺らぐシルヴィアの魔力に包まれその瞳は虚ろなまま、棒立ちとなっていた。


仕掛け・・・を使う。ミンミンを通じて女神を引きずり出す!」

「待つのじゃ、レオニングよ。ミンミンの魂に仕掛けたのは、承継魔法を使ったグレムリン混じりとの繋がりじゃろう? あのガラフという子がいなければ」

「それは大丈夫だ。ガラフは俺の魔法を遠隔発動できる、その逆をすればいいだけだ」

「……どんどん常人離れしていくの。それでまだチート能力に覚醒していないとは、信じられぬよ」


 魔法技術として困難なことをあっさり言うエフォートに、シルヴィアはあきれ返る。


「チートなど必要ない。みんなの力があれば、俺は戦えるんだ」


 エフォートはそう言うと、こめかみに指先をあてて遠隔魔法を発動。ガラフを呼び出そうとする。


「ガラフ、聞こえるか。こちらの準備は整った。そちらは無事に合流を……何!?」


 魔王の力を得た最強の魔術師の、顔色が変わった。


「エフォート、どうしたの?」

「やってくれたな……モチヅキハルト!!」


 怒気を込めた呟きとともに、エフォートの身体が魔力の輝きに包まれる。


「転移!? 待つのじゃレオニング、どこへ——」

「待ってろサフィ! ……ッ!?」


 シルヴィアの制止も聞かずに、エフォートが転移魔法を発動させようとした次の瞬間。


 パキィィィンン!


 空間が軋み、破裂するような炸裂音が響いた。

 エフォートは地に身体を投げ出される。


「ぐううっ……」

「エフォート!?」


 慌ててリリンが駆け寄る。


「……バカな、転移をレジストされたのか……?」


 エフォートは信じられないものを見る目で、まだ歪み続けている空間を見つめていた。

 そこにまた、新たな転移の光が輝く。


「何か来る!」


 リリンとニャリスが、それぞれ油断なく剣を構えた。

 そこに転移してきた存在は。


「ううっ……兄ちゃん、ごめん……」

「ガラフ!!」


 エフォートは飛び跳ねるように立ち上がり、開いた空間の穴からボトリと落下したガラフの元へと駆け寄った。


「その怪我……! モチヅキハルトにやられたのか!?」

「ごめん、オイラ……お姫様を守れな……」


 苦しそうに喘ぎながら、グレムリン混じりの少年は手にしていた物をエフォートに差し出す。

 それは、通信魔晶の魔石だ。


『やあ、ご苦労様だね。反射の魔術師くん』


 聞こえてきたのは、親交の深い友に投げかけるような落ち着いた響き。

 冷静極まりない、余裕に満ちた口調。


『いや、もう反射の・・・なんてレベルではないね。魔王の魔術師……語呂が悪いな。叛逆の魔術師リベリオン・ソーサラーなんてどうだろう?』

「お断りだ」

『そうかい、我ながら中二病ラノベのタイトルみたいで気に入ったのだけれどね』


 通信魔法で届いているのはハルトの音声のみで、映像はない。

 エフォートはガラフから受け取った魔晶を苛立ちながら握りしめる。


「そんなことより、サフィは……皆はどうした? 無事なんだろうな?」

『どうかな? グレムリン君を生きて送ってあげたのだから、今はそれで充分だろう。女神を倒すには、ね』

「貴様……!」


 人質の安否も明かさない。

 だがエフォートを牽制するには十分だった。必要以上の情報はいっさい渡されない。交渉でハルトを出し抜くことは、困難に思われた。


「……モチヅキハルト。お前の望みはなんだ」

「察して、行動したまえ。それが正解なら、今サフィーネたちがどんな状態か教えてあげよう」


 それでもエフォートは、会話による情報戦を行わないわけにはいかなかった。

 彼の思い通りに動いてしまって、不利にならないはずがないのだ。


「お前の望みを叶えて、代償が仲間の安否だけか? 生きて返すと約束しろ」

「死んでしまっていたら、不可能だろう? 私はできない約束はしないよ」


 エフォートはカッと頭が沸騰しそうになるのを、理性を総動員して抑える。

 取り乱せばそれで終わりだ。


「……モチヅキハルト。俺を舐めるなよ。転移を妨げられたところで、魔王の力でそこまで一瞬で飛んでいける。女神を倒すより先に、貴様を滅ぼせばいいだけだ」

『怖い怖い。あまりの怖さに私は、君が迫ってきたら自暴自棄になってしまいそうだよ。ここにいる誰かに被害が出なければいいけれど』

「く……!」


 近づいてきたら、仲間を殺す。

 そういう脅しだ。


「に、兄ちゃん……ごめん、オイラが、もっとしっかりしてれば」

「ガラフ君」


 涙を流してエフォートに縋ろうとするガラフを、リリンが後ろから優しく抱きしめて止める。


「えっ」

「大丈夫、大丈夫だから」


 エフォートはハルトと会話しながら、必死で考え対応策を練っているのだ。

 邪魔をさせるわけにはいかなかった。


「……わかった。モチヅキハルト、俺の負けだ。貴様の望みを叶えてやろう」


 少しの沈黙の後、エフォートは答えた。

 フッと、魔晶の向こうからハルトの鼻で笑う音が聞こえる。


『話が早くて助かるよ。ああ。私のことをいちいちフルネームで呼ぶのは面倒じゃないかな? 晴人と呼んでくれたまえ。ともに女神を打倒する同志になったのだからね、エフォート君』

「人質を取って一方的に戦わせる関係を、同志と呼ぶとは知らなかったな」


 魔晶を持っていない方の拳は固く握りしめられ、爪が食い込み血が流れている。

 内心でエフォートの感情は猛り狂っていた。


「……まあいい。ハルト、望み通り今から女神を倒してやる。強力な結界が生まれるから、しばらく覗き見はできないぞ」

『どうかな。私はすべてを見通す目を持っているよ、下手な行動はしないことだ』

「こちらの台詞だ。サフィ達にこれ以上、傷一つつけてみろ。俺は誇りも何もかもをすべて捨てて、この世界の神になり、お前を殺す」

『あはは、怖い怖い。わかったよ、生きていれば傷つけはしない』


 バリィン!


 話すべきことは話したと、エフォートは魔晶を握り潰した。


「に、兄ちゃん……!」


 通信が切れると、ガラフがリリンの腕から離れて、フラフラの足取りでエフォートに歩み寄ってきた。


「ご、ゴメン、オイラにも、お姫様たちがどうなったのか……気づいた時には、アイツにボロボロにされてて……!」

「落ち着け、ガラフ。まずはお前の治癒だ」


 エフォートが少年を優しく抱きとめ、手のひらを体にかざす。。

 次の瞬間には、体中の皮膚を切り裂かれていたガラフの身体は完全に治癒されていた。


「……ニイちゃん!? なんで回復魔法が!?」

「これは女神の奇跡じゃない。そんなことより、お前が見たもの聞いたもの、どんな些細なことでもいい。すべて話してくれ」

「う、うん。でもいいの? アイツが今も見てるんじゃ」

「魔王の力で妨害をかけている。大丈夫、ヤツの言ったことはハッタリだ」

「え? で、でも」

「ヤツがすべてを見通す目を持っているのなら、そもそも俺が魔王を衣に変換するのを見逃したはずがない。ヤツにとっては魔王の生殺与奪を握ることは、世界を手に入れることと同意義なんだからな」


 エフォートは淡々と続ける。


「サフィも、他の皆も、必ず生きている。俺に対する切り札だ、使えるカードをみすみす放棄することをヤツはしない」


 その言葉にひとまずほっとして、ガラフは口を開いた。


「……ルースたちとの合流地点に着いたら、もうみんなが倒れてて……。そこにあの、モチヅキハルトが、いて……お姫様とアイツが話してたら、いつの間にかオイラ、めちゃめちゃに吹っ飛ばされてて」

「どうしてヤツがいた時点で、遠隔魔法で俺を呼ばなかったんだ?」

「呼べなかったんだよ! 魔法が使えなくなってて……」


 ガラフの言葉に、エフォートはハッとしてリリンを見る。


「そうか、ラーゼリオンの亡霊はリリンの精霊を奪ったと言っていた。ケノンだけではなく、エントも奪われていたんだろう」

「ええっ? でもあたし、ケノンもエントも使えるよ?」

「一部を奪えばそれでよかったんだろう。理屈の上では、シロウが構築式スクリプトを見るだけでコピーできるのと同じだ……ん?」


 リリンに説明したところで、エフォートは気づく。


魔術構築式スクリプトを見ただけで、コピー……」


 呟いてから、エフォートは生ける屍となっているシロウと彼を抱いているシルヴィアに視線を移した。


「……魔王の力、シルヴィアの瞳術、リリンの精霊術……」


 考え込んだ後。エフォートは心配そうに見つめているガラフの肩をガッと掴んだ。


「やるぞ、ガラフ」

「……兄ちゃん?」

「俺たちならできる。まずはミンミンを救うことからだ」

「兄ちゃん」


 ガラフはエフォートのその瞳を、何度も見てきた。

 絶望的な状況を、何度も覆してきた反射の魔術師。

 彼がこの目をした時に、不可能なことは何もなかったのだ。


「——わかったよ! 忘れてた。オイラ、兄ちゃんと一緒ならできないことなんて、何もなかったんだ!!」


 少年は立ち上がり、そして。

歪んだ女神との最後の戦いが、幕を開けた。

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