118.アンチマター

 してやられた、と。


 エフォートはその男がこの場に現れた瞬間に、すべてが手遅れであることを悟った。


「ハーミット・フィル・ラーゼリオン……」

「いかにも。たったひと月と数日の間に見違えたね、レオニング君。これまでの間、我が妹サフィーネが迷惑をかけただろう。兄として感謝する」


 サフィーネと同じダークブロンドの髪をなびかせ、美しい青年は爽やかに笑う。

 その手には、魔王の胸に深く食い込んだ短剣の柄を握りしめながら。


「いまさらっ……私の兄を気取るのは止めなさい! ハルト・モチヅキ!」


 エフォートよりも先に叫んだのは、王女サフィーネだ。


「答えて、その剣は何!? 魔王にダメージを与える武器なんて——」

「おやおや。サフィーネ、少し会わない間に兄の名前まで忘れたのかい? 私はモチヅキなどというおかしな名前ではないよ」

「しらばっくれないで!」


 ダグラス、キャロル、都市連合の兵士たち。そしてエフォートにしがみついたままのガラフと、もう一人の兄エリオットが見つめる中で、サフィーネは前に歩み出る。


「ハーミット。あなたがここに空間魔法で現れたということは、ラーゼリオンの怨霊……エリオット兄貴の魂の半身と、手を組んだということでしょう!」


 もう腹の探り合いなどに意味はない。

 サフィーネは既に王手をかけている兄を前に、最後の賭けに出る。

 サフィーネは叫ぶ。


「フォートのお父さんを乗っ取っている〈ライト・ハイド〉、その正体は国父ラーゼリオンの魂。つまり王家承継魔導図書群の力は、シロウが来た現代日本ゲンダイニホンと同じ異世界である魔幻界ラーゼリオンの進化した魔法の力! ハーミット、あなたは自分の中にある異世界ゲンダイニホンの叡智を交渉材料に、ライト・ハイドと手を組んで、承継図書と同じその力を手にしたのでしょう!!」


 指を突きつけ、サフィーネは断言する。

 少しの沈黙の後、ハーミットは更ににこやかに微笑んで拍手した。


「見事だよサフィーネ。素晴らしい、その通りだ。……けれど」


 すっとエフォートの方に視線を向ける。


「反射の魔術師君の幼馴染、リリン君から私の前世を聞いたのだね。そして」


 次にこの世界の弟であるエリオットを見た。


「封じられた力と記憶を取り戻しただろう、エリオットもともにいるとなれば。その結論に辿り着けるのはまあ、当然だね」

「……ハーミット、貴様がここにいるということは」


 エフォートがサフィーネの横に進み出る。


「王国軍とシロウは放置してきたのか。都市連合を侵略する好機ではなかったのか?」

「……レオニング君、分かっているくせに。そこまで、シロウの足止めに利用された幼馴染が心配かい?」

「くっ」


 やはりか、とエフォートは歯噛みする。


「ハーミット、いやハルト・モチヅキ。お前はもうラーゼリオン王国や大陸の覇権など、どうでもいいんだな。シロウのことも、目障りな競争相手としか考えていない。女神の目論見通りシロウに魔王を倒されては困るから、リリンを足止めにさせたのか」

「……! そうか、リリンが王国軍の足止めをしてるんじゃなくて、シロウの動きを封じるためにリリンが利用されて……!」


 気づいたサフィーネが、息を飲む。

 そして横にいるエフォートを心配そうな目で見つめた。


「気にするな、サフィ。今は目の前のこの男に集中するんだ」

「う、うん」


 頷いて、かつて兄だった存在をサフィーネはキッと睨みつける。


「ハルト、答えなさい! あなたは前世の記憶を取り戻しているのね、その剣は何? どうして魔王にダメージを与えられるの!?」

「必死だね、サフィーネ」


 ハーミット、いや望月晴人モチヅキハルトは横に立つ、自分が手にした短剣で胸を貫かれ身動きできずにいる魔王を見る。


「勇者システム。異世界から来た魂である私が魔王を倒すことの意味を知っているからだね。私が魔王を倒せばすなわち私こそが勇者となり、この世界を支配する……」


 そしてニコリと笑った。


「安心するといい。あの愚かな史郎などが支配するより、よほどいいだろう? 私はこの世界を現代日本以上に、魔幻界ラーゼリオン以上に美しい世界にしてみせるよ。そして」

『ガハぁッ!?』


 晴人がグッと短剣を更に押し込んだ。

 短剣の柄元まで、魔王の胸に深く突き刺さる。


「私たちの利害は一致している。私がこの世界を支配するにあたり、前任の支配者である女神の存在は邪魔以外の何物でもない。私……ハーミットとしての私の究極の目標は、ずっと前から女神の支配からこの大陸を解放することだったのだからね」

「えっ」


 唐突な告白に、サフィーネは虚を突かれた。

 乾いた笑いのまま晴人は続ける。


「サフィーネ。君の理想は奴隷を解放することだったようだけれど、ハーミットの理想は女神の支配からの解放だった。回復魔法の力を独占する女神の束縛。魔力総量を飛躍的に上げることのできる幼少期の魔術使用を禁忌とすることにより、魔法技術の発展を大幅に制限した、女神教が支配するこの世界」


 淡々と語られる言葉が、大魔法で焼かれた大地の上で風に吹かれる。


「それを打ち破る為、女神を倒す。ハーミットの理想は、私が継ごう」

「お兄……ハーミット、あなたはもう本当に、お兄様ではないのね」

「ああ。ライト・ハイドの承継魔法により、望月晴人の記憶と人格を統合した。今の私は正しい意味でハーミット・フィル・ラーゼリオンでは、もうない」

「……自分を捨てる、そこまでの覚悟で」

「異世界転生勇者となって、女神を倒す。その道を選んだよ」


 気づけばサフィーネは、爪が食い込むほどに強く拳を握りしめていた。

 とうとう理解しあうことのなかった兄。

 超えたかった存在。

 その存在が、今はもう正しい意味ではどこにもいないということが、自分でも信じられないほどにショックだったのだ。


「……さて、この剣が何かという質問だったね」

「!!」


 その顔から笑みが消える晴人。

 エフォートはサフィーネの前に庇うように立った。

 同時にキャロルが、ガラフが、都市連合の兵士たちも、直感的に危機を覚えて身構える。


「この剣は現代日本の科学知識と魔幻界ラーゼリオンの魔法技術の融合だよ。反物質という物を知っているかい?」


 突然の科学用語に、さすがのエフォートとサフィーネも思い当たることがない。

 なにしろ、エフォートたちが得ているゲンダイニホンの知識はライトノベルが元なのだ。

 晴人は淡々と続ける。


「物質と反物質が衝突すると、対消滅を起こして質量がエネルギーに変換される。細かい説明をしていると夜が明けるので省くけれど、簡単にいえばこの剣は、魔王を構成する物質を対消滅させる反物質を封じ込めているんだ」

「な……に?」

「この剣は、魔王という物質と対消滅する。思ったよりも時間はかかっているけれど、あとものの数分で、魔王は跡形もなくこの世界から消えて失せるよ」

『ガ……ア……』


 荒唐無稽な話だったが、事実、魔王はその短剣に貫かれてから身動き一つできず、苦しんでいた。


「……反物質だと? そんなものが自然界に存在しているはずがない」

「へえ? どうして」


 そんな魔王を目の前にしても、ありえないと断言するエフォート。

そんな彼に、晴人は興味深そうに尋ねた。


「反射の魔術師君、なぜ君にそんなことがわかるんだい?」


 エフォートはほんの一瞬ダグラスを見てから、晴人を睨み返す。


「……この世界を構成する物理法則は、おそらく現代日本とほぼ同じだ。ライトノベルに記されていた、炎が酸素を消費して燃え続けるという現象も同一だった。異なるのは、魔法の使用を可能にするマナが存在するか否かの違いぐらいだろう」

「うん、まあそうだろうね。それで?」

「物質を消滅させる魔法は、この世界にも存在する。さっき魔王に仕掛けた〈重魔法原子崩壊呪グラウンド・ゼロ〉がそれだったんだが……」

「ふんふん」

「膨大な魔力と魔術構築式スクリプトを必要とする魔法だ。そんな力を物質に込めるなんて、さらにどれほどの魔力を……いや単純に熱量エネルギーを必要とするのか、見当もつかない。きっと世界創造にも匹敵するほどだろう。そんな物質を自然界で生成させるなんて、不可能だ」

「あはははっ……さすがだねえ、レオニング君。こんな箱庭世界で魔術師なんかにしておくには惜しいよ。現代日本に生きていたら、さぞかし優秀な科学者になっていただろうね」


 『現代日本に生きていた頃はお前の姉で、テレビとやらに出るマルチタレントだったらしいがな』、とはエフォートは口にしなかった。

 どうやら、記憶は甦っていないがエフォートもまた現代日本からの転生者だということは、晴人も知らないようだった。

 切り札にもなりえる情報を、わざわざ与える必要はない。

 晴人はくくくと楽しそうに笑っている。


「その通りだよ、レオニング君。現代日本でも反物質を手に入れるためには、粒子加速器という巨大な施設を建設して核融合を起こさなくてはならない。そんな真似はさすがにこの世界では不可能だ。……でもね」


 まるで出来のいい生徒に教えることを喜ぶ教師のように、晴人は続けた。


「そこで、魔幻界ラーゼリオンの承継魔法というわけだよ。実際に君とガラフ君は承継魔法の力を使って、たった二人で核分裂に近い現象を起こしてみせた。核融合はそれ以上の難関ではあるけれど、決して不可能ではない。現代日本の科学知識に卓越したものと、魔幻界ラーゼリオンの魔法知識に卓越したものがいればね」

「シロウの兄が科学者だったとは、知らなかった。たしか病気が治ってからは、商売人になったとリリンからは聞いていたが」

「実業家だね。確かに私は科学者ではなかった。でもそれらの知識には触れていたよ。日本は素晴らしい国だった。望めば、パソコン一つで様々な知識を得ることができた。理子から聞いたのなら知っているだろうが、私は人生の前半をほとんどベッドの上で、首から下のほとんどを動かせないままに過ごしたんだ」


 遠い目をして、晴人は昔語りをする。

 忌まわしい過去という風でなく、むしろその辛い過去が自分を作ったと胸を張って。


「おかげで時間だけはたっぷりあったからね。パソコンを使ってインターネットを通じて、どこまでも貪欲に知識を求めることができた。そしてその記憶は、知識は、魂にまで刻み込まれていたんだ。だからサフィーネ」


 晴人は挑発的な視線を、かつて妹だった者に向ける。


「君がライトノベルの知識で作ったものより遥か高性能で実用性の高い銃を、私は創造クリエイトすることができるんだ」

「——ッ! しまっ」


 無詠唱のアイテム・ボックスでも使ったのか。

 いつのまにか晴人は、短剣を握った方とは逆の手でМ921HBアサルト・カービンを構えていた。

 そして。


 ガガガガガガガガガッ!!


「ちいっ!?」


 エフォートが時間稼ぎをしている間に、ダグラスは連合兵たちを展開させていた。

 だが一瞬で狙い撃ちされ、兵たちは次々と倒れる。


「ディメンション——あうっ!」

「キャロ!」


 とっさに空間魔法で防御しようとしたキャロルだったが、間に合わずに被弾する。

 ダグラスが慌てて駆け寄った。


「君たち雑魚には出番はないよ。愛しい彼女にこれ以上風穴を開けられたくなければ、引っ込んでいたまえ。ダグラス・レイ評議会議長」

「くそがっ……」


 手足を撃ち抜かれたキャロル。ダグラスは急いで止血を始める。


「おっと、お前もだよエリオット」

「……!」


 この一瞬で晴人の背後まで距離を詰めていたエリオットだったが、晴人の冷たい声でその動きが止まる。


「さすがに裂空斬の使い手にライフルは通用しないだろう。けど、少なくとも引き金を引くことくらいはできる。魔力枯渇マジックエンプティ寸前のレオニング君の反射魔法が、レイ議長とキャロル嬢の防御に間に合うか。賭けてみるかい?」

「……それで世界を貴様の手から取り戻せるなら、議長さんとキャロルちゃんの命くらい安い賭け金だと思うけど?」


 エリオットの答えを、晴人は鼻で笑う。


「くくく……ハーミットは知っているよ。ラーゼリオンの半身としてはともかく。エリオット、お前はそれができる弟じゃない」

「……ちっ」


 手にしたレーヴァテイン・レプリカの切っ先こそ下げないが、エリオットにはこれ以上の手出しができなかった。


「さて。話が逸れたね、反射の魔術師君。それにサフィーネ」


 晴人は油断なく銃口をダグラスたちに向けたまま、エフォートに向かって声をかける。


「とにかく、そういうわけだよ。現代日本と魔幻界の知識の結晶たる反物質の剣によって、魔王は滅びる。転生勇者であるこの私、望月晴人の手によってね。この反応速度からいって、あと数分で臨界かな」

「……その前に魔王を、いやお前でもいい。殺せばいいだけだ」

「できるかな?」


 次の瞬間、晴人の体を見慣れた輝きが包んだ。

 転移魔法発動の光だ。


「待っ——!」

「兄貴!!」


 サフィーネの叫びに、エリオットが反応した。


「裂空斬!!」

「無駄だよ」


 すでに転移は始まっていて、斬撃は晴人を包んだ光球をすり抜けてしまう。


「私は少しだけ身を隠させてもらうよ。魔王が滅びて勇者システムが発動したら、私は世界を手にする。そしたら、女神を滅ぼそう。その暁には君たちも手伝ってくれると嬉しいな」

「ふざけるなっ! ……!? 貴様、魔王を残していくのか?」


 転移魔法の輝きからは、魔王は外れていた。

 反物質の剣は晴人の手を離れ、残された魔王に深く突き刺さったままだ。


「うん、おいていくよ。もう君たちにはどうしようもないからね」

「なに?」

「言い忘れていたけれど、対消滅は膨大なエネルギーを発生させる。魔王ほどの存在を消滅させるエネルギーだ。きっとその爆発は、この大陸ひとつをまるまる吹き飛ばすだろうね」

「なっ……!?」

「大陸全土って……!」


 顔面蒼白になるエフォートとサフィーネ。

 転移していく晴人は、実に愉快そうに笑う。


「逃げ場はどこにもないけれど、きっと大丈夫だよサフィーネ。なにせレオニング君は、反射の魔術師だ。性質としては単純な熱エネルギーだからきっと彼なら跳ね返せる。せいぜい頑張って生き延びて……私とともに、女神と戦ってくれよ」


 そう言い残して、新たな転生勇者は光の彼方へと姿を消した。

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