103.嵐の前も、静かとは限らない

 魔王が復活した。


 都市連合の西には不毛な大地が広がり、そしてその奥には険しい山脈がそそり立っている。

 高密度な魔素により、人族はおろか亜人族や魔物の類すらも居住困難な地域だ。

 その山あいに、一夜にして巨大な城と魔物の大軍勢が出現したのだ。

 冒険者ギルドは、魔王復活の地として予言されていたその地に人員を交代で派遣し、観測していた。

 来るべき時がついに来た。

 約定に基づき冒険者ギルドは、大陸各国へと伝令を飛ばしたのだった。


 ***


「意外とあっさり、静かに復活したねぇ、魔王さんってば。てっきり国の一つや二つ、初手からドカンと滅ぼしながら甦ると思ってたよぉ」


 評議会議場の建物内にある、複数の会議室。

 その中でも多人数を収容できる一室で、連合評議会議長ダグラス・レイは椅子を後ろに倒しながら軽口を叩いた。


「その場合、最初に滅ぼされるのは都市連合ウチだよ……議長」


 横に座る副議長のタリア・ハートが、呆れてため息をついた。


「そりゃそっかぁ、隣だもんねぇ! あははっ」

「もう虚勢を張る必要ないんだから、無駄な軽口叩かないで下さい議長」

「……タリアたん。マジで俺への態度、変わったよね」

「この前の一件で、貴方という人がよく分かりましたから」

「うっ……」


 たった一人の女魔法士を守る為。

 その為に父親と戦った件を出されて、ダグラスは言葉に詰まる。


「まーでも、律儀な魔王だよねっ」


 声を上げたのは議長の後ろに控えていた、そのふざけた女魔法士キディング・ウィッチだった。

 長い金髪を頭の横で二つに束ねた、二つ尻尾ツインテールを揺らして緊張感なく笑う。


「ちゃんと予言された場所に、素直に真面目に復活するんだからさっ」

「あんた達、バカ?」


 黙って聞いていた栗色の髪の剣士が、フンと鼻を鳴らした。


「魔王はこの都市連合の西、『焼き尽くされた大地ザ・バーンド・アース』に甦って、まず初めにラーゼリオンの血を啜る……大陸に暮らしてたら、子どもでも知ってる伝承でしょう?」

「キャハハ、そっちこそ相変わらずの単細胞ッ!」


 ニヤァと嗤って、キャロルはリリンに向かって侮蔑の視線を向ける。


「伝承とか予言が、真実をそのまま伝えるなんてまずあり得る訳ないって知らないのっ? 魔王復活の伝承だって、ラーゼリオン王国が自国の軍備増強と神聖帝国に対する地政学的優位を既成事実化する為に捏造されたってのが、定説なんだからっ」

「だっ……だからまず、タンサイボウがどういう意味か教えなさいよ!」


 カッと頭に血が上って、リリンは声を荒げる。


「それに、チ、チセーガク? キセージ……って、難しい言葉並べりゃ頭がいいってわけじゃないからね!」

「リリン、落ち着くニャ」


 キイキイと騒ぐリリンの肩に、曲刀シミターを腰に下げた猫の獣人がポンと手を置いた。


「争いは同じレベルの者同士の間にしか発生しないニャ。相手にしニャいの」

「ニャリス、でも」

「ちょ、待ってよ! 誰と誰が同レベルだって? 殺すよクソ猫がッ!」

「……やってみるニャ?」

「うっ」


 薄い笑みとともにニャリスに睨まれ、キャロルは身を震わせて後ろに下がる。

得体の知れない呪術使いに、キャロルは怯えていた。


「怖えー、ニャリス。もうこっちで幅利かせてんの?」


 褐色の肌のオーガ混じりの女戦士が、ニャリスをからかった。


「……ルース」


 その快活な振る舞いに、ニャリスは憂鬱そうな表情を浮かべる。


「とんでもないニャ。もうすっかりこっち側に馴染んでる、ルースみたいにウチは図々しくニャいよ」

「ええっ? そんなことないって。アタシは奥ゆかしい女だから、慎ましやかにやってるって」


 ケラケラ笑うルースに、コボルト混じりの少女がジト目を向ける。


「……絶対ウソだべ。昨日も訓練って言って、連合ここの兵隊さんたちボコボコにしてたべ」

「そうだよなあ。ルースは脳筋だから、奥ゆかしいなんて言葉一番似合わないよなあ」


 グレムリン混じりの少年が愉快そうに笑った。


 ゴン!


「こら。ミカ、ガラフ。私語を慎め。これから重大な会議なんだぞ」

「痛ったあ! なんでオイラだけ殴るんだよ、ギール兄!」


 生真面目な表情で立つ、ルースと同じオーガ混じりの剣士。その拳を脳天に受けてガラフは悲鳴を上げた。


「ガラフよ、我らはビスハ勇兵隊の代表でここにいるのだ。自覚を持て」

「へん! オイラはフォートのニイちゃんの右腕だ! ビスハは関係ないね!」

「あら? それならボクは左腕ってこと? お父さんって左利きだったかなあ」


 白いフード姿の幼い幼女が、挑戦的に笑った。

 ガラフはムッとする。


「……その話は決着がついたはずだぞ、ミン。ニイちゃんが一番頼りにしているのは、オイラだ!」

「へええ? ガラフの実力は認めるけど、この世界を魔王と女神から守る為に戦うお父さんの側近としては、君は思慮が足りないお子様過ぎないかなあ?」

「なんだとっ! オイラより年下のクセに!」

「精神年齢の話よ」

「ミン、言っておくけどな。オイラが初めて会った時よりお前だいぶ、ガキっぽくなってっからな!」

「う……嘘でしょ!?」


 ガラフの言葉に心当たりがあるのか、ミンミンはサッと青ざめる。

 ルースが後ろから、その頭を優しく撫でた。


「ミンミン……よかった、アタシは嬉しいよ」

「子ども扱いしないで、尻軽女!」

「し、尻軽は酷すぎないか!?」


 ルースはその言われ方はあんまりだ、と天井を仰いだ。


「やれやれ、ラーゼリオンの連中は騒がしいねぇ。能天気なヤツばっかりで羨ましいよ。なあ、タリアたん?」

「類は友を呼ぶという言葉を知ってる? 議長」

「いっ?」

「深刻な状況でも深刻な顔をしないのは、貴方だけではないんだよ」

「……まあそりゃ、知ってるけどさぁ」


 ダグラスが視線を向けた先では、またウマの合わない女剣士と女魔法士の二人が言い争っていた。


「だいたい、なんであの詐欺勇者の仲間が堂々とこの国にいんのよっ! 帰れ帰れっ!」

「……事情があるのよ! そっちこそ、聞いたらエフォートに散々助けられたらしいじゃない。なのに、大きい顔しないで!」

「はああ? どうしてアンタにそんなこと言われなきゃなんないのっ! 反射魔法士リフレクターとアンタにどんな関係があるってのよ!」

「か、関係は……」


 会議室の片隅に視線を向けながら言い淀むリリンの、はっきりしない態度にキャロルは苛立った。


「何なのよ」

「か、関係は……ないわよ! 無関係よ!」

「キャハハ! 語るに落ちるって、このことねっ」


 ギャアギャアと騒ぐ一同。

 その様子を会議室の片隅から眺めていた彼女は、頭を抱えて深い深い溜息をついた。


「協調性、ゼロだなあ……」

「ああ」


 思わず弱音らしきものを吐いてしまった彼女の背中から、彼が声をかける。


「今までが奇跡的に、うまく行っていただけだったな」

「そうだねぇ……」

「? サフィ」

「なあに?」

「どうして嬉しそうなんだ?」


 一ヶ月以上、会議に次ぐ会議。

 その為の準備に、根回し。裏工作。

 正直、ラーゼリオンから亡命してからこっち、休みもなく働いて疲れきっている。

 それは王家承継魔導図書群の開封・研究に、都市連合魔法兵団との連携、そしてリリンやニャリスの超常の能力を組み込んだ戦術プランの考案などで忙殺されている、エフォートも同じだ。

 気持ちを確かめ合ったところで、そこから先にどうこうできる暇など皆無だった。

 ラーゼリオン組と、都市連合評議会議長と副議長、そしてキャロル。

 信頼できる者だけで話し合う必要ができた今、二人が昼間に顔を合わせるのは実に久しぶりだった。


「フォート……嬉しそう? 私が?」

「違うのか? 笑っているから」


 これから一致団結して力を結集し、勇者に、王国に、魔王に、そして女神に抗わなくてはならない。

 その前にバラバラな味方陣営を目にして、すっかり参ってしまっている。

 サフィーネはそんな状況のはずだったのだが。


「ねえ、フォート」

「ん?」

「思えば、二人だけで始めた事だったよね」


 少しだけ遠い目をするサフィーネ。

 ほんの五年前のことを、思い出していた。


『ねえ君。私たち、気が合うと思うんだよね』

『……はい?』

『手を組もう』


 始まりは本当に、ただの利害の一致でしかなかった。


『つまり君には、国家反逆の共犯者になれって誘ってるのよね』


 自分の理想の為に、国の制度を否定したかった幼い王女と。


『殿下、お願いがあります。自分をラーゼリオンの魔術研究院に転属させて下さい』


 大切な幼馴染を奪った男に打ち勝つ力を欲した、少年魔術師。

 たった二人で始めたその戦いはやがて王国を、勇者を、世界を、神を相手に、多くの者たちを巻き込んでいった。


「……そうだったな」


 二人はともに、この部屋に集まっている多くの仲間たちをまぶしそうに見つめる。


「じゃあ、始めよう」

「うん。ここからが本当の勝負だね」

「……みんな、聞いてくれ!」


 騒がしかった部屋が、エフォートの一言で静まり返った。

 多くの瞳が、反射の魔術師へと集まる。


「魔王が甦り、そしてラーゼリオン王国が都市連合に最後通牒を突きつけてきた。この一大事を前にして、皆に話しておかなければならない事がある」


 沈黙が流れる。

 誰もが反射魔術師リフレクターの言葉を待っていた。


「それは他でもない、この戦いは全ての始まりについてだ。そうだろう? 国父ラーゼリオン」

「止めてよエフォート、そんな言い方〜」


 呑気な男の声が、会議室に響く。


「まあ、仕方ないからね。話せない事もあるけど、できるだけ説明はするよっ」


 そう言うと、第二王子エリオット・フィル・ラーゼリオンが部屋の前に歩み出た。


「……あれ?」

「王子……?」


 ミカが、ルースが戸惑う。

 まごう事なき、エリオット王子だ。

 自由奔放で明朗快活。

 だが思慮は浅く知識は少ない、そんな第二王子であることには間違いないのだが。


「……マジかよ」


 ダグラスは息を飲んだ。

 威風堂々とした風格。

 それは国を統べる者だけが纏うことができる品位。

 皆の前に立った男はエリオットにして、エリオットではない。


「これは、千年を超える宿命なんだよ。そして……」


 いつも通りの笑顔で、第二王子はチラリと反射魔術師を見た。


「エフォート、君の親父さん……レオニング家当主の企みでもあるんだ」

「できることなら、このまま無視していたかったがな」


 エフォートは不愉快そうに、顔を歪めた。

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