30.白の幼女

 長く垂らした髪は純白。

 顔も、瞳も、服も肌も、白、白、白。

 白の幼女は、黒の幼女に不平不満を言いながら、唖然としているエフォートとサフィーネを見た。


「あら。貴方がたは」

「ぬ? なぜそなた知っておる。もしや、また……」

「いえ? 黒の汝がここに呼ぶには、ずいぶんと可愛らしい子どもたちかしらと。……片方は我の戒め破ってるけど」


 エフォートの方を見て、薄く笑う白の幼女。

 人間なら黒目の部分まで白い瞳で見つめられ、エフォートはブルッと身体を震わせた。


「禁忌破りに我を会わせて、どうするつもりかしら? 黒の」

「禁忌破りだからこそ、できたことじゃ。小僧はラーゼリオン王家滅亡を防いだのじゃぞ? シナリオは変わったのじゃ、白の。そなたの駒以外の手でのっ」


 黒の言葉に、白の目が僅かに見開かれる。


「……反射魔法……」


 白の幼女がボソリと呟く。

 その白眼はエフォートたちを見ながら、違う何かを見ているのようだ。

 そして。


「……面白いかしら。この世界にはまともな反射リフレクト構築式スクリプトは用意してなかったのに」

「ラノベをヒントに、小僧が独自で開発したのじゃ!」


 黒の幼女が無い胸を張って威張る。


「ラノベ? ……ああ。我が外から駒を召喚したら、汝もズルいとか言って召喚したアレのことかしら。……でも」


 白の幼女は小首を傾げる。


「あんな虚構ローマンに、実際の魔法のヒントがあるのかしら」

「……今、なんて言った!?」


 ふざけた口調と裏腹の圧倒的な存在感で、萎縮させられ黒と白の会話を黙って聞いているしかなかったサフィーネたち。

 だが、さすがに聞き捨てならない話題にエフォートが割って入った。


「虚構ローマン!? あれは、あの金髪の男の秘密が書かれた魔導書だろう!?」

「あはっ、あははははは! まあ、そうね。そういって差し支えないかしら。でも、魔導書っ……ラノベがっ……あはははっ……」


 腹を抱えて笑いだす白の幼女。

 黒の幼女は、そんな白を見て更に言う。


「この小僧は、そなたの駒に奪られた幼馴染を取り返す為、必死でアレを解読しておるところじゃ」

「マジかしら!? あははははっ……それでヒント掴んで、反射魔法って……あはは、ラーゼリオンを救ったって……あははははは、どんな冗談それ、く、苦しい、笑い死ぬかしら……あはははは!」


 身を捩って転がり回って笑い続ける白の幼女。

 エフォートは呆気に取られながら、どうやら自分はバカにされているらしいと気付いた。


「……こいつ……」

「な、性格悪いじゃろ? これがこの世界の女神じゃ」


 黒の幼女は、ほらどうだと吐き捨てる。


「女神……本当に?」


 サフィーネの呟きに、白の幼女はガバッと起き上がった。


「女神様、でしょお? 身の程をわきまえなさい! ……えい」

「っ!?」


 白の幼女の呟きとともに、サフィーネの足に激痛が走る。

 見れば、この不思議な空間に来てから消えていた足の怪我が、元に戻っていた。


「痛うっ……!!」

「サフィ!」


 倒れ込むサフィーネを、慌ててエフォートは支える。

 王女は脂汗をかきながら大丈夫と笑ったが、それでも顔は引きつっていた。

 エフォートは白の幼女を睨みつける。


「お前、何をする!」

「この女神に向かって『お前』!? さすが禁忌の小僧かしら。『何をする』って、その王女はもともと怪我してたでしょ? 文句言われる筋合いないかしら」

「くっ……」


 エフォートに回復魔法の適正はない。

 どうすることもできなかった。


「……大丈夫エフォート、我慢できない程じゃない。それに……自分で」


 サフィーネは自ら、治癒の魔法を足にかける。

 だが王女の回復魔法は、人間のレベルで考えても決して高くはない。


「あら可愛らしい魔法、我への信仰が足りないのではないかしら。それで治るの、何か月後かしらね?」

「ふざけるな! ……おいキサマ、今すぐここから出せ!」


 エフォートは白を無視して、黒に向かって叫ぶ。

 一刻も早くサフィーネを王国の回復術師か司祭に診せなければならない。


「なんじゃ、そなたら。助かった後でものんびりイチャイチャしとったじゃろう?」

「いいから早くしろ!」

「無ぅー理ぃーじゃ。この空間はもう半分以上、白のに支配されてるのじゃ。吾だけではもう好きにできぬ」

「うふふっ」


 黒の言葉に、また白は含んだ笑いを漏らす。

 見れば確かに、もともと漆黒の空間だったはずが今ではほぼ一面に白く輝く亀裂が走り、様相が一変していた。


「こ、の……!」


 思わずエフォートは、白の幼女に向かって手のひらを伸ばす。


「あら撃つのかしら? 我に? この世界の絶対の支配者にして守護者たる、我に?」

「う……」


 白の幼女が嗤い、エフォートは冷や汗を流す。

 勝ち目があるはずもない。

 空間魔法などという概念を超えている、この場所。

 そこを子どもが遊ぶかのように行き来し、容易く因果律を操る相手。

 一人の人間がどうこうできるレベルではない。


「……お前、女神だと自称したな」

「自しょ……! 腹の座ったガキかしら。ええそうかしら、自称女神様ですがなにかしらぁ?」

「だったら何故、魔王とつるんでいる? 敵ではないのか?」

「ふふふ、敵よ。ゲームの敵かしら」

「ゲーム?」

「うふふ」


 白の幼女は、この世界の女神は嗤う。

 すべての知的生命を嘲るように。


「しょせん、この世は神々の玩具。戯れに生み出された、星の数ほどある世界のたったひとつ。玩具であれば、面白くなければ意味はない。我が管理するこの世界は腐敗と争いに満ち、強きは弱きを虐げ、弱きは強きに媚びへつらう。反逆の魔王との戦もそれはそれはつまらぬ争いの繰り返し。玩具など名ばかりの現実という地味極まりない世界かしら」

「地味で悪かったのじゃ」

「ふふ……」


 語る白の幼女の雰囲気が、がらりと変わる。

 溢れる神威。

 高みから世俗を見下す傲慢なる独裁者。否、裁してもいない。

 ただ傍観し、つまらぬと嘆く怠惰なる存在。


「だから我は思うたかしら。この現実を、虚構ローマンの如く楽しい物語に変えようと!」


 その怠惰の白眼に、輝きが宿る。

 げに忌まわしきは、働き者の愚か者。


「とある世界にライトノベルなる、生活に倦んだ者たちが愉しむ虚構ローマンがあるかしら。その物語にいわく、進んだ文明世界より転生せし魂が、神の力と異世界の叡智を持って勇者となり、我のような世界を救うと。『異世界転生して俺TUEE』! なんと楽しそうな物語かしら!」

「小人閑居をして不全を為すとはよく言うたものじゃ」

「黒のも面白いと言ってたかしら」


 女神の話を聞き、辛うじてその意味を理解したエフォートは眩暈のような感覚に襲われた。


「……進んだ文明世界より来た魂? 神の力と異世界の叡智を持った勇者? まさか、それが……」

「そうじゃ、エフォート・フィン・レオニングよ」


 笑っている白の幼女の代わりに、黒の幼女が応える。


「そなたの幼馴染を奪っていった金髪の小僧こそが、この暇に飽いた白の女神が呼び寄せた、『異世界転生チート勇者』じゃ」

「チート……?」


 黒の幼女の言葉にエフォートは反問する。


「いってみれば、ズルじゃ。あの小僧は女神の祝福を受け、無限の魔力と生命力を持っておる。さらにこの世界より文明的に遥かに進んだ異世界の叡智まで持っているのじゃ。その勇者が、吾を倒す」


 黒の幼女は忌々しげに、しかしどこか愉しげにエフォートに説明する。


「魔王たる吾は、それに対抗するというゲームじゃ。じゃがあまりにズルが過ぎるでの。我もひとつ、異世界召喚とやらにチャレンジしてみたのじゃ」

「ふふっ。如何に破格の力を持つ存在とはいえ、この世界の駒の一つでしかない黒の汝に、輪廻に影響を与えることなどできようはずがあるまい?」


 白の幼女はケラケラと笑い、黒の幼女はふんと鼻を鳴らした。


「そのとおりじゃ。確かに吾に異世界の魂を呼び寄せることは適わなったのじゃ。その代り、こやつが真似した諸悪の元凶は呼び寄せることができたのじゃ」

「それが……あの、『ライトノベル』……」

「そうじゃ。虚構ローマンとはいえ、馬鹿にしたものではないぞ? 異世界の叡智の一端は描かれておるし、この世界での叡智の実用に関する実例集じゃ。そなたが転生勇者に対抗しようと思うのであれば、充分以上に役立つじゃろう」

「まて……待て、待て!」


 エフォートは予想をしていなかった魔導書の正体、それ以上にこの真実に首を振る。


「おい……そこの白いお前!」

「女神様だと言っているかしら」

「女神なら、なぜすぐ横にいる魔王を滅ぼさない! お前はこの世界の守護者なんだろう!?」

「勘違いしてもらっては困るかしら」


 白の幼女の視線が鋭くなる。


「確かに我はこの世界を守護し、管理しているかしら。生命が限られた者たちに治癒の恩恵も与えているかしら。けれどあくまで我は『この世界』の守護者であって、『人族』の守護者ではない。また悪しき者と正しき者がいるとして、必ず正しき者を守護する者ではないかしら」

「なん……!」

「……ふ、そうよね」


 驚愕するエフォートだったが、サフィーネはどこかで納得できていた。


「あら王女様、物分かりがいいかしら」

「神様がいたとして、なんでこんな不条理で不公平な世界を放っておくのかってずっと思ってたわ」

「その通りかしら。我はただこの世界という玩具を所有し、管理し、このゲームを愉しむだけかしら」


 嗤う白い幼女。

 不条理に抗い戦う人々を愉しむだけと明言する、この世界の女神。

 エフォートはそんな存在を睨みつける。


「……ならばその異世界勇者が魔王を倒せば、お前のゲームは終わりか。あの金髪の勇者が魔王を倒せば」

「倒されぬように、この黒のが頑張るかしら」

「そういうことじゃ。そこでエフォートよ、お前の出番じゃ」


 白の幼女の言葉を受けて、黒の幼女がすいっと前に出てエフォートに顔を近づける。


「そなたと吾は、利害が一致しておる。そうは思わぬか?」

「なに……?」

「異世界転生勇者を、そなたが倒すのじゃ。リリンを奪った憎いあの男が救世主になるのを、黙って見ておるつもりか?」

「……!」


 エフォートは息を飲む。

 彼が望みを叶えるということは、すなわち魔王を助けることになるということだからだ。


「あはははは! 面白いかしら! 黒の、なかなか愉しましてくれるかしら」

「こちらも必死なのじゃ。ゲームは真面目に取り組む主義なのじゃ」


 黒の幼女もニイッと笑う。

 白の幼女はうんうんと頷いた。


「そうそう。黒のに、魔術師クンそれに王女さま。せいぜい皆で頑張るかしら。転生勇者が魔王を倒しちゃったら、この世界は勇者の物だから」

「……はあっ!?」

「……ええっ!?」


 エフォートとサフィーネは今度こそ二人で驚愕する。

 白の幼女は口がどこまで裂けるのかという勢いで、壮絶な笑い顔を見せた。


「輪廻の理を破って、外から駒を持ち込んだかしら。そんな存在に救われるような世界に、もう価値はないかしら。ゲームクリアの暁には勇者にプレゼントするかしら」

「どういうことなのそれはっ!?」


 一国を預かる王家の一員として、サフィーネは絶対に聞き逃すことができない。

 もはや足の痛みも忘れ、白の幼女に問い質す。


「世界は勇者の物? プレゼント? どういう意味なの!?」

「そのままの意味かしら。我はこの世界の管理権限を勇者に渡すかしら。後はどうするかは、あの坊や次第かしら」

「なんっ……そんな……あなたは、私たちを、なんだと思って……」


 サフィーネはわなわなと拳を震わせながら、白の幼女を睨みつける。

 白の幼女はキョトンとした表情で、王女を見返した。


「さっきから言ってるかしら。玩具だって」

「……ふざけないで!! そんな事は認めない!!」

「じゃあせいぜい、勇者に魔王を倒させないように頑張るかしら。ラーゼリオンの小僧が残した承継魔導図書群だってあるでしょ? そこの魔術師クンとラノベも読んで、一緒に頑張って! ……あ! そうかしら!」


 白の幼女はいきり立つ王女を軽くあしらってから、思いついたように付け足す。


「勇者が魔王を倒したら世界をプレゼントってこと、他の人間に言っても無駄かしら。まず誰も信じない上に、もし信じたとしても我が神言して否定するかしら! 正しく人間の味方をする女神として、ね。うふふ」

「なんだと!?」


 それではエフォートたちは、協力者を得ることができない。


「魔王を倒す勇者の敵として頑張るかしら! わあ、楽しくなってきたかしら! 黒の、今日はお招きありがとね! わあ、我もいろいろ仕込んでおくかしら!」

「……そなたに礼を言われるなど、黄昏も近いのじゃ」


 マイペースを貫き通す白の女神に、黒の幼女は少しだけげんなりした調子で応える。


「じゃ、我これで帰るかしら。いろいろ頑張ってねー!」

「あ、待つのじゃ白の! 空間直していくのじゃ!」


 黒の抗議を無視して白の幼女は、白く輝く亀裂に軽く身を投じ、姿を消した。

 次の瞬間、漆黒の空間は振動を始める。


「あ、あやつ……! 立つ鳥あとを濁しまくりなのじゃ!」


 黒の幼女は亀裂が開いたままの空間に手を伸ばす。

 崩壊しそうな空間を、修復しようとしているようだった。


「お、おいお前」


 エフォートは黒の幼女に声を掛けるが、それどころではないと幼女は見向きもしない。


「お前達、とっとと帰るのじゃ。またそのうち顔を出すのじゃ」

「か、帰れと言われたって」

「ほれ」


 黒の幼女が一言つぶやいた瞬間、エフォートとサフィーネはぐんと後ろに引っ張られる感覚にとらわれる。


「きゃっ……!」

「サフィ、掴まれ!」


 裂けた空間に手を伸ばしている幼女の姿が、急速に遠くなっていく。

 上も下も分からない。

 そんな中、黒の幼女の声だけが響く。


「ラノベの解読、進めるのじゃ! 後は承継魔導図書群、吾を倒す力として勇者も狙っておる。くれぐれも渡すでないぞ!」


 黒の世界が遠くなる。

 サフィーネは自分の意識もまた、遠くなるのを感じた。


 ***


 都市連合の魔導兵団による戦略級魔法から国を守り、英雄となったエフォート。

 彼は三年前に拾った魔導書に関する秘密を知り、更に研究に没頭していく。

 その正体が異世界の虚構ローマンであると知り、正しいアプローチの方向性を理解できたことによって、異言語解読は加速度的に進むことになった。


 そしてまた、反射魔術もさらに習熟を進めていく。

 いずれくる、勇者を倒す時の為に。

 魔王を勇者に倒させない為に。

 この世界を本当に、自分たちのものにする為に。


(私は、何があってもこの人について行く)


 サフィーネはそう決意する。

 命を賭して自分を救ってくれたエフォート。

 それだけじゃない。

 弱気になっていた自分に勇気を、光を与えてくれた。

 そんな彼とともに、二人だけで世界を敵に回す。

 魔王を倒す勇者を、その前に倒す。


(……悪くないって思うんだ、フォート)


 私たちは共犯者。

 それは何より強い繋がりだと、サフィーネは感じていた。

 きっと、会ったこともない彼の幼馴染よりも!


 もうすぐ目が覚める。

 国を捨て、立場を捨て、家族を捨て。

 転生勇者に一矢報いて伝説の力を得て。

 城から飛び出した。

 もう止まれない。


(大好きだよフォート。一緒に行こう)


 誰かに揺すぶられて、サフィーネはゆっくりと瞼を上げた。

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