13.幕間・語られし真実
意識を取り戻すと、そこは天も地もない無限に広がる漆黒の空間。
「目が覚めたか、吸血鬼の小娘よ」
光が一切無いにも関わらず、何故かその姿は認識できた。
自分に声をかけてきたのは、ラーゼリオンの城下町で意識を失う直前に出会った貧民の少女。
「……数百年を生きる妾を小娘呼ばわりとは。何者じゃ」
「数百年で大人のつもりか、笑わせてくれるのじゃっ。吾が何者かも分からぬ、無知蒙昧なヒヨっこがっ」
シルヴィアは、吸血鬼の真祖である。
ともすればシロウをも上回る魔法の力を持ち、特に複数の特殊能力を持つ<魔眼>の力、その一つ<鑑定眼>を使用すれば、原理的に彼女に見通せないものは存在しない。
そのシルヴィアをして、原理の分からないこの空間。
そしてどう見てもただの人間にしか感じられない、黒いボロきれを纏った幼女。
そんな存在の心当たりといえば。
「……まさか」
「大当たりじゃ。キャラの被るそなたと関わりたくなどないのじゃが、<鑑定眼>はちとやっかいじゃからなっ。あの坊主の隠ぺいを早い段階で見破られては面白くないでのー」
シルヴィアは数十年ぶりに冷や汗が流れるのを感じる。
もっとも、この空間に浮かぶ自分の身体が果たして本当に自分のものか、欠片も自信を持てないのだが。
「な、なぜ……お前が、教会の味方を」
シルヴィアの問いに、黒の幼女は盛大に噴き出す。
「きょ、教会!? 教会の味方!? 吾が! あははははッ ……シルヴィアよ、ドラクルの血脈を受け継ぐ真祖たるそなたがここまで愚かとは! 吾の心配は取り越し苦労であったか!」
「妾のことを、知って」
「当然じゃ。吾はこの世界のすべてを愛しておる。どこぞの誰かよりずっと、の」
黒の幼女はケタケタと笑った後、ふっと大人びた表情で中空を眺める。
「さて。本来は吾が直接干渉するのはルール違反なのじゃが、あやつも隠れてたいがいの事をやっておるのじゃ。文句を言われる筋合いはないじゃろう」
ふいに幼女の姿が掻き消える。
「シルヴィア、そなたを消してしまえば簡単なのじゃが、さすがにそれはやり過ぎでな」
「なっ……!」
背後からするりと幼女の腕が伸びて、肩ごしにシルヴィアの豊満な胸を鷲掴みした。
「はうっ」
「忠告じゃ。エフォート・フィン・レオニングの邪魔をするでない」
後ろから耳元で囁かれる。
「そなたが奴の企みや正体を看破したとしても、決して他人に告げるでないぞ。もちろん、シロウ・モチヅキにもじゃ」
シルヴィアは、少なくともこの空間で幼女に逆らうことは不可能と悟る。
今は逆らわずに会話に応じるしかなかった。
「わ、妾は金髪坊やの仲間じゃ。奴隷契約も結ばれておる。坊やの不利になるような真似はできぬのじゃ」
「のじゃ、とか言うでない。キャラが被っているというのに」
「キャ、キャラ!?」
「ふん。奴隷契約とはこれのことか」
幼女は鷲掴みにしたシルヴィアの胸に見えている、奴隷紋の一部を親指でついと撫ぜた。
たったそれだけで絶対解呪不可能なはずの隷属の戒めは解かれ、魂まで深く刻まれた奴隷紋は跡形もなく消滅する。
「は……はあっ!? そんなっ……!!」
ありえない事象に取り乱したシルヴィアは、背中に張り付いた幼女を振りほどいて自分の胸を慌てて確かめた。
だが己が美しい肌には一切の痕跡はなく、それ以前に確かに感じていたシロウとの魂の繋がりを、もう何も感じられない。
「坊やとの……妾と坊やとの繋がりがっ……! 誰にも壊せぬ約束の証が!!」
「ふむ、そなたも自分の意志で奴に従っておるのだったな。人間嫌いの吸血鬼をここまで手懐けるとは、あの男もなかなかやるものじゃ」
「おのれ……よくも!」
「落ちつくのじゃ」
幼女の一言でシルヴィアの身体が動かなくなる。
逆上したシルヴィアは〈魔眼〉の力で幼女を屈服させようした。だが、逆に目に見えぬ力で戒められたのは彼女の方だ。
幼女にただ見られているだけなのに、魂そのものを目に見える鎖で封縛されるような感覚。
吸血鬼シルヴィアのお株を奪うような力だ。
「く……化け物め! 妾はお前などに従わぬ!」
「それがシロウ・モチヅキの為だとしてもか?」
「何っ!?」
「繰り返す。エフォート・フィン・レオニングの邪魔をするな。その正体も明かしてはならぬ」
少し間をおいて、シルヴィアは落ち着きを取り戻した。
『それがシロウの為だ』という幼女の言葉。
簡単に信じるわけにはいかないが、幼女の思惑とその真意を確かめなければならないのは間違いない。
それこそシロウの為に。
「……レオニングじゃと……かつてラーゼリオン王国を救った反射の魔術師。リリンの幼馴染であったな。何者なのじゃその男は」
「この世界の真理の一部を知らされた者じゃ。ゲームの一部をの」
「真理? ゲーム?」
「エフォートは知っておるのじゃ。シロウの正体を」
「異世界から転生した者であることをか」
「それだけではない。女神の奴に力を与えられておること。魔王を倒す宿命を負った勇者であること。その為にラーゼリオン王家に承継されている魔導図書群を必要としておることをじゃ」
「ほぼすべてではないか! なぜ!」
「吾が教えたからな」
「なっ……!」
絶句するシルヴィアに、幼女は笑う。
「何かおかしいか? 吾の立場であれば当然のことじゃっ」
「……いや、おかしいであろう! それならば何故、レオニングは選定の儀で金髪坊やの邪魔をする。勇者が魔王を倒すのは当たり前ではないか! 私怨か? リリンを奪われた復讐というわけか?」
「それも否定できぬじゃろうがな。……シルヴィアよ」
愉快そうに笑みを浮かべながら、改めて幼女は吸血鬼を見据える。
「異世界の者にこの世界を救わせるのか? 女神様がご用意して下さったありがーい救世主様を崇め奉って。それでよいのか?」
幼女の皮肉の利いた物言いにシルヴィアは言葉に詰まる。
「それは……」
「シロウの元いた世界の叡智はさぞ魅力的じゃろう。じゃがそれで世界が救われても、自分達で辿り着いた平和ではない。何の意味があるのじゃ?」
「下らぬ人族が支配し相争う世界がなくなる! それで救われる命があるなら無意味ではない!」
「小娘と議論する気はないのじゃ。先に結論を言おう」
幼女はついと、シルヴィアの鼻先にまで顔を近づける。
「シロウ・モチヅキが吾を殺した瞬間にこの世界、このゲーム盤の価値はなくなるのじゃ」
「ゲーム盤……?」
「価値のなくなった玩具はどうなる? 廃棄じゃ。本来は魔王たる吾を倒した後も、混乱した世界の再建へ向けてゲームは続く。じゃが外からきた駒による王手で詰まされては、そんなゲームに意味は無くなる。そんなものは廃棄じゃ。消滅じゃ。何もかも、最初から無かったことになる。やり直しじゃ……それなら百歩譲ってまだよかったかもしれんがの」
幼女はシルヴィアから離れ、明後日の方向を睨みつけた。
「価値のなくなったゲーム盤はプレゼントされるのじゃ。異世界から来たその駒に、ゲームクリアの報酬としてな。シロウ・モチヅキは新たな神となりこの世界を好きにできる。そこに生きる者に自由意志などなくなるのじゃ。白め、吾はそこまで知らされておらなんだぞ」
心の底から忌々しげに呟く、幼女の姿をした魔王。
その発言はともすれば自分が倒された後の世界を憂いているかのように、シルヴィアには聞こえた。
だが今、確認すべきはそのことではない。
「……なるほどな。それが真実であれば、確かにレオニングの立場では許せぬじゃろう。だがそれがなぜ、金髪坊やの為にならぬのじゃ。妾は坊やを信じておる。性格に難はあるが、あの坊やならばこの世界の神となっても、うまくやるじゃろう」
「さすがは他人に隷属し喜んでいる女じゃ。奴隷根性ここに極まれりじゃな」
「妾たちのことを何も知らぬくせに、侮辱は許さぬぞ」
「ならばどうする? 小娘」
にい、と口を歪める幼女。
確かに今のシルヴィアにできることなど何もない。
数百年を生きた真祖ヴァンパイアであっても、魔王相手に単独で刃向うことなどできようはずがない。
幼女はおそらく女神のことを指す『白』の名を口にしたときと打って変わり、楽しげに笑う。
「なぜそれがシロウ・モチヅキの為にならぬのか、それは自分で考えることじゃっ。何から何まで答えを授けては、吾が面白くないからのっ」
「……結構じゃ。なら妾も好きにさせてもらう。気づいたことはすべて坊やに伝えさせてもらうのじゃ」
「その時には覚悟するがよい、シルヴィア・ド・ヴラディスラウス・ドラクリア。吾は吾の愉しみの為なら容赦せぬぞ」
久しく呼ばれたことのない己の真名を告げられ、シルヴィアは肝を冷やす。
真名を知られているという事は、似て非なるとはいえ魔族の一端に属する吸血鬼の自分にとっては、生殺与奪を握られていることを意味した。
「ほれ。下手に勘ぐられてはやっかいじゃ。形だけでも戻してやろう」
幼女が軽く人差し指を振ると、シルヴィアの胸に軽い痛みが走る。
見ると、消された奴隷紋が元通りに戻っていた。
だがシルヴィアには分かる。それは完全に元通りではない。
「分かっておると思うが、隷属契約は解除されておる。じゃが外から見てそれがハリボテじゃと気づく者はおるまい。シロウ自身にもな。せいぜい奴隷の振りを続けるがよい」
「……妾を返すのか、坊やのもとに」
「戻らぬつもりか? 今あちらは、なかなか面白いことになっておるぞっ」
暗黒の空間に、唐突に映像が浮かんだ。
そこは魔術研究院の実験場。
無数の氷の槍に全身を貫かれている、シロウの無惨な姿。
「こっ、これはっ!?」
シルヴィアは驚愕に目を剥いて慄く。
だが。
「……ふむ。一本取られたの、坊や」
すぐに落ち着きを取り戻し、淡々と呟いた。
「おや、慌てないのじゃな? もはや司祭の回復魔法も意味を為さない重傷じゃぞ? あそこの女剣士など我を失っているぞ?」
「必要がないでの」
煽ってくる幼女だったが、シロウを良く知る吸血鬼にとっては取り乱す理由がなかった。
「リリンはまだ見た事がないから仕方ないのじゃ」
そのシルヴィアの反応に、幼女はなんだつまらないと頷く。
「反射の魔術師もかなり愉しませてくれたのじゃが、今回はここまでかの」
そして歯茎を剥いて、ニイッと壮絶に笑った。
それは幼女の外見にはまったくそぐわない、魔の王にこそ相応しき悪辣たる呪詛の如き笑み。
「第二幕に期待するのじゃっ。……よいか小娘、邪魔するでないぞっ。あとキャラが被る! そなたのキャラチェンジも要求するのじゃっ」
言うだけ言うと、幼女の姿はまた闇に溶けるように消えていった。
今度は本当に、その存在が遠くなっていったことが分かる。
そして残された闇の中に浮かぶ映像。
その映像の中の世界が、輪郭をハッキリとさせて近づいてくる。
(恐ろしい奴じゃ……金髪坊やは、本当にあ奴に勝てるのか?)
シルヴィアは自分を救ってくれた、異世界から生まれ変わってきた青年に思いを馳せる。
(いや、そのための承継魔導図書じゃ。……エフォート・フィン・レオニング。背後で糸を引く魔王。邪魔をしてはならぬ、それがシロウの為……?)
今の邂逅が意味するところを反芻するシルヴィア。
シロウに真実を告げることに躊躇いはない。
だが魔王に掌握されている己の命と引き換えになるならば、タイミングは重要だ。
(反射の魔術師が金髪坊やを害するなら、妾が身を持って止めよう。じゃがそう簡単にやられる坊やでもあるまい。まずは様子を見るかの)
きゃらちぇんじ、とやらについては無視することにした。
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