雨傘ブラリデート
沈黙静寂
第1話
〈日曜日〉
あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。
め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。
あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。
め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。
あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。
め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。
あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。
め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。
あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。
め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。
雨が降っている。授業の無い休日雨天に散歩を楽しむのはわたしくらいで、通学路沿いに人気は無い。皆が家に集まって茶会でも開きながら空を誹謗中傷する間、わたしは誰の吐息も混じらない湿気を吸って生気を養う。普段は誰より先んじて教室を出る程度に外出時間を嫌うけれど、傘の下に隠れて漸くまともな外光欲を取り戻す。最悪な日常生活とわたし由来のノイズを雨音は掻き消してくれる。わたしの心を洗浄してくれる。
雨の優しさに恋して止まない。多雨地域に生まれるべきだったと反省するけど、この梅雨前線があるだけ砂漠よりマシかと日本の四季にそれなりの感謝をした。世の中には雨を嫌う輩が多いらしいけど何を考えているのだかさっぱりだね。こんなに呼吸しやすい環境下、遠足や運動会を中止へ誘う天の恵沢に失礼とは思わないのかね。ピッチピッチチャップチャップランランラン。
跳ねる水溜まりの伸びる先、一人の女性が立っているのが見えた。珍しい人影は雨好きのわたしさえ流石に構える傘を持たず路の真ん中で直立不動のご様子。不自然に進路を変えるのは憚られ、近寄ってみると何故か身体が水分とは縁遠いように映った。
「…………あの、傘入りますか?」現状散歩以上の目的を設けていないわたしは目を擦りながら雨の興奮相まって提案してみた。同族だったら初めての真正なる友達が出来るかもしれないと若干の期待をした。けれど彼女が背丈からして恐らく年上であることの他に加える発想は無い。
「あぁ大丈夫、私雨女だから」
答えにならない答えは、単に生身で感じる雨を嗜好するという自己紹介には受け取れなかった。世間的な語義で言う雨を降らせる体質とすれば、わたしが愛していたのは彼女発の天候変動となるのかい。それならもっと力を発揮して良いのに、という妄想を片隅にわたしが不思議そうな顔を制作していると、やっぱり知らないよねとか何とか呟いた口が解説を予感させる。
「天国ってあると思う?」
「知りませんけど」突然向けられた世俗の口に合う問いには冷静に返す。
「実はあるんだよ。この世界は四つの世界、三つの段階に分かれているのさ。この話少し長くなるけどここに居て風邪引かない?何処か店入ろうか?」
「いや、外が落ち着くのでこのまま聞かせてください」雨音に掠れた話半分が内容に見合っているだろう。
「私と君が居るこの世界は地表世界、生の第一段階として第一世界とも呼ばれる。第二世界には雨天世界と晴天世界があり一般人は訪れることが出来ない。雨天世界は雨天時の地表世界と繋がり、晴天世界は晴天時の地表世界と繋がり、両世界共に地表世界を俯瞰出来る。天気は晴天と雨天の二分、曇天は晴天に含まれ気象庁の定義とは異なるから注意してね。第三世界は天上世界と呼ばれる所謂天国で、地表世界の一般人も死後訪れることが出来る。地表世界と天上世界には人類の想像力が届くようだけど、中間たる第二世界の存在に認知が足りていないのは情けないね。世界毎に存在する住人はそれぞれ第一身分、第二身分、第三身分と呼ばれる。第二身分には雨天世界住人と晴天世界住人が居るということ。第三身分は直ぐに消散して無に還るという噂だけど」
「するとわたし達は第一身分ということ?」
「君はそうだと思うけど私は第二身分の雨女。雨天世界には地表世界経験の無いネイティブも居るけど、私のように第一身分時に雨女気質だった人間は死ぬと雨天世界へ行く。現在の私が実行するように雨天世界住人は雨天時の地表世界へ一日一回、俯瞰で指定した座標に降下することが出来、自分の意思または雨天終了により雨天世界に戻れ、習慣的に降下を行う者を特に雨女と言う。雨女は地表世界の雨天時に死ぬと第一身分として地表世界に戻り、晴天時に死ぬと晴天世界に僅かな間転移した後第三身分として天上世界へ昇天する。俯瞰と降下以外の行動の実体験は無いけど皆の話振りから恐らく確か、晴天世界の実情は知る由無いけど同様の事が起こると思う。第一世界に存在する多くは無気質から死後天上世界に直行する一般人だけど、声を掛けなければ君は無知な人生を過ごしていたように第二身分が陰に隠れているかもしれない」
「へぇ、人類皆姉妹、わたしみたいな健常者ばかりだと思い込んでいましたけどそういう方々もいらっしゃるんですね。世界を見る眼が変わりました」なんて間の抜けた真に受けた返事はせず、本来なら今すぐ降下を解除してドロンする様を見せて欲しい所だけど、さすれば次に双方向コミュニケーションを取れるのが明後日になるので、出会いに悔いを残さないよう質問攻めに出た。
「口頭の他にこの瞬間雨女特有の能力を紹介して魅せる術はありますか?」
「降下解除か百均の刃物を自身にプレゼントして明日ここで待ち合わせするしかないわ。ご覧の通り雨女は幽霊とは違うから第一身分と同じ肉体が有り透過は出来ず、降下を繰り返す疑似テレポートで物体諸共瞬間移動すると言った芸当は出来ない。そうそう、物体は身体に触れていれば世界間で移動可能、だけど安全保障の観点から過度な持ち運びは出来ず雨天世界で地表世界の娯楽の類は味わえない。人体の追従移動は不可で、逆に地表世界で第一身分に接触されている間は降下解除も晴天による復帰も出来ず、接触が解かれれば瞬時に復帰する。だから復帰出来ると思って好き放題するにも捕まるリスクがある訳だ」
「じゃあこうして明日まで抱き締め続ければ日の当たるあなたを拝めますね」そう言って濡れた髪を振り胸元に密着してみるが「そうなるわね」彼女は嫌悪と称して突き放す気配は無い。万が一わたしが秘めたポケットナイフに血を舐めさせた所で第一身分となるに済むから余裕綽々なのだろうけど、現実に接触を止めない可能性はある訳でわたしに何らかの信用を置いていることが分かった。事を起こしたい相手は別人だけど。
「雨女は地球上何処にでも降下出来るんですか?わたしがアマゾン旅行する際にはスコールの度に現れてくれます?」人目に配慮するという言い訳は通用しない状況に困りながらゆっくりと密着を解いて訊く。久々に感じた人肌には身分違いと言えど雨粒に引けを取らない魅力があった。
「いいえ。雨天世界は地表世界の地域区分と対応するように地域毎に分かれ、雨女が存在出来る範囲は第一身分時に死んだ座標を含む地表世界の地域とそれに対応する雨天世界の地域に限る。接触する物体も同様。俯瞰の視野も地域内に限られ、今のわたしはこの地域内でしか俯瞰、降下、存在出来ない」
「肝心なことを後回しに訊きますけど、あなたはこの辺りで死んだということですよね?地元の人間ですか?」地表世界と同じ肉体ならば雨女だろうと年齢には抗えないだろうから、古代伝説上の人物が眼前に居る想定はされない。高校生程度に映える容姿からして思春期手前の若さで、わたしの知らない場面にて一般的な死を遂げたとは嘆かわしい。
「そうね。でも地域範囲は荒川区くらいには広いからあなたの耳に届かなくて不思議は無いわ」非都民には分かり辛い喩えで了解を先延ばし、死因を深堀するのは親交を深めた後が良いだろうと過干渉を抑えた。
「自分が死んだ時のことは覚えていますか?」
「死による地表世界・雨天世界間の移動で記憶が消えることは無いから勿論覚えているわ。思い出すと、あぁ殺した苦虫を只管啜るような気分になってくる。雨女や雨女気質だからと言って死の痛みは感じるし、特に第一身分から第二身分化する場合は死体が地表世界に残るから易々とは死ねないね。因みに死後目覚めるのは第一身分だろうが第二身分だろうが何時に死のうと必ず翌日早朝、死体もそれまで死ぬ前の世界に残ることになる」やはり深入りすべきではない様子が確認された。
「雨天世界の人口ってどれくらいですか?世の中案外湿っぽい人間に溢れているんですかね。近年の気候変動はその影響とか」
「私達は気象に影響されるけど気象は私達に影響されないわ。他の地域事情は定かではないけどわたしの地域には今現在わたし一人だけ。昔は他に何人か居たんだけどね。その先輩達から授かった知識を披露している最中。雨女気質はとてもレア、十万人に一人と言われるから雨天世界の人口密度は北極級よ」雨マニアとして嫉妬の尽きない体質だけど、わたしという存在は世界にただ一人と思うことで慰めた。雨天世界の嘗ての人々は寿命で死んだのか第一身分化したのか何なのか分からないけど、それはどうでもいいか。
「以上、地表では語られない世界の理を紹介してみたけど信じてくれる?私さえ第一身分の頃はあんな異空間があるとは夢にしか見なかったから、その頭に納得を叩き込むのは無理で仕方ないとは思うけれど」新興宗教家あるいはわたし同様太陽を忌む引き籠りの言い訳である可能性は常識的には高いけど、面白い話だとは思った。わたしは何かと他人とは異なる対象に興味を見出す癖があるから。
「何故わたしに話してくれたんですか?生粋の第一身分に明かして雨天世界の掟に違反したりしません?」
「同じ雨の日に出会えた記念だよ。偶の気分転換に降下して散歩したって見掛けるのは店のシャッターを下ろす爺さん婆さんくらい。下手に収集された目撃情報から不審者認定されて逮捕されたり出歩けなくなったりするよりはマシだけど」怪しまれたくないなら傘くらい携帯したら如何でしょうか。色々と可笑しい気がするのは見逃そうか。
「そう言えば君の名前は?信じてくれるなら友達になってまた会おうよ」
「わたしは
わたしの名前を知ると彼女は吊り上げた靨で「兎天ちゃんねぇ」とジロジロ覗くだけで、礼儀に即した応答が来ないので「あなたの名前は」と訊いて初めて「んー、忘れちゃった」と言うのは幼少期の死を暗示しているのかもしれないけど、しまったわたしも認知症を装えば良かったと個人情報管理の甘さを責めた。この地域唯一なら雨女呼びで構わないか。
「信じてあげても良いですけど条件があります」能力紹介の途中から思い付いていた案を投げてみることにした。雨女はふぅんと関心を伴った顔を寄越す。
「殺して欲しい奴が居るので手伝ってください」
「……へぇ、どんな奴?」
通学路から外れた隣町、市営バスが連続して走るのを遠目にコンビニや商店街と人目のあり得る道を出来るだけ避けて通る。濡れない体質とは言え折角なので相合傘を形成しながら、名前の分からない雨女とデートしていた。細身の彼女とわたしが肩寄せ合う狭隘な傘の下で、はみ出ないように歩幅の広い年上と調和してみれば昔らしさを感じた。あの頃はわたしが雨降る外に出たいと我儘を言って困らせたな。
「私が持とうか」雨女が気を利かせるけど、その気が変わって復帰されたら惨めさに溺れる羽目になるので大丈夫と断った。昔二人でよく遊んだ思い出のある公園を通り過ぎる。この辺りにアイツが居ると思うとハンドルに消費する握力が波打ち高まった。
わたし達は今殺人予定地へとデートしている。ターゲットはわたしに虐めの被害を齎す同級生、名前はどうでもいいけど
目撃リスクを勘定すれば断られるかもしれないとは思いながら「別に良いけど何故?」と乗り気な反応を向けてくれたのでわたしの恵まれない環境を説明し、「大変な思いをしていたのだね」わたしが余程可愛いのか何だかんだ殺人に興味あるのか、何にせよ協力してくれることになった。雨で視線と足跡を避けられるとは言え証拠を可能な限り残さない為に、協力と言うより寧ろ雨女単独で殺してもらう。
「問題は肝心のアイツの居場所が分からないこと」雨で自宅に居る可能性は高くそうすれば今の時代珍しい全校生徒情報を記載する名簿を取りに家へ戻ることになり、外出していれば地域内で見掛ける強運を信じて歩き回ることになり、それでも発見が叶わなければ一刻も早く消えてもらいたいのは山々として後日に回さざるを得ない。平日に実行すれば終業時から尾行して確実に殺せる代わりにバレる危険が比較的高いけど、今日のような休日に実行すれば行動予想が難しい代わりに自由な殺し方を演出出来るな。そう思っていると「いや分かるかもしれない。その子の特徴教えてくれる?」都合良く雨女の記憶の抽斗が開けられた。
「金髪で黒のリボンを結ぶ大量生産型の顔面娘。身長はわたしと同じくらいかな。教室の中では一応外しているけど」
「それなら今朝マンションの自室に一人で居るのを見た。俯瞰で第一身分の生活を観察する趣味を持つ者として、唯一の情報源たる視覚的に目立つ人間はチェックリストに入れているから」
その割に虐めに気付かないのは見目悪いわたしをブラックリストに突っ込んで事実上の第三身分にしていたのかと疑いながら、地元通いの学生が多い中でアイツもその一人、アイツが雨の日パーティなど催さず孤独に甘んじ、雨女がその様子を見ていた種々の奇跡に感謝し、これは今日こそ実行すべきだという何れかの世界に居る神の啓示だと解釈した。
「この奥に進めば日比谷ちゃんのマンションがあるはずだから、また後でね」隣町の地理が怪しかったわたしは案内と確認を兼ねて約三十分同行した後、道路一本挟んだ食品スーパーへ不買を掲げて入店し、見晴らしの良いテラスのベンチにエア煙草を吸いながら座った。それは嘘だけど高揚する気分を抑えるにはそれくらいの強迫行為が必要だった。仮にマンションからの距離や高所と言った地理的条件が不適当だったらビックカメラで双眼鏡でも買って対処を試みただろう。
この場の監視カメラを気にする必要は無いと踏んで望遠していると、公園に巨大な段ボール片手で訪れる配送業者の姿があった。置き配にしては周りにドアが無い空間、悪ふざけの注文を受けた可哀想な業者は誰かに届くことを信じて中央まで歩きレインコートのフードを脱ぐ。徐に段ボールを開けると赤と黄と黒、個体と液体状の塊が現れた。中から一本一本を取り出して見せると雨で内容物が流れ止まないのが把握された。
うん、しっかり日比谷マリを殺せたようだ。わたし達は目撃リスクを回避する為人気の無い室内で殺し、雨女がペテン師である可能性と自身の復讐精神から死体の姿を共有する必要があった。スマホを渡して部屋で撮影してもらう方法も考えたが直接わたしの眼で確かめたいのでこのやり方を採った。
日比谷が自宅に居ることが分かったのは良かったが、セキュリティ意識がある場合どうやって玄関を突破しようかと考えた末、わたしの家からレインコートと包丁と適当な段ボールを持ち出し雨の中勤勉な仕事人に偽装してもらうことした。親等の他人が来訪してくる可能性も考慮したが「あの子多分親居ないよ」第三者以上に驚愕の共通点を示唆されてその心配は無くなった。実際どうだったかは後日尋ねるかどうでもいいと忘れることにして、段ボールを死体隠しとして活用するのは予定外のサプライズだったよ。
雨女はコートを怠そうに脱ぎながら、乙女の体重を蔑むように段ボールを放り投げた。わたしが受けた苦痛よりはマシだと思うよ。正義の雨に罪科を流してもらいなさいと、上から目線で二年振りの笑顔に揺れる。ずっと死んで欲しいと思っていた日比谷が遂に死んでくれた。これ以上あんな生活を続けていたらわたしは犯罪者あるいは第三身分に成り上がっていた。殺せて良かった、本当に。
雨女は必要無くなった雨具を公園のゴミ箱に捨てこちらへ振り返る。死体と証拠の類は明日にでも発見されるだろうけど容疑者は空の彼方、道具は指紋の無い未使用の物を使っている。この後は当然合流せず現地解散となり、「有難う、大好き!」大声で伝えたい所をグーサインに留めると、雨女は前触れ無く消失した。ここまでやってくれた勇気から半ば明らかだったけど本当に別世界の住人だったようだ。彼女はこれまでの不幸量を補填する天からの気紛れな幸運だったと思うことにした。
帰宅路、滴り落ちる空に向けて傘の下からピースする。よぉし、今夜は一人パーティだと意気揚々に我が家へ着き、広くなった子供部屋でゲーム機を起動する。室内から聴こえる雨の格別さに酔う中、付けっ放しで時代に遅れたテレビからはいつの時代も必要な情報が流れた。
「――――この先一週間の天気は月曜日が晴れ、火曜日は雨、水曜日は晴れ、木曜日は雨、金曜日は晴れ、土曜日は雨となって―――」
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