なぞなぞ?
フィガレット
なぞなぞ?
『1たす1は?』
よく聞くなぞなぞだ。
答えの定番は2?
もしくは田んぼの田?
どちらを答えても、もう一つの解答が返ってくる。
必ず間違える問題。
両方答えれば、答えは一つしか答えられないと言われる。
1たす1が2以上になる。
時折、人が助け合う際、
相乗効果で個々でやる以上の成果が上がる例えとしても使われる。
1+1=
+を十(じゅう)と読み1101という回答もある。
これ程に、複数の解答が予想される問題に問題があるのではないだろうか?
この問題こそが問題なのではないだろうか?
問題に問題があるのは問題だ。
問題が問題なのだろうか、それとも答えに問題があるのだろうか?
答えに問題があるならば、答えの問題に答えなければならない。
答えの問題の答えに問題があるかもしれない。
問題のない答えとは何だろうか?
問題があるから答えがあるのではないだろうか?
問題がなければ答える必要がない。
問われていないのに答えるのは野暮だ。
しかし今、私は問題を出されている。
答えなければならない。
本当にそうだろうか?なぜ答える必要があるのだろうか?
正解を求められているのだろうか?
正解を求められている。
正しい解のない問いに正解を求められている。
存在しないものを他人に求めるのは意地悪ではないだろうか?
だから意地悪問題などと言う言葉もあるのだろう。
これはイジワル問題だ。意地悪に答える義理はない。
問いに答えるのは、意思疎通をとる行為だ。
対象がいなければ自己で完結する。
しかし意地悪と断じていいのだろうか?
そこに悪意以外のものがある可能性も大いにあり得る。
悪意を向けられる
それ以外の意味を想定するべきだろう。
なぜ問うのか?
答えが、正解が欲しいから?それ以外の意味があるのだろうか?
ある。むしろそれ以外の事の方が多いのではないだろうか?
問う行為自体が、意思疎通をとる事こそが問う理由なのではないだろうか?
それこそが、人の繋がりを生む。
答えにあまり意味はないのかもしれない。
その言葉の悪意の有無は、時に捉える側によって決められる。
勿論、悪意を持って放たれた言葉は悪意が含まれる。
しかし、悪意なく放たれた言葉でも受け手の判断次第で悪意になる。
悪意ない言葉を悪意にする行為は・・・醜い。
言葉を悪と断じず、考察し理解しようと試みる。
この行為は、限りなく善に近い。
これは、興味や関心と言う言葉で補足される。
私は、この興味と関心を決して失いたくない。
私はここまでの考察を全て解答欄に綴る。
問題は10問あるが残念ながら解答用紙は、
もはやびっしりと文字で埋めつくされている。
これ以上、文字を小さくすると残念ながら読む事は困難だろう。
時間もどうやらここまでの様だ。回収される解答用紙。
それを見て先生はこう言った。
「小学一年生の算数小テストで哲学は求めるられてないです」
なぞなぞ? フィガレット @figaret
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