第401話 黒幕商人は、裏でこそこそ動く

「いかがでしたか?女王陛下の御機嫌は」


 会頭室に入るなりそう声を掛けてきたのは、以前陳大人と共にこの部屋に通訳の肩書で訪れたことがある呂範だった。ソファーにも座らずに、ニコニコしながら壁にもたれてそこに立っていたが、もちろんただの通訳ではない。


「何のようだ」


 少し驚いたが、それを隠してオリヴェーロは訊ね返した。すると、呂範は壁から体を離してゆっくりと近づき、耳元で囁く。


「あなたがハンベルク商会に寝返ると聞きましてな。それは穏やかな話ではないと思いまして……」


 思わずパッと距離を取って、呂範の目を見ると、穏やかな表情とは対照的に目が笑っていなかった。おそらくは、陳大人の命でどういうことなのかと追及しに来たのだろう。ただ……どうしてそれを知りえたのか、気になるところだ。


「何、簡単な話ですよ。我々はいろんな手札を持っている、そういうことです。何しろ、1億Gもかけていますからね。陳大人も失敗できないんですよ」


 どうやら、顔に出てしまっていたのだろう。オリヴェーロの疑問に呂範は笑いながら答えた。


「そんなに手札があるのなら、いっそのことあの女王を亡き者にした方が早いのでは?その方がわたしにとっても旨味があっていいのですが……」


「…………」


 笑っていた呂範の顔が固まり、やがて沈黙した。どうやら、その手札はなかったらしいとオリヴェーロは留飲を下げて、話を元に戻した。


「ご心配には及びませんよ。わたしが裏切ったのは小娘の方であって、あなた方ではない」


「ほう……それはどういう意味で?」


 目線を細めて、鋭いまなざしを向けてくる呂範だが、オリヴェーロは冷静に説明を始める。


「陳大人からの依頼は、秋が終わるまでアリア女王の目をこのポトスに向けさせる、そういうことだったよな?」


「ええ、その通りですね」


「それは……なにも、女王に敵対しなければ成し遂げられない話ではないだろ?」


 もちろん、レベッカを裏切らずに勝てるというのなら、それが一番良かったのは確かだ。しかし、現実はどう考えても勝ち筋はないのだ。その中には、自身が立てた作戦の失敗も影響しているが、いずれにしても軌道修正は必要だ。


 だから、オリヴェーロは呂範に向かって、これからはアリアの味方をする振りをしながら、事態の解決に時間がかかるように内側から工作するつもりだと説明した。そして、そのための作戦を続けて口にした。


「具体的にだが……まずコペルティーニ公爵を動かすつもりだ」


「コペルティーニ公爵?ああ、ポトスの総督ですか」


「ああ、その通りだ。総督は今回、あの小娘に誑かされて、背後にアリア女王が控えていることを知らずに私掠免許状を発行したからな。そのことを教えてやれば、きっと泡を食って、小娘に全責任を押し付けるために動くだろう。つまり、カルボネラ商会への捜査だ」


 そして、それこそが狙いだとオリヴェーロは言った。


 何しろ、アリア女王を本気で怒らせれば、ポトスどころか母国オルセイヤ王国すらも危うくなるのだ。新たな罪をでっちあげてでも、罪人として吊るしあげようとするはずだ。そして、総督が一生懸命になればなるほど、捜査は長期化を余儀なくされる。


「しかし、アリア女王にとっては、捜査は邪魔もの以外の何物でもないというわけだ。カルボネラ商会を乗っ取るにしても、風聞が気になれば動くわけにはいかない。つまり、捜査が終わるまで待つしかないということだ」


 無論、捜査のことなど気にせずに幹部たちを裏切らせて、商会を乗っ取ることもできるかもしれないが、そうなると世間からは、大恩あるカルボネラ商会を乗っ取るために、女王の権力で総督府を動かしたと見られかねない。


「つまり、女王は動けないということですか。しかも、確実に乗っ取るためには、捜査の行方から目を離すわけにはいかないと。なるほど、確かにこの役目はレベッカとかいう小娘の側に居ればできない手ですね」


「おわかりいただけたかな。これで、ご要望だった秋の終わりまでは何とか時間が稼げるかと……」


 オリヴェーロは自信に満ちた声で呂範に告げた。すると呂範は満足げに笑ってこの計画を良しとした。


「それでは、上手く行くことを期待していますよ」


 次の瞬間、彼はそう言い残して転移魔法で姿を消した。オリヴェーロは一先ずホッと一つ息を吐き出して、自分の椅子に深く腰を掛けた。そして、天井を見上げて今の会話を考える。


(まあ……実際にはそんなに上手く行くとは思ってないけどな……)


 確かにコペルティーニ公爵は、概ね先程の内容通りの行動を取るだろう。それは疑ってはいない。だが、アリアは必ずしもそうとは限らない。こちらの思惑に乗った状態で、カルボネラ商会の状勢を睨みつつ、大陸の方にも目配せをできるのではないかと。


 しかし、他に選択肢があるわけではない。いや、ないわけではないが、それをすれば自分も破滅しかねない。そこまでの義理は持ち合わせていないというのが、オリヴェーロの結論だった。

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