第314話 大賢者は、魔王の実力に畏怖を覚える

(はあ、はあ……糞ったれ!まだ終わんねぇのか!)


 グイッと魔力回復薬をまた飲み干して、空になった瓶を放り捨てたユーグは、港の方角を見て苛立っていた。見れば、接岸できていない船がまだ10隻近く見える。あれからすでに2時間近い時間が経過しようとしているにも関わらずだ。


 もちろん、簡単な話ではないことはユーグも承知している。爆弾程度の小さい物質ならともかく、人を乗せた船を丸ごと数千キロも離れた場所に転移させるというような荒業なのだ。予定が狂うことなど当たり前のように起こるだろう。


 だが、そうは言っても、いつまでも時間的な猶予があるわけではないのだ。現に、ユーグの方は自分の精神力がそんなに長くは持たないだろうと自覚していた。だからこそ、遅々として進まない避難作業に業を煮やしては早く終わることを願う。そして、そのとき……


「おーい!」


 下で手を振る十数人の魔族の姿が見えた。何をしているのか、ここは危ないと伝えるべく、ユーグは地上に降り立った。次の詠唱までに5分程度は時間があると計算して。


「あなたは、もしやユーグ・アンベール殿か?」


 相対すなり、集団の中でも身なりの立派な若い魔族がいきなりそう訊ねてきた。何が目的かはわからないが、ユーグはその問いかけに頷いて見せた。そして、返す刀でその魔族に問うた。「貴殿こそ何者か」と。


「俺は、魔王アウグストだ。この遺跡を何とかするためにここにやってきた」


 その返事に、ユーグは度肝を抜かれたように驚いた。何でいきなりラスボスがこんな所に現れるのかと言って。だが、アウグストはそんなことよりも、今の状況について知ることを望んだ。


「とにかく……放っておいたら、あの炉の温度はどんどん上がって爆発すると俺は見ている。だから、こうして周囲を凍らせて温度を下げようとしているのだが……」


 そう言っている視線の先で、先程で来たばかりのはずの分厚い氷に亀裂が入り、かなりの速度で溶けだしていた。


「フリーズ・ド・ゼロ!」


 ユーグが透かさず再び魔法を唱えると、亀裂は埋まり再び炉を覆う氷は分厚さを回復した。だが、次の魔力回復薬を飲もうとカバンから小瓶を取り出したところで、ふらつきその場に膝をついた。


「おい、大丈夫か?」


 アウグストはそんなユーグを心配して声を掛けた。しかし、彼は言う。「問題ない」と。そして、再び立ち上がって、瓶の中身を喉に流し込んだ。だが、明らかにその表情は辛そうに見える。


「とにかく、凍らせればよいのだな?」


 そんなユーグを見かねてか、アウグストは手伝うと言って、それで間違いないかと念を押すように訊ねた。


「ああ……それで温度の上昇は止まることはないが、時間を稼ぐことはできるはずだ」


 そして、ユーグは告げる。さっき見たところ、この町の住民全ての避難を完了させるまで、1時間半はかかるだろうから、それまで持たせればよいと。だが……


「それでは、この町の住民は助かるかもしれぬが、近隣の地域に住む者たちは助かる余地がないだろう。俺は、この国の主として、その結果では満足できない」


 この領境には3万の兵が展開しているし、隣接する領では普通に人々は暮らしている。さらに言えば、数時間前にいた丘に避難した者たちも……。


 アウグストは、右手を遺跡に向けてかざして呪文を詠唱した。ついさっき、ユーグが修復した氷よりも3倍も分厚く凍らせて、魔王の力を示した。


(すごい……これが、当代の魔王の力か……)


 その称号は飾りではないことを思い知り、ユーグは感嘆して息を吐いた。そんな彼に、アウグストは言った。


「これで、時間は稼げるだろう。但し、あくまで応急的な処置だ。とにかく、炉を制御しなければ、問題の解決にならない」


 それについては、ユーグも同意見だ。そして、制御する手段があるとすれば、暴走のきっかけとなったパテロとかいう男の前にあるボタンのようなものに鍵があるのではないかと考えて、そのことを魔王に告げた。


「あれか!」


 すぐにそのボタンを見つけて、アウグストは声を上げた。


「アンドリュー!解析しろ!」


「……スイッチを押せば、確かに炉は止まります。後は温度を下げて、鉛で周囲を覆えば爆発すると言った事態は避けれるでしょう。しかし、炉の周りは高温であることも厄介ですが、それ以上に有毒な空気が充満しています。そのまま行けば、例え陛下と言えども、10歩も歩かないうちに血を吐いて死にますよ?」


 特有のスキルを使って、氷の中身を【解析】したアンドリューは、アウグストの質問にそう答えた。それを聞いたユーグは思わず天を仰いだ。これで、最後の希望が消えたのだと理解して。だが、アウグストは不敵に笑った。


「ならば、簡単なことだな。スイッチは、ヤツに押させればよいのだ」


 アウグストはそう言って、スイッチの方角に体を向けてから目を瞑ると、何やら再び呪文を詠唱した。すると、スイッチの前にいたパテロがむくりと立ち上がった。


「な……!」


「なに、簡単な死霊魔術ですよ。実は、さっきの氷結魔法よりこっちの方が得意でね……」


 さっきの魔法も強力だったというのにと、ユーグは底知れぬ魔王の力に畏怖を覚えた。だが、そうしている間にもパテロだったゾンビがスイッチを押した。すると、炉はその活動を順に停止させていき、やがて沈黙した……。

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