第307話 女商人は、後ろ髪を引かれながら旅立つ

「レオ!」


 港に姿を現すなり、レオナルドの耳にアリアの声が聞こえた。振り返ると、乗船待ちの魔族の列の側で手を振っていた。距離にして50メートルといった所だろう。レオナルドは、アリアが妊婦であることを忘れて、こちらに向かって駆け出してこないように、自分の方から急いでそちらへ向かった。


「それで、ユーグさんの方はどうだった?」


 レオナルドが到着するや否や、開口一番アリアは遺跡の近況を訊ねた。ゆえに、正直にあの場で見た状況を伝えた。


「親父でもどうしようもないらしい。もってあと2時間というところだそうだ」


「そう……」


 大賢者の力をもってしても一縷の望みもない。その事実は、事前に予測していた通りの答えだったが、アリアに力ない声を吐き出せた。もしかしたら、それでも何とかなるのではと、心の片隅でチラついていた思いを打ち砕いて。


「それで、こっちの方はどうだ?」


 そんなアリアの様子に構うことなく、今度はレオナルドの方が訊ねた。見る限りでは、混乱もなく順調に乗船作業が進んでいるように見える。しかし……


「接岸できる場所が足りないわ。本当は、32隻すべて同時に乗船できたらいいんだけど、見ての通り、最大で8隻しか接岸できないわ。もちろん、漁船やボートを使って沖の船に乗せるようにして入るけど……」


「効率……悪そうだな……」


「そうね。見てのとおりよ……」


 漁船に乗せて運べる人数など知れているのだ。精々、10人乗れればいい所だ。しかも、船に着いたら着いたで、いくつかの船が鉢合わせして、タラップを上る順番を巡って混乱も起きているように見えていて、そのせいか中々戻ってこない。それに、もうすぐ日没で見えずらくなる。


 これなら、できるだけ早く今接岸している8隻を転移させて、次の8隻が来るのを待たしても、左程変わらないかもしれない。


「他のみんなは?」


 この場にはアリアしかいなかった。予め決めた予定通りの行動とは言えるのだが、レオナルドはこの後の対応もあるため、念のために確認した。


「ハラボー先生は、ソルゲイさんとメドラ提督と共に、混乱が起きないように市民への呼びかけを。アイシャとルーナには水夫たちを付けて、予定通り他の乗船口で誘導の手伝いをおねがいしているわ」


 但し、乗船口は8カ所あるため、それでは人が足りず、この領の役人や残っている兵士、さらに到着した海軍の兵士たちも手分けしてなるべく混乱が起きないようにと、人々を並ばせて誘導している。但し、ここからではその様子を窺い知ることはできない。


「ねえ……本当に大丈夫……よね?」


 それでも、もうすぐアリアの乗る船は出発できる。そのことを思い、アリアはもう一度だけ確認する。無論、自分の役割は承知しているが、どうしても後ろ髪は引かれる。何しろ、自分一人だけが安全圏に逃げることになるし、一度出発してしまえば、例えレオナルドに危機が訪れても、何もすることはできないのだ。


「大丈夫だよ。必ず帰るから待っていて」


 そんな不安そうに見つめるアリアに、レオナルドは力強く答えた。そして、「新婚早々にシングルマザーになんかしないよ」と言って、そのまま唇に口づけをした。それを見た周囲の魔族たちからは、囃すようなざわめきが多少聞こえたが、二人は気にせずにひと時の別れを惜しんだ。


「それじゃ、またあとで」


「ああ、また」


 名残惜しい想いを振り切って、アリアは笑顔で小さく手を振ると、踵を返して乗船する船に向かって歩き出した。そして、海軍士官の誘導で乗船を果たしてしばらくすると、船は満員となりタラップが外された。


 甲板から船員が旗を振り、それを合図にレオナルドは【転移魔法】を船に向かって唱える。次の瞬間、船はその姿を陽炎のように輪郭をぼやかせて……空気に溶け込むようにして消えた。


「ふう……」


 目の前には、先程まであった船も、乗っていた人も何も残ってはいない。あるのは、夕日が照らされて黄金色に輝く水面。つまり、レオナルドの魔法は成功したのだ。そのことを確信して安堵の息も吐く。しかし……


「ははは……これは、思った以上にきついな……」


 レオナルドは、自身の魔力ゲージを確認してため息交じりに呟いた。まだ1隻目だというのに、魔力は半分近くを消耗していた。これならば、次の船を転移させれば、魔力回復薬を使わなければならないだろう。


 だが、レオナルドは次の船へと向かう。再びアリアに会うためには、それでもやるしかないと決意を固めて。隣の桟橋に接岸している船も、もうすぐ満員となる見込みだ。

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