第47話 「恐山」 雪、硫黄、狼
魔物が、青森各地で暴走を開始した。
魔物らは明らかに浮足立っていて、興奮しきっていた。見境なく暴れるその姿は、まさしく暴力の化身で、人に恐怖を抱かせるものだった。
青森市の南側では、冒険者達が魔物を迎え撃つため、八甲田山のふもとに向けて進んでいた。
「で、魔物はどの辺に出たんだ」
「国道103号だそうだ」
国道103号──青森市から南に向けて伸びる道路で、八甲田山を通り抜ける道である。冬の八甲田は豪雪のため、11月下旬から4月になるまで一部区画は閉鎖されている。大量のバイコーンが、その道路に大量に出現していた。
八甲田山は青森市の中でもとりわけ豪雪だ。道の脇には雪がうずたかく積もり、木々にも雪が貼りついている。降りしきる雪により視界が悪く、10メートル先はもう見えない。
「くそったれ、こんな雪の日に魔物まで出やがった」
「そう言うな。とにかく俺たちで食い止めよう」
ぶつぶつと文句を言う冒険者を励ます、体格のいいオークが一人。喫茶店のマスター兼冒険者の、ベンジャミンだ。
「いいかぁ、はぐれるなよみんな。魔物をブッ倒してよ、みんなで生きて帰ろうや!」
力強い言葉に、周囲の冒険者も思わず笑う。
その時、四本足の魔物の群れが、うっすらと見えて来た。
「いたッ」
「あれがバイコーンか」
「ようし。やってやろうじゃねぇか!!」
ここだけではない。青森の各地で、同じような戦いが同時多発的に始まった。冒険者と魔物による、青森戦線の始まりだった。
◆◆◆
フィーナ達の乗る軽ワゴンは、恐山を目指して北へひた走っていた。
途中から吹雪になり、視界が悪くなった。真横へ吹き付ける雪が、ガラスにぶつかってパチパチと音を奏でる。カーラジオからは、青森各地の戦いのニュースが増えた。
「……いろんなところで、いろんな人が戦ってるね」
「そうね」
「早ぐ
2時間半かけ、車は恐山のふもとまでたどり着いた。
そこはキャンプ地のようになっており、冒険者らしき者達が体を休めていた。車を降り、フィーナは彼らの一人に話しかける。
「すみません。フェンリル討伐に来た、冒険者パーティ「ブルー」です」
「お、おお! 君らがブルーか! よく来てくれた」
冒険者達が一斉に頭を下げ、歓迎してくれた。
「ここは何です?」
「フェンリル討伐のために恐山に入った、下北地方の冒険者さ。ただ、フェンリルの攻撃を受けて撤退してきたんだよ」
見ると、冒険者達の服や武器はボロボロになっている。剣は真っ二つに折れ、服が真っ黒に焦げている。それが戦いの激しさを物語っていた。
「ブルーの諸君、十分に気を付けて。奴は強い」
フィーナ達はしっかりと頷いた。
恐山に至る山道は、雪が解けていた。地面から湯気が立ち上り、霧と雪が入り混じって、白く閉ざされているように見える。
「この道、雪が無いんですね」
「恐山ってのは火山でな。異世界との融合によって火山活動が活発化しちまってんだ。だから道路は加熱されて、冬でも通れるようになってる」
「僕たちにとってはありがたいことですけどね」
気を付けろよ──と多くの声をかけられながら、フィーナ達は山道に入った。
曲がりくねった道をひたすらに進んでいくと、やがて独特な匂いを感じた。
「何だろ、この匂い……」
「硫黄の匂いですね。温泉地なんかでこういう匂いがするんです。恐山は火山ですから、こういう匂いがするんでしょう」
車内にも漂ってくるほど、強い硫黄の匂いがした。腐った卵にも例えられるその臭気は、まるで本当に異世界にでもやってきたかのような錯覚を感じさせた。
やがて、目の前に広々とした、かつては駐車場であっただろう広い場所が見えて来た。
前方には、6体の巨大な地蔵。その脇には、巨大な門。恐山の入り口である。
「ここって……」
「かつて恐山は、恐山菩提寺というお寺が管理していました。今では跡地になってますが……この先がいよいよ、恐山の本番ですよ」
フィーナはごくりと唾液を飲み込む。怖くないというと嘘になる。
だが、ここで進むのをやめたら、あの世にいる父や母が、きっとがっかりするだろう。
そう思い、フィーナは深呼吸する。すると真冬が声をかけてきた。
「フィーナ、怖い?」
「……正直、ちょっとだけ」
「ふふ、貴方でもビビったりするのね」
「な、なんだよそれ!」
真冬はくすりと笑う。楓も奈津も笑っていた。
「安心しなさい。私も少しおっかないから」
「そうですね、僕も怖いです」
「んだがぁ? くっくっく、
「楓が羨ましいわ、ホント」
それを聞いて、少しだけフィーナは落ち着いた。いつも通りの、どうでもいいような話が、心を落ち着けさせてくれた。
「──それじゃ、行こう。みんな」
霊場恐山、と書かれた門をくぐり、フィーナ達は歩みを進めた。
そこはまさしく、異世界と呼んで差支えのない光景だった。
見渡す限りの荒れ地。白い石と岩のかたまりがゴロゴロと転がっている。岩の隙間からは煙が立ち上っている。
遠近感が不鮮明になり、目の前の岩が、離れた場所にある巨大な岩石なのか、近くにある岩なのか、よく分からなくなる。
硫黄が溶けだしたものだろうか、地面には黄色い筋がどこまでも続いている。
まるで冥府にやってきたような。あるいは、別の惑星にでも降り立ってしまったかのような。そんな不思議な感覚を感じた。
あちこちには冒険者達が倒れていて動かない。揺り起こそうとしたが、すでに皆、息絶えていた。
「……魔物にやられたのね」
助からなかった命があることに、フィーナの心が痛む。早くフェンリルを見つけないと、と思った矢先、奈津が身構えた。
「皆さん、前方に大きな熱源があります。気を付けて」
その一言で、全員の表情が引き締まった。
言葉通り、前から足音がする。ずしゃり、ずしゃりと石を踏みしめる音だ。
やがて──
「何だ。新しい冒険者か。性懲りもなく、よく来るものだ」
黒い影が現れ、声を発した。
それは大きな狼だった。体長は5メートルほどもある。黄色い瞳が、はっきりとフィーナ達をとらえている。
「貴方がフェンリルね」
「──そうだ」
真冬が問うと、狼は答えた。
「オレがフェンリルだ。今からすればはるか昔に造られた、終末の獣。何かに引導を渡すために存在する魔物だ」
奈落の底から響くような低い声だった。
「貴方の目的は何なの」
「目的か。オレのやりたいことはただただシンプルだとも。破壊すること。すべてを灰にすること。ひたすらにそれだけだ」
フェンリルが、楽しそうに笑ったように見えた。
「古代の人間は、戦争のためにオレを作った。逆らう者を殺すためにオレを運用した。最初はオレにも感情なんてものはなかったんだがな。永い眠りの中で、オレにも感情ってやつが芽生えたんだ。それが、「楽しい」って感情だ」
その大きな体が、熱を帯びていく。
「破壊することは楽しい。殺すことも楽しい。狩るのが楽しい。オレは自分の役割に楽しみを見出したんだ。それで思った。次に目覚める時は、命令のためじゃなく、自分の楽しみのために行動してやろうってな。分かるか、オレは狩りをしているんだ。この土地そのものを狩ってやるんだ」
どくんどくんと、フィーナの心臓の鼓動が大きくなっていく。
これは危険だ。危険な存在だ。
言葉は通じるが、話は通じそうにない。人間と、全く相いれない。互いに戦いあうしかないんだ。それを頭と心で理解した。
「それで、オマエらはオレを殺しにやってきたんだろう?」
フェンリルの口から、真っ赤な炎が噴き出した。フィーナ達は臨戦態勢に入る。
「構わないぜ。殺しあおう。ただし、オマエらじゃオレには勝てない。この殺し合い、勝つのはオレだ。それを納得できるなら、かかってこい」
「言っとくけど、そんなの納得できっこないから!!」
フィーナはありったけの声で叫ぶ。
終末の獣との死闘。その火蓋が切って落とされた。
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