第9話 神社、夜桜

 ゴブリン退治を終え、山のふもとまで戻る。依頼人に報告をするとみんな笑顔で喜んでくれた。


「いいからこれ持っていきなさい。いいからいいから。頑張ってくれたお礼だはんでさ」


 依頼元である女性は、ビニール袋にたくさんのリンゴを詰め、フィーナに手渡してくる。結局、たくさんのリンゴを抱え、帰路につくことになった。


「いやー、なんかいっぱい貰っちゃった。みんなにもリンゴ分けるよ」

「そう? 悪いわね」


 たくさんのリンゴを貰うというのは、青森にいるとそれなりに起こることだ。フィーナはリンゴを真冬と楓に分ける。すると、真冬は「あ、そうだ」と声を上げた。


「楓、貴方が我々の仲間になるのはいいけど、住処はどうするわけ? これまで通り山に住むわけにはいかないんじゃない?」

「あー、んだなぁ。ぁは別にどこさ住んでもいいんだ」


 顎を触りながら楓は答える。


「他に住む場所がねぇはんでないから、山さ住んでただけでさ。アテさえあれば全然どこでも住むよ。ただ、今んとこ住処のアテなんてねぇんだぃなぁ」

「なら、住む場所を探すところからだね。楓みたいなのでも受け入れてくれるアパート、たぶんあると思うよ。何しろ青森は、今や多種族の町だからね」

「アパートかぁ。そこらへん、全然詳しくねぇはんでなぁ」

「探すの、手伝うよ。とりあえず今日のところはあたしの家に泊まってけばいいから」

んだかそっか! そりゃ助かるぅ!」


 鬼の家探しを手伝うのはフィーナも初めてだ。どういう部屋がいいんだろう、やっぱり鬼も角部屋の方がいいんだろうか、などとフィーナは考えるのだった。



◆◆◆



 フィーナは少し気になったことがあった。鬼が祀られている神社が、本当にあるのかと疑問に思ったのである。調べてみると弘前に実在する神社だというので、少し寄ってみることにした。


 神社は住宅街にあった。ひっそりと佇む社が、木々に囲まれている。


 「鬼神社」という文字が、額に記されていた。


「すごい、本当に鬼神社って書いてある……」

「ふふん、いいのぉ。異世界と融合しても、神社はあるんだな」


 居心地が良さそうに、楓は境内をぶらついている。


 神社の社には、農機具が飾られている。この辺りの伝説で、鬼が農作業を手伝ったことに由来するのだという。


「あれ? 何かあれおかしくない?」


 フィーナが神社の額を指さした。


 鬼神社──の「鬼」の字が、ひとつ欠けている。一番上にあるべき「点」が書かれてないのだ。


「ほんとね。鬼の字がちょっと違うわね」

「間違えて書いちゃったのかな」

なんもやちがう。あれで正しいんだ」


 笑って楓が指摘する。


「前も言ったけど、ここの鬼は優しいんだ。だはんでだから、ツノがない。鬼の字にもツノが生えてねぇのさ」

「へぇーー」


 フィーナは心から感心してしまう。


 神社というものにフィーナは詳しくはないが、わざわざ社を作るのは、相当の想いがないとできない。


 きっと心から鬼は尊敬されていたのだ。この神社を見ているとそれがよく伝わってくる。


「昔は、ぁ以外の鬼も、いっぱいいたんだ。農業が得意な鬼もいた。刀っこ作る鬼もいたなぁ」


 ほんの少し寂しそうに、楓は呟くのだった。



◆◆◆



 鬼神社を出て弘前市街へ戻る頃には、夕暮れになっていた。街はオレンジ色に染まり出している。弘前城と、その周りにある弘前公園にさしかかると、にわかに人通りが増えたのが分かった。


 それを見て楓が声を上げる。


「人が多いな?」

「弘前公園で『さくら祭り』をやってるからね」

「お! 祭! そりゃいい!」


 楓が身を乗り出し、分かりやすいくらい満面の笑みになった。


「ねえ、ねえ、寄ってぐべぇ。ぁも桜見に行きたい!」

「物好きな鬼ね。言っとくけど、この分だと駐車場は満杯よ。停める場所がない」


 例年、さくら祭りは人が多く集まるという。真冬によると、人ごみで疲れてしまうような時もあるほどだ。だが楓の表情を見ると、ここで普通に帰るのも惜しい気がしてくる。


「はい! 真冬先生! あたしも楓に賛成です! お祭り寄っていきたいです!」

「誰が先生よ! いつから祭好きになったわけ?」

「エルフは祭好きですから!」

「調子のいいことばっかり言って……。分かったわよ。少しくらいなら寄っていってもいいかな」

「やったーーー!!」


 フィーナと楓は二人して喜ぶ。


「駐車する場所を探してみるわ。一応、心当たりがないでもないから」


 10分ほど車を走らせると、車は住宅街の中に入っていく。


「あれ、こんなところに駐車場ってあるの?」

「ここらへんの民家は、期間限定の駐車場として自分の家を開放してるのよ。看板があるでしょ」


 民家の入口には、「駐車場」という手作りの看板が貼られている。さくら祭りの時期になると、こんな風に駐車スペースを「貸す」家が出てくるのだ。


 真冬が玄関のチャイムを鳴らすと家人があらわれ、車のカギを預かるのを条件に快く駐車を許してくれた。出ていくときは、お金を払ってカギを返してもらうことになる。


「ははあ、なるほど。この人たちにしてみれば、いい小遣い稼ぎになるわけだね」


 フィーナは頷き、納得する。周囲の住人のしたたかさに触れた気がした。


 無事に駐車を終え、公園まで歩く。異世界と融合した青森だが、公園の周囲はその融合度が低く、比較的これまでの街並みが多く残っている。


 弘前公園に足を踏み入れると、満開の桜、そしてそれを楽しむ数多くの人の波があった。


 右を向いても、左を向いても、ピンク色の花びらが咲き誇っている。


「ふわー、綺麗な桜っこだのぉ! しかし人だらけだ!」

「2人ともはぐれないでよ。マジで人が多いからね、さくら祭りって。今回はまだマシな方よ」


 各地に設置された屋台では多種多様な食べ物や飲み物が売られ、あるいは射的やクジを楽しめる。よく見ると屋台の主はオークだったり獣人だったりする。公園を歩く人も様々な種族が闊歩している。多くの異種族が集まる祭り――という観点なら、この祭りは日本でもトップクラスなのかもしれない。


「それにしても、すっごい桜だね。花には詳しくないけど、見惚れちゃうなぁ」

「この祭りを見ると、青森の春って感じがするわね。あと、ここは秋になったら紅葉も楽しめるらしいわ」


 遠くに見える建物は弘前城の天守閣だ。江戸時代の初めに造られた、津軽の中心となる城。その役目を終えてからは、城の周囲は桜舞い散る公園となり、観光地として新たな役目を担っている。異世界と融合した今でも、それは変わらない。


 道にずらりと並ぶ屋台には、りんご飴、フランクフルト、おでん、串ステーキ──たくさんのおいしそうなものが売られている。


 遠くから、ブォンブォンというエンジン音が聞こえる。オートバイの曲芸が披露されているのだ。


 また、桜の木のたもとでは、年老いたエルフが手の平から火でできた鳥や蝶を飛ばし、通りすがる人の目を引いている。火炎魔法を使った芸である。


「それじゃちょっと見て回りましょうか。……あれ? 楓は?」


 見ると、さっきまでいたはずの楓がいない。早速はぐれたかと思い、周囲を見回すと、向こうから楓が嬉しそうにダッシュで近づいてきた。


「見て見てー! わや《めっちゃ》面白ぇもの売ってあったーー!」


 その手にはお面が握られていた。ひょっとこがデザインされたスタンダードなものだ。


「早速買ったの? お金を持ってたっけ、楓?」

「いや、持ってねぇよ」


 きょとんとする楓の後ろから、中年とおぼしき獣人の男性が声をかける。


「お客さん、お金払わないで商品奪っていくのはダメだぜ?」

「あれ、んだったかそうだっけ。ごめんごめん」

「ごめんじゃないわよ! おバカ!」


 フィーナが代金を支払い、申し訳ないと詫びると、男性はすぐに許してくれた。


 真冬は楓の両の頬をつねりあげ、低い声で叱った。


「か~え~で~。代金を払わずに品物を持っていくのは、悪いコトよねぇ。分かる?」

「ご、ごめんなふぁい、許ひてくだふぁい」


 ひたすら許しを請う楓の姿はいたずら好きの童のようだ。だがさすがにこれは言っておかねばなるまいとフィーナも思う。


「ていうか楓、ゴブリンに、「人から盗んだ物で喧嘩を売るな」とか何とか言ってたじゃん。君も同じことになるところだったよ」

「う、うん……ごめん、あんまり楽しそうでつい、欲望に従ってまった……。次から気を付けるからぁ」


 意気消沈する楓は、ひとまず反省したようだ。


「真冬、もう離してもいいんじゃない」

「……そうね」

「楓、約束。商品持ってくのはお金払ってからね。次やったら、今度は真冬に尻を100叩きしてもらうから」

「うう、お尻だけは勘弁してけぇ」


 シュンとなる楓を見ると、フィーナは幼いころを思い出す。

 フィーナは一度、母に連れられて祭りに連れてきてもらったことがあった。


 世界の融合が起こる前、平和だったあの頃。祭は人通りが多く、フィーナは母からはぐれてしまった。ほうぼうを回ってようやく母を見つけると、母も心配していたらしく、叱られていたのを覚えている。


「全く! 超心配したのよ! ケガなかった? 落し物はない?」


 ――そんなこともあったっけな。

 祭りの楽しい雰囲気は、フィーナの記憶を呼び起こす呼び水にもなったようだ。



◆◆◆



 しばらく歩くと、フィーナは屋台でリンゴジュースが売られているのを見つけた。


 紙コップ入りの林檎ジュースを売る店だ。 県産林檎から作られるジュースは果汁100パーセントで、品種により味が異なる。ふじ。紅玉。王林。ジョナゴールド。細かい違いが分からず、フィーナは店員に尋ねる。


「すいません、甘いのにしようと思うんですけど、どれがいいですかね?」

「それなら王林がいいんじゃないかな」

「じゃあ、それ3人分くださーい!」


 弘前のリンゴジュースは、きっと飛び切りに美味しい。桜を見ながら飲むのも、また乙なものだ。そう思って、フィーナは人数分のジュースを買う。


「はいよー、林檎ジュース買ってみた」

「わーい、ありがとー」


 ベンチに座って一口飲むと、芳醇なリンゴの香りが口全体に広がる。甘味と、かとない酸味が心地よい。


「あ、おいしいわね」

「うん、こりゃいい!」

ぇなぁ」


 そういえば、とフィーナは思い返す。子供の頃も、親にねだって果実水を飲んだものだった。


「子供の頃を思い出すなぁ。こんなふうに家族とジュースを飲んだんだ」

「へぇ……」

「子供時代ね。フィーナって、どのような子供だったわけ?」

「あたし? 別に普通~の子供だよ。何の変哲もないただの子供」

「なーんだ、つまんねぇのぉ」


 楓がからかうように笑う。


「なーによ、しょうがねえじゃん。普通だったんだからさ」

「わははは。まあ、んだべな。それじゃ真冬は? どういう子供だった?」

「私? 私は、そうね……弱虫で、泣き虫な子供だったわ」


 真冬は遠い目をして語る。フィーナにしてみればにわかには信じられなかった。


「なんか意外。子供の頃から気が強いとばかり思ってた」

「そんなことないわよ。私は父子家庭で育ったけど……お父さんが厳しくてね。いつも叱られてた」


 真冬が誰かに叱られてる場面を、とても真冬は想像できない。


「ずーっと、お父さんとはソリが合わなかったわ。成長してもケンカばかり。それで、家を飛び出したの」

「そうだったんだ」

「ふうん。人間ってのは大変だの」

「フィーナからすれば、きっと贅沢な悩みだと思うでしょうね」


 自嘲するように真冬は笑った。フィーナはそれにすぐに言い返す。


「そんなこと……ないよ。家族はいいものだけど、同じくらい面倒くさいもののはずだからさ」


 ジュースを飲み干して、フィーナは続ける。


「一緒にいて辛いなら、距離を置いたっていいと思うよ。贅沢とか関係ないって。たまたま、そういう形の家族だってだけだよ」

「……そうね」


 真冬は静かに頷いた。


 気づくと夕暮れは夜の黒に変わりつつあった。


 その瞬間、周りの桜達に、一斉に光が灯った。


 夜になると行われる、弘前公園のライトアップだ。暗闇の中で輝く夜桜は、昼とは違った幻想的な雰囲気を持っていた。


「おぉーー! 綺麗だの!」

「すごい。綺麗だね……」

「うん、すごい。夜桜は私も初めて見たわ」


 生きてて良かった、と少し大げさなことをフィーナは思う。ラーメンを食べた時と同じように。


 少なくとも、こんな風に仲間と一緒に花見をするなんてことは、少し前のフィーナは思わなかった。


 風に吹かれて桜の花びらが散り、明るく照らされた木々を見て人々は喜びの声を上げる。


 夜桜は、人の心をほんの少し揺り動かす力を持っているのかもしれない。フィーナはそう思った。

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