「最強だろ」

あおいえん

第1話「最強だろ」

 伝説の剣を背負った勇者が、長年連れ添った相棒と共に荒野を歩いていた。強靭な肉体と肩当てに残る傷跡は、幾千の魔物からの攻撃を掻い潜った証だ。

 長い冒険の末、一万年前に封印されたはずの復活の魔王をようやく倒した。幾度となく世界を救ってきたが、今回の魔王もまたかなりの強敵だった。

 旅の中で得たものは必ずしもいいものとは限らなかった。時には辛い別れもあった。開始5秒で瞬殺された仲間もいた。笑い事では無い。「え? ここで?」とか「全然役に立たなかったなぁ」なんて思う余裕は無いのだから。

 それでも彼は凛々しく前を向いていた。

 永きに亘り続いた暗黒の恐怖もこれで終わる。勇者とその仲間は溢れる光を全身で浴びながら、共に信じ合った平和な世界を掴み取り、民が待つ村へと帰っていった。


 それから幾月年が経ち、平和な世界に新たなる不穏な影が迫っていることが勇者たちに知らされた。平穏な生活の中でも鍛錬は欠かさなかった。だが、この知らせを聞いた勇者は肩を落とした。民は勇者に揺るぎない期待と信頼の眼差しを向けた。だけど。

「…………」

「ど、どうかされましたか? 勇者様」

「い、いや、なんでも無いんだ」

 すっかり丸まった背中をどうにか起こして胸を張った。民の前ではしゃんとしていなければと自戒した。

 だが、旅の道中の野営場で彼の不満がついに漏れたのだった。

「相棒よ」

「どうした、友よ」

「オラ、もう行ぎっちぐねぇだ」

 抜け殻のような勇者の表情に、焚き火の灯りがぼんやりと揺らめいていた。

「なじょしたんだ、友よぉ」

「オラ、元々勇者なんでキョーミ無がっただぁ。オラ料理人になりっちくって、修行しとっただ。んで、ムーの大群から1匹捕まえて刃で捌いとったところを村人に見らっちゃんだ。おめぇ一人でよう倒したなぁ。おめぇは伝説の勇者様だべって。よーぐ見でみぃ。この剣はムーのでっけぇ解体包丁だべ」

「んだなぁ」

「人より強ぐって、人より包丁使いがうまかっただけだぁ。長い旅をたくさん周って、オラ本当は何がやりっちかったんだろうって、よぉく考えてんだ」

「わかる。わかっけども、このまま勇者続けていれば、村では何不自由ない生活ができっど。飯も運ばっちくる。女も寄ってくる。この上ねぇ贅沢な暮らしだべぇ」

「そら分かってんだ。だけどももうオラ飽きちまったんだぁ。旅して魔王さ倒して。その繰り返しだべぇ。何か新しいこと始めてぇんだ」

「まぁ、とりあえず次の魔王倒してから考えっぺぇ。もう手ぶらじゃ村には帰らんにどぉ」

「んだな。さっさと倒して村さ帰っぺ」

 勇者は俯いたまま燃える火をただただ眺めていた。

 魔王城に辿り着いた。目の前に聳える大きな氷の門。一面が白銀世界。凍てつく寒さに、二人は身を縮こませた。

今度の魔王は百万年前に封印されたはずの氷の魔王。前回は一万年だったのだが、設定を使いまわしているのではない。これは世界の危機なのだ。

「ここだなぁ」

「んだ」

 勇者は咳払いをし、眉をキリッと持ち上げた。

「世界を暗雲に埋め尽くさんとする氷河の国の魔王よ。我は神に選ばれし伝説の勇者なり」

いつ神に選ばっちゃんだべ、と勇者は心の中で自分にツッコミを入れながらも、表では凛とした佇まいを崩さない。

 すると、大きな門は轟音を上げながらゆっくりと開いた。中では氷の鎧で覆われた鬼の軍勢が勇者たちを待ち構えていた。鬼たちは息を荒げながら胸を叩き、獣のような声を上げながら自らを鼓舞している。

 だが、他勢に無勢とはこの事。

 勇者とその相棒が剣を握り軍勢の中を切り込んでいくと、瞬く間に鬼たちを切り裂き、その強さに鬼たちは恐れ慄いた。鬼たちがやけを起こしたように金切声を上げながら再び勇者たちに飛びかかっても、勇者たちは怯まない。

 早くこの戦いを終わらせて、新しい夢を追うために。

 そして、いよいよ魔王との戦い。

「おめぇさ倒して、村の女たぶらかすだぁ」

 と、相棒が心の声を漏らしながら魔王に向かっていく。

 だが、魔王が天高く手を振りかざすと、空に暗雲が立ち込め、やがて大きな雹が矢のように降ってきた。

「待つんだ、相棒!」

 勇者が声を上げた時には、すでに相棒の体に巨大な雹が貫通していた。開始5秒での壮絶な死。相棒の最後の言葉が脳裏に駆け巡る。

死はなんの前触れも無く訪れる。今までだってたくさん経験したことだ。

だが、重要人物の突然の乱暴な殺され方はどうしても体に馴染まない。設定も粗かった。

「もしかしてスランプなんだべか?」

勇者が一瞬こちらを見る。

その隙を狙って、魔王が勇者に一撃必殺絶対零度のふぶきを食らわせた。勇者の体は見る見るうちに氷漬けにされていく。

氷の魔王が高笑いを上げた。嘲るような嫌な笑いだ。

ああああ、とどこからともなく悲鳴が響き、突然、氷の魔王がぐしゃぐしゃに歪んでいった。魔王だけではない。空間そのものがぐしゃぐしゃに丸め込まれていく––––––––。


 くそ。

 俺は紙を丸めてゴミ箱にノールックで放り投げた。ノールックで投げたくせに、入ったかが気になって振り返ると、丸めた紙は明後日の方向に転がっていた。

 俺がこの勇者の物語を書き続けてもう15年経つ。初めはヒットして有頂天になって書き続けた。だが、続くにつれてネタも無くなっていき、同じことを繰り返す日々。最近では読者も飽きてきたせいで、売り上げも下り坂だ。

 担当の編集からは、主人公を変えずに続けていきましょう、と言われた。だが、15年も同じ主人公を書き続けていれば飽きる。

 もう何にも手が付けられなくなった。俺はとにかく作業を放り投げて、居酒屋を目指した。まだ明るいうちだからやっている店は少ない。だけど、飲んで頭をすっからかんにしたい気持ちを抑えきれなかった。

結局、居酒屋で飲み、バーで飲み、キャバクラに言ってまたバーで飲んだ。気が付けば日を跨いで深夜の3時。店の閉店と共に追い出された俺は、途中のコンビニで缶チューハイを適当に買って、人気の無い街を彷徨いながら歩いていた。すると、俺の頭上に何かが落っこちて、そのまま地面へと転がった。俺は空を見上げたが、曇天が広がっているだけだった。

「雹でも降ってきたかな」

 と鼻で笑いながら、落ちてきた物に目をやった。丸められた紙が一枚。もう一度空を見ても、周りを見渡しても、誰かがいたずらしている様子はなかった。

 俺は甲高いしゃっくりを上げながら、紙をゆっくりと開いた。

 すると、中から年老いた老人が出てきたのだ。俺は仰反って地面に転んだ。

「あ、あわわわわ……」

 老人は見覚えがある鎧を身に纏っている。シワの割に鍛え上げられた筋肉がアンバランスで、不思議な老人。

「そんな驚くことねぇべ。おめぇが作ったんだぞ」

「ゆ、勇者?」

「んだ。物語が始まってからもう何年も経ってっから、こっちの世界じゃオラも老人だ」

 俺はまだ目の前で起こっている事が信じられず、混乱した。

「とりあえず、おめぇの手に持ってるそれ、オラにも飲ませてくんろ」

 さ、酒か。

 俺は家に持って帰る用の缶チューハイを恐る恐る勇者に手渡した。それを受け取ると、勇者は満足そうに顔を緩めた。

 俺たちは近くの人気のない河川敷に向かった。流れる川を見ながら、勇者と2人で座る俺。色々と気になることはあったが、とりあえず一つだけ勇者に尋ねてみた。

「なんでそんなに訛ってるの?」

 俺は方言を設定したことなどないのだが。

「おめぇが辺鄙な片田舎出身のオラを主人公にしたでねぇか」

 確かにそうだった。

「オラ、おめぇのセリフ言いづらぐって仕方ねかったど」

「そ、それはごめん」

「まあ、おかげで村ではモテてきたんだがよ」

 そんな設定もない。

だけど、自然と笑えてきた。最初は信じられなかったけど、俺はすっかり夢見心地だった。自分の生み出した主人公と酒を飲むなんて、作家としてはこれ以上ない幸せだ。

「おめぇ久々に笑ったな」

「え?」

「書いてる間、しんどそうにオラの方見でっから、オラ心配したべした。スランプなんでねぇかって」

「そうか」

 まさか自分が作った主人公に心配されるとは。

 すると、勇者は缶チューハイをちょろりと煽りながら、ぼんやりとした口調で尋ねた。

「オラ、あれで死んじまうんか?」

 勇者の率直な質問に胸を痛めた。今まで書いてきた主人公を殺そうとしているのは、魔王じゃなくて俺自身なのだから。

「オラも、氷漬けになるまでは勇者なんて辞めてぇと思ってた。オラ、料理人になるのが夢だったからな。んだげども、村のみんなに乗せられて旅さ出て、魔王を倒した時、オラとっても嬉しかった。みんなに必要とされてんだなってぇ。いつの間にか勇者であることがオラの生き甲斐になってた。長年旅を続ければ飽きることもあっけども。だげども死ぬ瞬間に思ったのは、あいつにもう一度挑んで勝ちてぇってことだった」

 勇者の横顔を見つめながら、俺は唇を噛んだ。

 15年間、幾度となく投げ出したくなる日があった。立ちはだかる壁っていうのは別に高いわけじゃない。こっちがしゃがみ込んで、俯いているから高く見えるんだ。

 俺はある光景を思い出した。

 書いた紙をぐしゃぐしゃに丸めるその最後の瞬間に、挑発的な笑みを浮かべながらこちらを見ていた氷の魔王のその目を。

 俺がこの物語を書こうと決意した理由は、かっこいい主人公を生み出せたからだけではない。魔王にも同等の興奮を覚えたからだ。いつだって、俺を奮い立たせてくれたのは次々に生まれてくる強敵だった。

「勇者、俺帰って続き書くよ」

「作者殿」

 勇者は俺に恍惚とした表情を浮かべた。

「んじゃ、オラもそろそろ行くだ」

「ああ」

「だげども、オラ少しだけ心配だ。あいつ強がったし、あそこは寒ぃんだ。相棒も殺されちまった」

 俯く勇者の肩に、俺はそっと手を乗せた。

「大丈夫。確かに強いけど、俺らなら絶対に倒せるさ」

「本当がよぉ?」

「ああ。なんせ俺は作者殿だ」

 俺は勇者に向かって親指を立てて、ニヤリと笑った。

「最強だろ」

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「最強だろ」 あおいえん @enaoi

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