11日目 嫌いの刃

 こまりは元彼が嫌いだ。


 人の負の感情がどれだけ向けられた人の心に刺さるのかを知っている。


 だから、できるだけ他人への負の感情は持ちたくない。


 なにより、負の感情に心を縛られた自分が嫌だ。認めたくない。


 苦手な人はいるけど、嫌いな人はいない。

 苦手な人には関心もないから嫌いにはならない。

 そういう状態でいたかった。悪口は言いたくなかった。形だけでも善人でいたかった。


 そうやって押し込めて押し込めて、ぎゅうぎゅう詰めにした負の感情は、いまだに心の奥でちくちく刺さり、存在を主張する。


 学生の頃に4年付き合った元彼は同じ部活だった。7回目の別れ話でやっと別れられたけれど、部活内のグループトークで悪口をいわれまくった。


 友達の結婚式で出くわしたときはなぜか当たり前のように、胸を触られ、復縁を迫られた。

 別れてから9年後にまた結婚式で会ったときはレイプされた。周りの友人はやろうとすれば止められる状態だったのに、止めてくれなかった。


 事が起こった半年後、元彼は結婚し、子どもができた。結婚祝いも出産祝いも部の同期で贈ったのでこまりも出資した。


 今、こまりは男性が苦手だ。セックスもできない。


 1ヶ月間は夜中に半狂乱で泣きながら過呼吸を起こし、自殺を企てた。


 訴えることもできた。でもしたくなかった。これ以上関わって傷つきたくなかった。「自分は悪くない」恐らくそう言う。そして、恨まれるだろう。


 先生には「訴えないなら、忘れるしかない」と言われた。

 人生の先輩には「相手のことを思うなら訴えるのも大事。今は辛いかもしれないけど、誰でもそういうことがある」と言われた。


 世の中には、ずっとずっとひどい目にあっている人がたくさんいる。性暴力の被害者は氷山の一角だ。


 目に見える怪我以外に重症を負っている人は沢山いる。


 あれから3年たった。でも、こまりの心の棘は抜けない。


 そもそも付き合わなければ良かった。

 もっと別れ方を工夫していれば、こんなことにはならなかった?

 助けてもらえなかったのは自分が部内で嫌われていたからだ。


 もしも、もしも、もしも…


 いくら考えても事実は変わらない。


 元彼に償って欲しい訳でもない。

 別れたことで傷つけたなら申し訳なかったと思う。今、幸せならそれでいいと思う。ただ、同じことを他の人にはしないで欲しい。


 こまり自身は、嫌うことをやめて前に進みたい。


 SNSは全てやめた。もうこまりを傷つけるものはない。


 誰かを嫌う自分は嫌いだ。


 でもまだこまりは元彼が嫌いである。


 嫌いの刃はこまりに刺さる。

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