ヤンデレーション・ツインズ
@kazen
ヤンデレーション・ツインズ
「私はどっちだと思う?」
「姉? それとも妹?」
「私はユノかしら?」
「それとも私がカノ?」
横わたる俺の顔を覗き込む2つの顔。
日本人離れした大きさの瞳も、すらりと細長い鼻梁も、肉感的な唇も、それらをさらに魅力的に装う化粧も全く同じ――下手をしたら前髪の毛先が流れる方向すら同じなのではないかと思えるほどにそっくりの――いや、全く同一の、2つの顔。
「私はカノよ」
「いいえ、私がユノ」
「私はどっち? 姉? 妹?」
「カノが姉? それともユノが妹?」
ちゃり、という金属が鳴る音と、手首に触れる硬質な冷感。
手錠でパイプベッドにくくりつけられた俺の視界の中を、コンクリートの天井を背景に2つの顔――ユノとカノの顔がくるくるといれかわる。
「私がユノか、カノか、見分けがついたら、あなたを解放してあげる」
「私がユノか、カノか、見分けがついたら、あなたを解放してあげる」
「あなたにわかるかしら?」
「あなたにわかるかしら?」
ふふふ。
ユニゾンの笑い声を残して、2人は踊るように立ち位置を変えながらこの部屋唯一の扉の方へと歩いて行く。
追いかけようとしても無駄だと知っている俺は首だけ動かしてその背中を見送った。
ぎぎっと、建てつけの悪さを主張するかのような擦過音だけを残し、扉は閉ざされた。
遠ざかっていく足音を聞きながら、俺は小さく嘆息した。
参ったな。まさか、こんなことになるとは。
改めて俺は自分の周囲の状況を確認する。
俺が横たわっているのは、申し訳程度の厚さのマットレスが置かれただけの簡素なパイプベッド。
そして、両手首には肉に少し食い込むようにがっちりとはめられた手錠。倒錯趣味の連中がプレイに使うような玩具ではなく、拘束用の実際的な代物だ。
その手錠から伸びた鎖がベッドの頭側のパイプに伸び、ベッドと俺とをがっちりと結びつけている。鎖の長さにほとんど遊びの部分がないため、俺はバンザイポーズという情けない恰好を余儀なくされている。
足を拘束されていないのが不幸中の幸い、といっていいのかどうか。
周囲の状況は見回すまでもない。12畳ほどの広さの部屋には、壁紙なんて洒落たものはなく、無骨なコンクリート打ちっぱなし。室内にあるのは今まさに俺と情熱的な友誼を結んでいるパイプベッドと、天井から吊るされている裸電球だけだ。
口を塞がれてはいないが、大声で助けを求めても無駄だろう。
ふう。俺は再び嘆息する。
とりあえずの現状確認は終了だ。
さて、これからどうしたものか。
なんとかベッドを横倒しにしてベッドを背負ったまま脱出するか? いや、ベッドのサイズ的に扉をくぐれないのは間違いない。
3度目の嘆息。
客観的に今の状況を見てみれば、自分の情けなさにため息も出ようというものだ。
何でこんなことになったのやら。
ことの発端は――
まあ、俺があの双子の片割れの一人に目をつけたこと、と言えるのだろう。
西崎由乃を大学のキャンパスで見かけたのは今年の春のことだった。
大学進学やはじめての一人暮らし等で浮かれ気分になっている新入生の中から『標的』を探していた俺が、有象無象の新入生の中で際立った美貌をもつ西崎由乃に視線を止めたのは当然だった。
顔の造形・スタイルともに、並の女では引き立て役にすらならない。西崎由乃はそういうレベルの女だった。放っておいたら他の男の毒牙にかかるのは間違いない。だから俺は即座に行動した。
俺は『標的』探しやテスト対策に便利だという実利的理由から、複数のテニスサークル・スキーサークルに所属している。実情は単なる合コンサークルであるそれらの勧誘を装って俺は西崎由乃に近づくことにした。
しかし、狩りはやみくもに突撃すればいいというものではない。
俺があとをつけているうちにも西崎由乃は何人かの男に声をかけられており、それらをうまくあしらっていたのだが、そのうちの一人のあまりのしつこさに辟易し、周囲に助けを求めるような視線をさまよわせた所で、満を持して俺は登場した。
両親が俺にくれた恵まれた体と、これまでの狩りで培ってきた話術をもってすれば、しつこいナンパ男を追い払うのも、西崎由乃――いや、『彼女』を籠絡するのも容易いことだった。
3回目のデートで俺と『彼女』は恋人となり、肉体関係をもった。
「私はね、双子なの。一卵性双生児。内緒にしていたわけではないのよ」
俺の腕を枕にしながら、『彼女』はそう言った。
当時はむしろその突然な告白に戸惑っただけだったが、今にして思えば『彼女』は選んでそういう言い回しをしていたように思う。
『双子の姉がいる』だとか『どちらが妹だ』とか、そういう話は一度も聞いたことがなかった。
今に至るも俺が知っているのは、『西崎由乃』と『西崎香乃』が『一卵性双生児』だということだけだ。
「双子にはテレパシーがあって、感情とか感覚とかを共有できるっていう話、あなたは知ってる?」
『彼女』がファミレスでの食事中にこんなことを言い出したのは付き合い始めて1月が経った頃だった。
それまで大学の講義の話をしていたのに、突然話題を変えてきたのを怪訝に思ったのでよく覚えている。『彼女』が話題をあちらこちらへ転換することにまだ慣れていなかった頃だ。
「ああ、そういう話、よく聞くよ。なんだっけ、ほらテレビ番組で……」
一応の目的をすでに果たしていた俺は、興味がないということを悟られない程度に適当に応じたのだが、『彼女』はそれを遮り、というか、俺の言葉など聞いていないかのように話を続けた。
「昔ね、カノが自転車で転んで膝をすりむいたことがあったの。すごく痛くてね。とっても泣いたの。泣きながら自転車を押して家に帰ったカノを出迎えたのは、カノとまったく同じ場所に、まったく同じ怪我をしたユノだったの。ユノはその時、家でテレビを見ていただけなのに」
ああ、そう。というのが俺の正直な感想だった。その手のオカルト話に俺は全く興味がなかったからだ。触れられるもの、理屈で割り切れるものにしか俺は興味がない。
「ユノが好きになった人はカノも好きになるの。たとえ会ったことがなくてもね。その逆もそう。ユノが経験したことは、カノが経験したことになるの。その逆もそう」
そこで『彼女』は不意に視線を落とした。
「どうしてユノとカノは双子なのかしら。どうしてユノとカノは一人の人間ではないのかしら」
震える声で呟く『彼女』を見て、こいつ面倒だな、と思ったのを覚えている。
あの双子の目的が何かはわからないが、このままただ時間が過ぎるのを待つわけにはいかないので、俺は行動を起こすことにした。
とはいえこの手錠は腕力だけで外せるようなものではない。鍵が手に入れられなければ手首を切断するくらいの覚悟が必要になるだろう。だが、俺には当然そんな度胸もつもりもない。
鍵は……どこだったか。いや、この部屋にはないな。
この部屋は単なる監禁部屋だ。手帳と印鑑を同じ引出しにしまう馬鹿はいない。
いや、待てよ。そういえば……
思いついて、俺は右の手首に力をこめて鎖を引っ張った。
がちっ、という音と、皮膚の擦れる痛みとともにパイプベッドが大きく揺れた。
やっぱり駄目か? いや、諦めるな。
自分に言い聞かせ、俺は痛みに耐えながら何度か同じ行為を繰り返した。
手錠が食い込んだ部分の皮膚が擦れて血が滲み、痛みと熱さの区別がつかなくなってきた頃――
ぎっ
これまでとは違う音が響いた。
やった!
この手錠は拘束相手の手首の太さに応じて内径が変化する一般的なタイプ――ギアとストッパーで手首を締め付けるものなのだが、ギアが緩んでしまうとストッパーがその役目を果たさなくなる。
そして今、俺の企図したとおり、ギアを力尽くで緩ませることに成功した。
よし! このまま……!
ここで焦ってしまって、再びギアがストッパーに引っかかってしまっては元も子もない。俺ははやる気持ちを抑えつつ、少しずつ、少しずつ、手錠の内径を広げていく。
何とか右の手首が抜ける状態になったところで、俺は一気に右手首を引き抜いた。
右手首が自由になってしまえばこちらのものだ。痛みに顔をしかめつつも、俺は、今度は左手を拘束する手錠の解除を試みる。
これは簡単だ。巧妙に隠された安全装置を作動させることで左手の拘束は容易に外れた。
やはり経験こそが宝だな。説明書の類にはきちんと目を通しておくに限る。かつて色々と『遊んだ』女の顔をなんとなく思い出しながら俺は呟いた。
さて……これからどうするか……
鈍く痛む左手首をさする。右手首から滲む血はここから脱出してから治療するしかないだろう。
ここに俺を連れ込んでくれたあの双子は、今どうしているだろうか。
『彼女』らの言い方から察するに、まだ2人はこの建物内に留まっていると考えるのが妥当だろう。
『私がユノか、カノか、見分けがついたら、あなたを解放してあげる』
見分けなんかつくわけないだろ。見た目が全く一緒なのによ。
心中で呟いて……
今回の件は、要は、そういうことなのか?
と、俺は思い至る。
あれか。つまりは――
俺が、双子の見分けがつかなかったからこそ、この状況にあるということか。
西崎由乃と西崎香乃。
俺がこの双子の両方を目の当たりにしたのは、俺の感覚では少し前――昨日くらいか?――のことだった。
デートの待ち合わせ場所にやってきた俺を待ち受けていたのは、顔も胸の大きさも、身にまとったワンピースも、全く、どこからどう見ても、どこにも差異の見当たらない、2人の『彼女』だった。
「こんにちは、晃平くん!」
「こんにちは、晃平くん!」
当然の如く、声色も全く同じ。
微笑み、首を傾げる仕草も全く同じ。
もし俺が『彼女』が双子であることを知らなかったら、テレビのドッキリ番組か何かを疑うような、そんな状況。
一種異様なそんな光景は周囲に注目を集めつつあり、すでに次の『標的』の物色を始めていた俺にとってそれはあまりよろしくない状況だったので、俺は2人を引っ張るようにして待ち合わせ場所から移動した。
「晃平くんに質問があるの」
「あなたの彼女は、どっち?」
落ち着いた先のカフェで、見た目が全く同じの双子にそう問いかけられて戸惑ってしまったことは認める。
俺はこれまで2組の双子を見たことがある。
1組は双子と言っても男女で分かれていたから、見分けは容易だった。
もう1組は、性別は同じだったが二卵生双生児だったから顔の細部が違っていて――一人は丸顔、もう一人は面長だったので、これも簡単だった。
だが、西崎姉妹の見た目は――おそらく彼女ら自身がそういう風にあえてしていたのだろうが――まったく見分けがつかなかった。
もし漫画か何かだったらきっちり双子の姉妹を判別して、『親でもわからない双子の私を見分けてくれるのはこの人だけ!』みたいな展開になったのだろうが、俺にはそんな微妙な差異を見分ける能力はないし、そもそも、そんなつもりもなかった。
俺の目的は彼女の『体』であって、『体』が同じなら、姉だろうが妹だろうがどっちでもよかったのだ。
ぶっちゃけ、『彼女』らがこれまでの俺とのデートで入れ替わっていたとしても、別にかまやしない。
すでに俺は目的の確認と準備のほとんどを終えていたし、あとは追い込みをかけるだけだった。
だから、俺は正直に答えた。
「どっちでもいいよ」
と。
俺の返答を受けた双子は、一瞬だけ吃驚したような表情を浮かべたが、すぐに満面の笑みに変わり――
「そんなこと言ってくれたの晃平くんだけ!」
「皆、見分けがつかなくても何かを適当に答えるのに!」
「本当に? 本当に見分けついてないの?」
「本当に、どっちでもいいの?」
ああ、どっちでもいいよ。見分けなんてつかないし。
俺は本心からそう応えた。双子まとめて、というのも初めての経験だが、場合によってはありだと思ったからだ。
俺には理解不能だったが、何故かきゃいきゃいとはしゃぐ双子とともにカフェを出たところで急に意識が遠のき――
カフェでの飲み物に何かを仕込まれたということなのだろう。
こちらの専売特許――お株を奪われてしまったのは不覚と言うほかない。
そもそも、俺がここに連れ込まれたということは、あの双子が周到に調査と準備を行っていたということの証左に他ならない。
俺がこの状況を脱出し、これまで通りの生活に戻るためには、あの双子をどうにかしなければならないだろう。
俺は自分が監禁されていた部屋の扉に耳を当てて、扉の向こうの廊下の気配を探った。
この監禁部屋は人里離れた地下にあり、少々の大声を出したところでそれが誰かに届くことはない。
また、監禁部屋の左右にはそれぞれ作業部屋と鑑賞部屋があり、地上部分は廃屋を装っているので誰かが――よほどの廃屋マニアでない限りここを訪れることはないだろう。
そう、これは俺にとって好機でもある。あの双子が外部に連絡を取っていれば別だが、こんな風に俺をここに連れ込んだのだ。おそらくそういうことはないだろう。
ならば、あの双子を捕えてしまえば、俺はこれまで通りの生活に戻れるし、当初の目的も果たせるというものだ。
まずはこの部屋から踏み出すことだ。
そう考えて俺は監禁部屋の扉を開け――
「こんにちは、晃平くん。やっぱり、脱出できたんだね」
扉の目の前に立っていた『彼女』――西崎姉妹のどちらか――を目の当たりにして、俺の理性は一瞬で蒸発した。
顔面はNG。
これまでの自分の理念に従い、反射的に打ち下ろした拳は『彼女』の鳩尾あたりに食い込んだ。がふっと、小さく息をもらした『彼女』は背後の壁に背を預けるとその場に膝を折った。
当然の帰結として俺は『彼女』の首に手をかけ――
ぴくぴくと動く『彼女』の痙攣が収まりかけた頃――
「晃平くん」
左手から――『作業部屋』の方からかけられた声に、俺ははっと顔をあげた。
そこに立っていたのは、西崎の――ユノかカノか、どちらかはわからないが――かたわれのどちらか。
「お前――」
目の前の『彼女』のか細い首から手を離した俺をみやった、『彼女』は――
「晃平くんの『作品』、全部、見せてもらったよ。女癖が悪いって噂は聞いていたけど、まさか、女の子を『あんな風』にしているなんて思わなかった」
この状況で、笑みをこぼしながら呟いた。
「――見たんだな、俺の『鑑賞部屋』を」
「うん。でも別にいいの」
『彼女』は――俺の手の中でぐったりとしている女と同じ顔をした『彼女』は、むしろ晴れ晴れとすらした笑顔を浮かべて俺に語りかける。
「あなたのことは、もう、どうでもいいの。本当に、どうでもいいの」
力を失い、命を失った双子の片割れ。
そして、俺の目の前で物憂げに、しかし満足げに微笑む双子の片割れ。
いや、この状況では、この双子の片割れを生かして返すわけにはいかない。
山中深くにある、俺の『作業場』の位置を知っている以上、逃がすわけにはいかないのだ。
一歩踏み出した俺を牽制するように、鼓膜に揺らす複数の足音と声。
それだけで事態を悟った俺はその場にがっくりと膝をついた。
「――ねえ、晃平くん」
恨みごとか、懺悔か、自分でも意図せず、とにかく何かを口にしようとした俺を遮るように、『彼女』は俺に笑いかけた。
「あなたが殺したのは――あなたの手の中で死んでいるのは――どっち? ユノ? それとも、カノ?」
俺は死んでなお、その美しさを失わない女を見下ろし、一瞬だけ考えて、小さく首を左右に振った。
「わからないな。お前はユノか? それともカノか? ここで死んでいるのはユノか? カノか? 俺には分からない」
投げやり気味の俺の言葉を聞いた『彼女』は、神々しいと表現しても差し支えないような、これまでのくびきから解放されたような、そんな微笑を浮かべた。
「ありがとう、晃平くん。あなたのおかげで――」
「――私たちは、やっと一人になれた」
呟きを残して身をひるがえす『彼女』を追う気力は俺にはなかった。
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