戦場でラスボスと対決した・一

 人力車で向かった先の料亭は、あまりにもの禍々しいオーラを醸し出していた。

 普段であったら、料亭で働く給仕さんたちが裏口から芸妓を案内してくれるはずなのに、そんな人たちすらいない。


「どうなってるのかしら……他の姉さんたちは?」

「うん……」

「ちょっと待ちな。先に俺が入って使用人のひとりでも捕まえてくるから」


 私たちが人力車から降りようとするのを制止した孝雄は、一旦裏口に入ると、日頃裏方で作業をしている使用人の人たちと話し込みはじめた。

 その背中を見て、私たちは不安なまま顔を見合わせる。


「今日って座敷にいらっしゃるのは政治家の皆さんのはずよね?」

「……まさかと思うけど」

「思うけど?」

「乱痴気騒ぎをしてるんじゃないでしょうね……」


 まさかなあと思う。だってこれ、一応全年齢ゲームだし。まさかと思うけど、バッドエンドになった途端に年齢制限が解禁されたとか言わないだろうなあ。私がそんなことを思っていたものの、孝雄が顔をしかめたまま戻ってきた。


「……今日の政治家が、芸妓連中を侍らせて全然返さねえらしい」

「はあ……? だとしたら、姉さんたちは……」

「……聞いてる限りじゃなにもされちゃいねえみてえだが」

「ここの料亭の店主たちはどうなってるの!? こんなところで芸妓たちを酒責めにされてちゃ、今晩の座敷に響く人たちだっているでしょうが」

「貴族院の連中からは、たんまりと寄付金もらっているから、よその置屋に朝から土下座行脚に出ていると。でもそろそろ、この辺りの連中が一斉に怒り出しそうなんだが」


 そんな横暴な。

 そもそもなんちゃってとはいえど、今大正だぞ。江戸時代の悪代官じゃあるまいし。

 私は人力車から降りると「わかりました」と立ち上がる。

 それに驚いてしおんも着いてこようとしたものの「しおんはここにいて。危ないから」と手を挙げて制止した。


「で、でも……こんなところにときをさんだけを行かせるだなんて……!」

「孝雄、しおんとここで待ってて」

「ときをさん……!」


 しおんは悲鳴を上げるものの、私はあの人については確信があるから、背筋を伸ばしてしおんに伝えた。


「この着物をくれた方、多分私には危害を加えないから。私ひとりのほうが、多分被害が少ないと思う」

「で、ですけど……」

「大丈夫。あの人もどれだけ悪辣な御人であったとしても、所詮は人間だもの。魔王じゃないなら、まだなんとかなるわ。それでは言ってくるわね」


 そう言って、私は料亭へと足を踏み入れた。

 私が向かうと、料亭を世話している仲居が「芸妓さん、お待ちしておりました」と頭を下げてきた。気のせいか、ここにいる仲居さんたちはどの人も疲労困憊という様子だった。私は楽器を包んだ風呂敷をぎゅっと掴む。


「いえ、こちらこそお招きありがとうございます。……私たちの姉さんたちも先にこちらに呼ばれたのですが、帰ってこないのですが……」

「さあ、どうぞ!」


 あからさまに下手くそな話題の切り替えに、こちらも閉口する。

 相当まずいことが起こっているらしい。いったいどうしてくれようか。そんなことを思いながら、長い廊下を渡って辿り着いた先。


「堪忍してください! 堪忍してください!」


 女性の衣を裂くような悲鳴が響き渡り、その次にビタンビタンと音が響いている。

 そしてその声の聞こえる方向……ただでさえ物々しい気配がすると思っていた料亭の中でもっとも澱んだ空気を放っている場所だった……震源地はどう考えても、ここだ。


「それでは、どうぞごゆるりと」


 そのまま仲居たちは回れ右して、私を座敷の前に置き去りにして逃げ帰ってしまった。

 もしも、今回の茶番に使われた料亭がここでなかったら、仲居さんたちもここまで脅えたり誰かを生け贄として捧げなくてもよかっただろうに。

 私はひとまず座敷の前に座り、手を突いた。


「お招きいただきありがとうございます。ときをと申します」

「入れ」

「はい、失礼します」


 私はすっかりと相棒となった小鼓を盾に剣にしながら、襖を開いた。

 そこを見て、私は呆気に取られた。

 大量の芸妓たちが、酒を飲まされ続けている。酒を飲まされ、千鳥足のまま、なにかを取りに行く競争をしているのを、今日来た人々は楽しげに眺めていた。


「ほれ、走れ走れ。ちゃんと手に入れられたものは、早う帰ってもいいぞ」


 下品。下劣。そんな言葉が頭に浮かんだ。

 これだけ酒を飲まされ続けたら死んでしまう芸妓だっているだろうし、実際に大量の芸妓たちは端の邪魔にならないところで倒れている。私の知っている姉さんたちも、そこで赤ら顔でしゃがみ込んでいた。


「姉さんたち……!」


 私が寄っていくと、姉さんたちは赤ら顔のまま顔を上げて、そのまましかめっ面をした。


「なにしに来たの。今は競争させているから、そっちに気を取られている間に逃げなさい」

「これなに? あの人たちなにをさせているの?」

「なんでも競馬ですって。馬がないから、代わりに芸妓にさせているの。一位になったら帰ってもいいとは言っているけれど……皆酔っ払ってまともに歩けないから、誰もあそこにある筒を取れないの」


 なんちゅうことしているんだ。キャバクラでだって酒をしこたま飲ませた上で競争させるなんて体に悪過ぎるレクリエーションなんかしなかったぞ。

 私が姉さんたちを立たせようとするものの、本当に相当飲まされたらしくて、皆とてもじゃないけれど立てない。それに。

 座敷でとうとう走ることができずに滑って芸妓がこけた。


「あーあー……これじゃあ今回も一位が決まらず。折檻だな」


 そう言ってスーツの若い男が立ち上がった。手に持っているのは……乗馬鞭。あんなもので叩かれたら、みみず腫れじゃ済まないし、最悪の場合傷物になった芸妓たちは……女郎屋送りだ。

 とうとう私はそのスーツの前の人たちの前に出た。


「……大変申し訳ございません。私はまだ見習いの身なれど、ここにおられる芸妓の皆々様は、皆一流の方々ばかりでございます。このような戯れに興じるいわれは、どこにもございません」


 こちらが通せんぼしている間に、鞭で打たれそうになった芸妓は逃げ出してしまった。それを見た途端に、かろうじて酔いの醒めて走れる芸妓たちが一斉に座敷を逃げ出していく。あとは裏で待機している孝雄たちが上手くやってくれるといいんだけれど。

 まだ酒が回って逃げられない芸妓たちの髪を掴まれたりしないよう、彼女たちの盾になりながら睨みを利かせていたところで、「ふっ」と低い噴き出す声を耳にした。

 ……有名声優の声だ。その声だけで、この人は白か黒か討論が行われるというそれ。振り返った先には、真っ黒なスーツを着て、真っ黒な髪を脂で固めた美しい顔立ちの男性がいた。深い声に加えてその目力だけで、何人もの女性を骨抜きにしそうだし、実際に骨抜きにされた被害者も大勢いるだろう。

 彼こそが、鬼龍院誠一。

 どだい乙女ゲームの空気にふさわしくない乱痴気具合だというのに、彼がいるとわかった途端に頭のどこかで納得してしまう自分に嫌気が差す。

 そもそも貴族院を集めて、こんなくだらない遊びに興じた悪趣味さはなんなのか。


「登紀子さん。ずいぶんと探しましたがお待ちしておりましたよ。その着物、大変によく似合っています。が、その羽織はこの場には似つかわしくはありませんな?」


 そう言ってすっくと立ち上がり、こちらの着ていた長羽織に手をかけてくる……幸哉さんの贈り物は、あなたが触っていいものじゃない。

 私が一歩後ずさりしたものの、彼はやんわりとした笑みを浮かべたままだった。

 この乱痴気騒ぎを引き起こしておきながらなお、自分はなにも知らない。なんの罪も犯してないという態度なのが、お前ボンドでも食って心臓固めてるのかとでも思ってしまう。


「おや、ずいぶんと嫌われたものですね……あなたが手を取ってくださらなかったんじゃないですか。あなたを救う用意はできていたというのに。あなたのおかげで、ここでたくさんの女性が不幸になりました……あなたがただ、ここで手を取ってくれたらそれだけでよかったというのに」


 なにを言っているんだ。この男は。

 登紀子を手に入れるために柳田家を借金漬けにしたのも、彼女との好感度が足りずに吉原に売られ、芸妓として借金返済頑張っている中で、先輩芸妓たちが貴族院の連中のおもちゃにされたことも、全部登紀子のせいだって言うの?

 そんなの、責任転嫁じゃないか。

 私が口を開こうとする、その前に。


「……なにをおっしゃってるんですか?」


 私じゃない。私じゃなくて、あれだけ脅えていた登紀子本人がまろび出てきたのだ。

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