10 密告

 世界がどうなろうと時間の経過だけは相も変わらず一緒で、何もせずとも年は開ける。この時ほど人々にそんな思いを抱かせた新年はなかっただろう。とはいえ暦の上では新しい年を迎えても現状にこれといった変化はなく、元旦こそ配給に申し訳程度の菓子や缶詰が振る舞われはしたものの、無論、本格的に祝おうという雰囲気ではなくて正月気分には程遠い。そんな中、智哉はといえば、したくなったら責任を取れ、と言っていた割に相変わらず多忙そうな由加里とはあれ以来会っておらず、その代わりというわけではないが、新たに知り合った七瀬と逢瀬を重ねていた。数えてみると部屋に泊まった回数は二週間で都合四度にもなる。外に出ている期間を除けばほぼ二日に一回のペースで会っていたことになり、さすがにこのままだと早晩顔見知りには知れ渡ることになりそうだが、会うたびに親和力が増していく感じがして、あれに対しても次第に熱を帯びていくのがわかった。

(これならいっそのこと一緒に暮らしてしまおうか)

 そんな風に考えなくもない。恐らく七瀬もそれを期待して来ているのではないか。ただ、そうなると由加里を始め他の女との関係は難しくなるだろうし、美鈴達に伝わることも考慮すべきだろう。別に知られたとて困る話ではないが、あの若者の反応は気になるところだ。まさか自分から捨てておいて文句は言って来ないと思うが。

 そうした折、智哉は運営組織から突然の呼び出しを受けた。

「臨時の査問会を開くので、岩永さんにはどうしても出席していただきたいとのことです」

 友里恵の秘書である田岡が、智哉を呼びに来てそう告げた。

「つまり、査問を受けるのは俺ということか?」

「それは……出席していただければわかるかと」

 まあいい。予告も無しに査問にかけるのはどうかと思うが、いきなり拘束されることもないだろう。そう思い、智哉は田岡と連れ立って会議室に向かった。

 会議室のドアの前では意外なことに同じく呼び出しを受けたらしい絵梨香が待たされていた。ということは調達に関することか。二人揃ったところで、打ち合わせをする間もなく直ちに中へ通される。既に室内にはいつもの会議のメンバーが集まっていた。智哉達が呼ばれる前から話し合いが行われていたようだ。

「こんな形で来て貰うことになって申し訳なかったわね」

 二人だけ離れた場所に着席を促され、椅子に腰掛けた途端まずは友里恵がそう口火を切った。とりあえず智哉も絵梨香も無言を貫く。状況がわからない限り、こちらから余計なことを言う必要はあるまい。

「どういうことか不明でしょうから先に事情を説明させて貰うわ。実はあなた方──というより岩永さん、あなたに対する告発があったの。食糧や物資を不正に隠匿しているというものよ。ざっくばらんに訊くわ、これは事実?」

 そういうことかと智哉は妙に納得した。それなら身に覚えは掃いて捨てるほどある。一応、外で入手したものは全て供出するのが建前だ。誰が持ち込んだにしろ公平に分配されなければ規律が保てないというのが理由となっている。もっとも調達を智哉が一手に引き受けるようになってからは多少の個人的な流用はこれまでずっと見逃されてきた。ここにいる誰もが薄々勘付いていただろう。智哉の働きに対する一種の目溢しだ。智哉にしてもそれがわかっていたからこそ、見つかっても構わないと思いながらも大事にならないよう極力人目に付くのは避けてきたのである。それが今回、正式な告発があったため、見て見ぬふりをできなくなったというところだろうか。それとなく気付いていた者なら幾人もいただろうが、告発に踏み切れるほどはっきりと不正の事実を知る人間となるとそう多くはない。その中で美鈴や由加里や七瀬がわざわざ密告するとは思えないので、心当たりとなる人物は一人しか思い付かなかった。

 そこまで状況を読んで、次にどう事態の収拾を図るつもりなのか友里恵達の立場になって考えてみた。例えばこの件で智哉を追放するなどあり得ないことだろう。単に智哉が臍を曲げただけでも避難所の先行きが怪しくなるのは、この場にいる者なら全員が承知のはずである。つまりはお咎め無し、もしくは形式的なペナルティだけで済まされる公算が大きい。あとはその方向にどう持って行くかだが、それはここにいる彼らが考え出すに違いない。智哉としては事を荒立てないように配慮するくらいで充分そうだ。

 もしかしたら筋書きはもう出来上がっているのではないか、そんなことまで考えながら智哉は沈黙を破った。

「事実だ」

 それだけを簡潔に伝える。言い訳は必要ない。

「……了解したわ。否定されたら調べたりするので色々と面倒だったけど、これで余分な手間が省けたわね。そのことについて何か申し開きはあるかしら?」

 ない、とまたしても智哉はシンプルにそう答えた。これには友里恵を始めとする他の参加者達の方が戸惑ったようで、智哉とも面識のある警備班班長の小野寺に至っては、自分が回収して来たものを自分で使って何が悪いという正当性は主張しないのか、とわざわざ訊ねたほどだ。そう言えば良かったのだろうか? だが、もう遅い。

「どう判断するかはそちらに任せる。一つだけ言わせて貰えば隠していたのは俺だけで彼女は関係がない。それは一緒に寝起きしている警備班の連中に訊けばわかることだ」

 智哉は絵梨香に関してはそう言い、その証言の信憑性については小野寺が請け負った。

「わかりました。武井さんでしたね? あなたについてはこの件から除外します。それで岩永さん、あなたは非を全面的に認めるということで良いのね?」

 ちょっと待ってくれ、と智哉の返答に割って入る形で、食糧自給班班長の高瀬が発言を求めた。

「本人に弁解する気がないようだから、お節介とは思うが代わりに言わせて貰うぜ。隠していたと言っても大した量じゃないんだろ? 彼がこれまで供出した分を考えたら、それくらい認めてやってもいいんじゃないか? その気になりゃ独り占めすることだってできたわけだしな」

「そういう意見もありますが、他の皆さんはどうお考えになられますか?」

 すかさず友里恵がそう問いかける。殆どのメンバーが賛同の意を表明してこれで終わりかと思えば、只一人違った反応を見せた総務班班長の三上が口を開いた。

「量の問題ではないでしょう。この件の根底にあるのは彼だけが特別扱いされているという現状にあるのでは? 問題を告発した人物もその点を最も憂慮していました。私もその意見には同感だったからこそ、見過ごせないと考えて査問会の開催を要請したのです。今は僅かな量でもこれを認めてしまえばいずれ際限がなくなるかも知れない。いや、既にどこかで大量に隠し持っていることだって考えられる。彼が見つけた物資を全て正直に申告しているかどうかなど我々には確かめようがないわけですから。この先、さらに食糧事情が厳しくなった折にでもそのことを告げれば絶大な権限が得られるのは間違いない。そうなったら民主主義の崩壊だ。誰も彼には逆らえなくなる。私が危惧しているのはそのことです。現に今ですら彼にすり寄ろうとしている者がいるようですし」

 三上の最後の言葉に、それは俺のことか、と高瀬が気色ばんで立ち上がりかける。

「高瀬さん、お止めなさい。三上さんも本題とは関係のない発言は控えてください」

 友里恵がそう注意すると、失礼しました、と三上は一応頭を下げて見せた。だが、発言はまだ続ける気のようだ。

「要するに彼だけに頼り切っている今の現状を変えない限り、問題の根本的な解決にはならないと申し上げたかったわけです。実際に本気で彼を処罰できると考えている者などこの場には誰もいないでしょう。それでは査問にならない。只の茶番劇に過ぎません。幸いにも彼は自らの非を認めた。それなら処分は一旦保留にし、まずは彼だけの特権的な役割を見直すことから考えてみてはいかがでしょうか? その上で改めてこの件は検討し直すべきかと思います」

 どうやら議論は智哉の考えていたものとは違う方向へ向かっているらしい。三上は反市長派──友里恵の方針に反対するグループの中心人物ということだったが、元より避難所内の主導権争いになど興味のなかった智哉は、行動の自由さえ認められれば誰がリーダーを務めようと一向に構わなかった。三上に指摘されるまでもなく、その気になればいつでも取って代われるという自負もある。だからこれまでは三上に対してもそれとなく注視するくらいで、取り立てて警戒はしてこなかった。少なくとも智哉が友里恵と良好でいる間はせいぜい目立たない程度にサボタージュするのが関の山で派手な動きはできないだろうと高を括っていたのである。だが、本気で智哉の足を引っ張るつもりならその考えは改めるべきかも知れないと思い始めた。厄介事の芽は早いうちに摘むに限る。とりあえず友里恵が皆を代表する形で三上の発言を引き取った。

「意見は承りました。それで具体的にどうしようと言うのですか?」

「彼……いえ、現在は彼らとなっているようですが、それだけに頼らず他の者にも物資の調達に当たらせるべきでしょう。何組かで手分けして調達できれば彼らだけに権限が集中することもない。効率の面から言ってもその方が良いはずだ」

「それについては以前の話し合いで結論が出たのではなかったかしら? 危険過ぎるということで却下したはずです」

「その通り。ですが市長は独断で彼にだけその許可を与えた。我々には一言も相談無しに」

 そこを突かれるのは友里恵にとっても痛いはずだ。しかし、咄嗟に返せなかっただけで、すぐに持ち直した。

「それに関して事後承諾になった点は申し訳なかったと思っているわ。ただ、その時にもお話ししましたけど、許可したのは彼の経験を踏まえて成功の確率が高いと判断したからです。それには彼が単独で行動するという条件も含まれていました。だから他の人を付いて行かせるわけにはいかなかったのです。また何があろうと一切の責任は自分一人で負うと彼は明言しました。他の人には絶対に迷惑をかけないと。だから許可したのです。その結果、彼が期待以上の働きをしてくれたのは皆さんも知る通りです」

 誤解しないでいただきたい、と三上は友里恵の弁明を待っていたかのように口にした。その躊躇いない発言に、ここまでの流れは彼の思い描いたシナリオ通りの展開ではないか、と智哉は嫌な予感がし出した。

「私は何も市長を責めているわけではありません。おっしゃるように結果的に市長の判断は正しく、我々は大いに彼に助けられた。ただ、あの時とは些か状況が変わっているように見受けられるのだが、違いますかな?」

 あとの質問は友里恵にではなく智哉に向けられたものだった。どうやら答えなくてはならないらしい。

「武井元一曹の同行について言っているなら確かにそうだ。ただ、予めはっきりと断っておくが、同行を認めたのは彼女だからだ。他の者だったらそうはならなかった」

 智哉は敢えて絵梨香が元自衛官であることを強調した言い方をする。

「それは何故ですか? 当初はあなた単独でないと無理だという話だったではありませんか。恐らくそれは事前準備や装備の問題があったからでしょう。ところが今は彼女が同行しても無事に戻って来られる。ということは即ち他の者にも外に出て行ける体制が整ったということではないのですか?」

 それは誤解だ、と智哉は言った。どうやら拙い流れになろうとしている。

「彼女は一般人じゃない。自衛隊で特殊な訓練を受けている。ゾンビとの戦闘経験も豊富だ。それに外出に当たっては慎重に協議を重ねた上で許可している」

 そのような要望が出た場合に備えて予め用意してあった回答を披露する。しかし、それも三上には想定内だったらしく一歩も引く気はなさそうだ。

「それだけではないはずです。聞いたところによると冷凍車の貨物室内なら密閉されていてゾンビに狙われる恐れはないそうではありませんか。それがあったからこそ、彼女は同行できたのではないですか?」

 冷凍車の効力については他でも役立つことを鑑みて包み隠さず報告していたので、三上が知っていても驚くには値しない。実際にそれが絵梨香の同行を可能にしているのも事実だ。ただ、それだけが理由ではないのだが、それを説明するには智哉の秘密を明かさなければならない。仕方が無しに智哉は三上の推察を認めた。

「確かにその通りだ。冷凍車にそんな使い途があると知れたのは大きいよ。別に冷凍車に限らず車内を密閉できて排気を外部に洩らさないものなら何だって良いわけだが」

 自衛隊にも確かNBC偵察車という核(=Nuclear)、生物(=Biological)、化学(=Chemical)兵器による汚染地域での活動を目的とした車両はあったはずだが、これまで有用性は聞かれなかったので、ゾンビを避ける目的では使用されなかったのだろう。今後どこかで目にすることがあったとしても、智哉には些か大袈裟過ぎて持て余しそうな装備ではある。

「それと運転者が化学防護服を着るという組み合わせであれば、かなり遠方まで出かけて行っても大丈夫ということだね?」

 只行くだけならな、と智哉は慎重に答えた。最初に化学防護服の効果に気付いた研究者達もスーパーまでは無事に辿り着いている。それを考えれば三上の言う通り車内にいる限りは比較的安全と言えよう。それでも智哉は万一を考えて例え防護服を着ていても絵梨香をキャビンに乗せたことはない。車を離れて活動するのも原則として智哉一人だ。極力ゾンビと接触する機会を減らすことで安全性を保っているのである。それを踏まえてさらに付け加えた。

「ただし、車外で動き回るのはお勧めしない。危険はむしろ目的地に到着してからの方が大きいのは言うまでもないだろう。俺達もその点には細心の注意を払っている。何故俺が無事に戻って来られるのかと訊かれたら、臆病だから、と答えるね。絶対に無理はしないことを誓っている。わかっていてもいざ実践しようと思うと難しいものだ。普通はついあと一歩と踏み出してしまう。それが命取りになるとも知らずに。果たしてそれが他の者にできるかな?」

 智哉は何とか諦めさせようとそんな風に話してみた。だが、どうあっても三上は止めるつもりはないらしい。そうまでして外出に拘るのは、やはり物資の確保が今後の主導権争い──延いては生存競争に関わると踏んでのことだろう。

「それは裏を返せば細心の注意を払って臆病に徹していれば他の者にもやれるということではないのかね?」

 尚もそう畳みかけてくる。するとここで、ちょっと待ってください、と今までずっと沈黙を守り通してきた絵梨香が初めて口を挟んだ。

「何度か同行した者の立場から言わせて貰えば、それは屁理屈です。実際に彼──岩永さんと行動を共にしてみてわかりました。彼の言っていることは自惚れではありません。訓練を受けた私ですら舌を巻くほどの慎重さです。どうしてそんな風になれたのかは知りませんが、本当に誰にでもやれることじゃない。彼のサポート無しでは私も無事に還って来られる自信はありません」

 一瞬、秘密をばらす気かとヒヤヒヤしたが、どうやらそうではなく三上に考えを改めさせたかっただけのようだ。何故なら今、この場では絵梨香だけが真実を知っている。反則とも言える智哉の能力がなければ幾ら他にゾンビを避ける手立てを講じようと悠々と出かけられるはずがないことを。それを知らずして自分達にもやれると思い安易に真似をすれば犠牲を生むのは間違いない。しかも智哉がその犠牲よりも自分の秘密の保全を優先しようとしていることはこれまでの会話から明らかだ。また、ここで絵梨香がそれを公表すれば今度こそ智哉は黙って姿を眩ますに違いない。結局は物資調達の担い手を失うことになる。従って絵梨香がやれることは歯痒さを押し隠し必死になって説得することだけだ。もちろん、三上には通じなかった。

「……あなたにはそうだとしても、だから他の人にも無理だということにはならないでしょう。むしろ自衛官としての訓練とは無関係なら、我々の中に適性がある者がいてもおかしくはない。何も戦いに赴くわけではないのですから。当然ながら人選は慎重に行いますよ。体力や運動能力ばかりでなく性格なども見極めて、最も相応しいと言える者達をね。それでも危険は避けて通れないというならそれはあなた達も同じなはずだ。となると、今の状況は危険をあなた方だけに押し付けているということになる。同じ避難所に暮らす仲間として実に心苦しい」

 そうではない、と絵梨香は内心では叫びたかったはずだ。だが、三上の言っていることに間違いはなく、これ以上の説得を続けるなら智哉の秘密に触れないわけにはいかないため押し黙るより仕方がなかった。その上、三上は巧妙な話の展開で特権的な立場にある者の専横をどう防ぐかという問題を特定の者だけに危険を背負わせておくのは不公平という主旨に置き換えてしまった。ここで智哉がそんなことはないと言えば、外出が既得権益であることを自ら認めることになる。さらに議論が長引けば一旦は説得を諦めたかに見える絵梨香が意を決して秘密を公にするかも知れないという疑惧を完全には拭い去れなかった智哉は、そろそろこのやり取りに終止符を打つ決意を固めた。元々智哉にあるのは自分が関わりたくないという思いだけなので、勝手に出て行くなら好きにすれば良い、というスタンスに変わりない。それでもし上手くいくようなことがあっても智哉の存在価値が損なわれることもないだろう。それに、他の者がわざわざ危険を冒さずとも安全で確実な物資の調達手段があることを知る絵梨香は反対なようだが、本来なら三上が言うように生き延びるためにはリスクを負ってでも誰かがやらなければならなかったことではあるのだ。これまでは智哉の存在がそれを先送りにしていたに過ぎない。そう考えればおのずと智哉の結論は決まっていた。

 わかった、と智哉はおもむろに口を開いた。

「そこまで言うのなら反対する理由は別にない。危険を分担してくれるなら有り難く協力はするよ。ただし、最初に言ったように他の者の同行は断る。俺達は俺達で今まで通りにやらせて貰う。その代わりに同じ条件を整える。つまり冷凍車と防護服、空気ボンベはそちらが必要な人数分を用意するからあとは自由に使えばいい。助言が必要なら可能な限り教える。武器については警備班に訊いて欲しい。それでもまだ納得いかないと言うのなら、構わないからどうとでも好きに処罰してくれ」

 智哉がそう話すと、三上はわざとらしく考え込むふりをして、それならば公平な負担と言えるでしょう、と言った。初めから装備を手に入れたかっただけなのは明白だ。それさえあれば自分達にも同等の活動ができると考えてのことだろう。とはいえ、纏まったのは二人の間だけで三上の提案はまだ正式には議題に取り上げられてもいなかった。協力と引き換えに智哉の処分が不問とされたわけでもない。ただ、今の流れでこの決定を覆すのは難しいだろう。改めて三上の提案が正式に俎上に載せられると、この件では議論に参加資格のない智哉と絵梨香は退出を許された。あとで聞いた話によれば智哉への処分は結局、有耶無耶になったそうである。そもそもが智哉に協力させるために三上が仕組んだことに相違ないので、目的を果たした後となってはどうでも良くなったのだろう。告発者であるはずの若者がどう思ったかは知らないが。

 会議室を出たところで絵梨香と目が合った。何か言われるかと思ったが、特に非難されるわけではなかった。こうなったのはやむを得ないことと強引に自分を納得させている様子だ。それならば智哉の方から言うべきことは何もない。

 後日、智哉の下に物資回収班が正式に立ち上げられる旨と、その初期メンバーとなる者のリストが届けられた。第一陣として五名が選ばれている。リーダー役として名前が挙がっていた吉岡という男以外は智哉の知らない者達だった。その吉岡にしても確か二十代後半くらいの三上の取り巻きの一人という憶えがある程度だ。もしかしたらあの若者がいるのではないかと思ったが、杉村弘樹の名はどこにも見当たらなかった。それが名乗りを挙げなかったためなのか選ばれなかったからなのかは定かではない。


「それでどうなったの?」

 ベッドの端ギリギリに寝転がり智哉の腕を枕代わりに下に敷いた七瀬が、身体ごとこちらを向いてそう訊ねた。査問会での顛末を話してやったところだ。ただし、七瀬とあの若者の関係性を考慮して密告したのが恐らく彼だろうことは伏せておいた。

「もちろん、約束したことは守ったさ。車も装備品も言われた通りに全部揃えてやったよ。トータルで五日もかかったがな。おかげでこうして七瀬に会うのも久しぶりってわけだ」

 智哉は凡そ一週間ぶりに味わった彼女の瑞々しい肢体を思い返しながらそう答える。もう会って貰えないのかと思った、と七瀬は口にした。

「わざと避けられているのかと勘違いしかけたんだから。ちゃんと謝ってよね」

 悪かったとか、そんなわけないだろうとか、適当な言い訳を重ねながらピロートークを続ける。だが、同居の話題になるのはそれとなく避けた。

「だったらこれも持ってたらマズいんじゃないの?」

 枕元に置いた開封済みであるコンドームのパッケージを指差して七瀬が言う。医療班が希望者にこっそりと配布しているものもあるにはあったが数が決まっており、これは智哉が別に確保している分だ。当然、不正な品である。

「今までのように大っぴらにしなければ問題視されないようだ。告発と言っても俺が手伝いを拒否できなくなればそれで良かったみたいだな。ちょうど良い具合に密告した奴がいて、上手いこと利用されたんだろう」

「目的を果たしたから本気で追及する気はないわけね」

 それもこれも智哉が唯々諾々と三上の要求に従い尽力したからである。それにはこれまで通り不正な持ち込みを黙認させるという目的の他に、もしこの試みが成功すれば智哉の存在を目立たなくさせられるという意図も隠されていたが、それを知るのは絵梨香のみだった。そして、こうしている間にも最初の遠征組となった連中が出発しているはずだ。無論、智哉に見送りに行く気は毛頭ない。彼らは智哉が調達した化学防護服に身を包み、新たに用意した改造冷凍車に乗って、ここから三十キロほど離れた大手流通会社の物流センターを目指すそうである。それは智哉にも知らされずにいた場所だ。この時のために三上が情報を秘匿していたに違いない。冷凍車にはかなり高性能の車載無線機を取り付けておいたので何かトラブルがあればすぐに連絡できるはずだが、気になるのはこのところの天候不順で電波の交信状態があまり良くない点だ。智哉達は普段、離れた場所と無線のやり取りをすることが殆どないため気付かなかったが、親交のある元自衛隊員の無線係にそう聞いた。電波は電離層と呼ばれる大気の上層部にぶつかって地上との反射を繰り返しながら遠方に到達するものらしい。本来なら山の上に位置するこの避難所は交信先としては格好の条件のはずだが、その電離層が安定しないために繋がりにくくなっているという。特に市街地に入ると障害物が増えるので、その傾向に拍車が掛かるとのことだ。初めての試みとあって遠征組は逐一状況を報告しながら目的地へ向かうことになっている。それしか頼るもののない彼らにとって、無線はまさに命綱と言えよう。

「あなたは何もしなくてもいいの?」

 話を聞いていた七瀬がそう訊ね、まあな、と智哉は答えた。

「協力するのは準備の段階までという約束だ。その先はこっちも関わりたくないし、向こうとしても自分達の手柄とするために携わって欲しくはないだろうしな」

「でも、上手くいけばあなたの負担が減るのよね? 今までみたいに一人で危険なことはしなくて済むんでしょ?」

「そうかも知れないが、やることはこれまでと大差ないと思うぞ。調達には何組行っても多過ぎということはないからな。総務班を率いる三上の発言力なら増すとは思うがね。別の班とは言っても実質的に取り仕切っているのは奴だからな」

「反市長派の人よね。その人が力を付けると何か問題があると思う?」

「どうかな。七瀬は誰がリーダーになるとか興味があるのか?」

 そういえばいつの間にか七瀬を自然に名前で呼び捨てにしている自分に気付いた。二ヶ月近く一緒に暮らした美鈴はずっとお前呼ばわりで名前を口にしたことがなかったので、この差は一体何だろうと考えた。

「そりゃ生き残りがかかっていることだし多少はね。とはいってもどうせ誰がなったって大して変わらないでしょうけど。もう少しして落ち着いたら選挙で選ぼうっていう意見もあるみたいだけど、それだって選ばれる人は大体決まっているんじゃない? 私は本当はあなたがリーダーになればいいと思うけどな」

「俺が?」

「だって水や食糧を手に入れているのはあなたなんだから誰も文句は付けられないはずでしょ?」

「そういう独裁的な流れを防ぐのが今回の目的なんだぜ」

 話を聞いていなかったのか、という目で七瀬を見たが、彼女は聞いていなかったわけでも、聞いていたが理解できなかったわけでもなかった。

「あら? 自分を助けてくれる人に従うのは当然じゃない。大体、今度のことだって上手くいったらその三上という人があなたに取って代わるだけよね?」

「まあ、そういうことになるか……何だ、七瀬もちゃんと考えているんだな」

 それって酷い、と七瀬が軽く頬を膨らませて抗議の声を上げる。

「どうせ私なんて男に取り入るしか能がない女だと思ってるんでしょ? 確かに頭が良くないのは認めるけど、馬鹿は馬鹿なりに考えているわよ。人に頼るしかない分、その相手は慎重に見極めないと生き残っていけないもの。こんな状況じゃ対等の人間関係なんて期待するだけ無駄よね。体力のある若い男か頭の切れる人が最終的に有利になるのは目に見えている。だったら私はそういう人を頼って護って貰う。そのためになら見え透いた手だって使うと決めたの。他の人に何て思われようとね。だって死にたくないじゃない。相手に興味を持たれなかったら仕方がないけど、あなたはそうじゃなくて良かった。リーダーになって欲しいっていうのもその方が私が生き延びる手助けになると思うからよ。こんな女でがっかりした?」

 いや、正直でわかりやすい意見だと思うよ、けど他の奴らはどうするんだ? 俺がリーダーになったって全員を平等に扱うなんてできねえぞ、と智哉が言うと、そこは近しい間柄順で良いのではないかというのが七瀬の意見だった。

「見知らぬ人を命懸けで助けるなんてアニメか漫画の主人公でもなければ無理よ。まして全員を救えないとわかっている状況なら尚更じゃない? まず家族や恋人を護ろうとするのは当然だと思う。只の友人だったら私なら見捨てるかも。友達以上恋人未満なんて関係だと微妙かしら?」

 肉体関係の有る無しも重要だと言おうとして、止めておいた。特定の誰かを指すような気がしたからだ。代わりに、

「七瀬は俺を信じているのか? いつでも護って貰えると」

 そう訊ねた。

 うーん、と少し悩んだ末に、信じているのとはちょっと違うかも知れない、と七瀬は言った。

「こんな短期間で愛されていると思うほど己惚れてはいないわよ。あなたがそういうタイプじゃないのはわかっているし。ただ、知り合いを簡単に見捨てたりできないだろうなって感じはしてる。美鈴さんのことにしてもそうだけど、自分で思っているほど冷酷にはなり切れないみたいね。だから逆に暫く会えなかった時は怖かった。さすがにもう飽きられたのかとは思いたくなかったから。女としての自信を失いかけたわよ。でも良かった。まだ私にも利用価値があって」

 利用価値なんかじゃないさ、と智哉は答えた。七瀬が魅力的だからだ。

「一週間も放って置いた男の科白じゃないと思うんだけど」

 あれは仕方がなかったのだという智哉のしどろもどろな言い訳に、七瀬はプッと吹き出して、いいわよ、無理しなくて、と笑った。

「私だって利用しているのは同じなんだし、この先もそうしておいた方がお互いのためでしょ? 本気になったりしたらそれこそ厄介よ。私はそれでも良いけどね」

 それに対して智哉は即答しなかった。この分なら案外、俺がいなくても強かに生き残るのではないか、と思った。

 どの途、避難所の主導権争いに変化があるとすれば出かけて行った連中が無事に帰還してからだ。自分の思惑は別としても智哉は彼らに失敗して欲しいと考えたことは一度もなかった。やるからには苦労して準備したことが無駄にならなければ良いと思う。それに智哉と違い決死の覚悟で臨んだ彼らを見下す資格が自分にあるとも思えない。

 だが、この話をした直後に彼らからの連絡が途絶えたことを智哉は暫くしてから知った。

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